第5話 チルチル2 -イーグルアイ-

 フジタがいなくなってからも、チルチルはバットを振り続けた。一つ目の理由は、打つことは楽しかったから。体が大きくなっていくと、回転の加速力も上がり、飛距離が伸びた。椰子の木をはるかに超え、その奥の池にまで届くようになった。思いきり石を打つと必ず「ぱちゃん」という水しぶきが上がる音が聞こえた。チルチルは池の中のフナやザリガニが驚く様子を想像して楽しかった。


 そして、もう一つの理由は、弓の速さで、思ったところに石を打てるのは、森の民として生きていく上で、ものすごいアドバンテージになることだった。


 チルチルも、17歳になった。きっと近いうちに、この島の誰かのお嫁さんになるのだ思っている。父さんのような旦那さんと出会い、畑のサトウキビやサツマイモの収穫が終われば、一緒に川で魚を取り、時には森の中で鳥や獣を捕まえて、家族で生きていくのだと思っていた。自分は父さんのように強く弓は引けないが、矢と同じように石が打てれば、きっと狩りの役に立つに違いない。もし人が投げる石を思い通りに打てるのなら、自分が用意する石を正確に打つのは、お茶の子さいさいのはずだ。


 動物や鳥は近付きすぎれば逃げてしまう。彼らが警戒しない二十メートルくらいは離れたい。獲物を狩るには、二十メートル先の一点に確実に石を当てる技術が必要だ。


 石を打つ練習をする上で、一つ大きな問題があった。木のバットでは、石を打つたびに少しずつ形が変わってしまうので、精度の維持に問題がある。父さんに毎度毎度バットを削るのを頼むのも、さすがに気が引ける。そこで、チルチルは近所でリヤカーやスコップを作って売っている金物屋の主人にお願いして、鉄パイプを一本もらった。鉄パイプは当然、木のバットよりは重くなるので、同じように振るには、どうしてもバットよりも細いものを使うしかない。細くなればなるほど、木のバットよりも正確に当てないと石の上がっていく角度が変わってしまう。更に技術の向上が必要になった。ただし、反発係数が上がったので、石の初速は更に速くなる。これをちゃんと使いこなせれば、更に強力な狩りの道具になるのは間違いなかった。


 チルチルは中学校を卒業すると、家で洋服を縫ったり、サトウキビの皮を剥ぐ内職をしながらも、こっそりと抜け出し石を打った。母親のアンに見付かり、仕事をまじめにやれと、その度に怒られるのも、日常の習慣になってしまった。


 そして、夜になると、漫画の本を取り出し、フジタに習った日本語を忘れないように、時には声を出して読んだ。いつかまた、あのグラウンドに立つ夢が見られるといいなと、思っている。


 チルチルは、モデルのように背が高くスマートというわけではなかったが、ショートカットの髪に大きな目が丸い愛くるしい。そして、この島の人、他の島々の人たちとは、顔つきや肌の色が少し違っているようだった。島には、潮の流れの関係で、かつていろんな国の人々が流れ着いたという言い伝えがあった。海を行く人々が、東から西からこの島に辿り着く。チルチルたちは世界中から来た海の民の末裔であると、近所のばあ様に聞かされたことがあった。チルチルも健康的な南の島の少女でありながら、どこか異国的な雰囲気があった。


 そんなわけで、ボーイッシュなのに、時には女性的なところもあり、そして森のハンターのような凛とした格好よさもあわせ持つチルチルに、ちょっとどきどきする男の子たちも少なくなかった。


 二つ年下のロン少年も、チルチルに石を打つ練習を付き合えと言われると、とても面倒くさそうな顔をして、「これが最後だよ」と言いながら、内心とても嬉しかった。将来、チルチルが結婚してくれとか言ってくれたら、すごく嬉しい。でも、年上だと両親に反対されるかなと、「捕らぬ狸の皮算用」的な妄想で、悶々としていた。


 チルチルは、フジタに教わった投手の投げ方を、ロン少年に覚えさせた。ボールはないし、本物の投手でないのは仕方ないが、少しでも野球の気分を味わいたかった。フジタに教わったことを、段々と忘れてしまうのが嫌だった。


 勿論、ロンが投げる石を打つのは、自分が投げ上げた石を打つよりは、百倍難しかった。石自体のスピードがある上に、空中で回転しているのだ。チルチルは鉄パイプのバットを振る一瞬の間に、石の速度と回転を完璧に目で把握し、バットと石の、理想の点と点を反射神経で導き出す。そして十分の一ミリの誤差もなく衝突させる。火花とともに放たれた石は、見事に二十メートル先の標的を射抜く。


 それは奇跡的な作業であるはずなのだが、ロンにはもう見慣れた光景だった。空間を飛行するわずかな時間に受ける引力の影響も見越して、チルチルは正確に打ち抜く。時には失敗することもあったが、それは大概は石がもろく、衝撃で砕けてしまった時だった。


 チルチルはロンにできるだけ回転を多くかけてくれと頼んだ。回転が多ければ多いほど、石の一点を見抜くのが難しくなる。ロンも回転を掛けるのが上手くなっていったが、チルチルは狙うべき一点を瞬間で把握し、正確に打ち抜いた。


 そして、打つのはロンの投げる石だけでなかった。ジャングルには刺されると厄介なアカメアシナガバチがいた。群れを作り飛ぶことは少ないが、毒が強く、たまに小さな子供が刺されて大事になったりすることがあり、厄介な存在だった。アカメアシナガバチは実に不規則な動きで飛行する。しかも攻撃本能が強く、敵意を感じると刺しに来る。殺虫剤か、大きな網がないと、退治するのは難しかった。しかし、チルチルは鉄パイプ一本でアカメアシナガバチに挑んだ。最初は一緒にいたロンも怖がって、「やめなよ、やめなよ」と止めたが、アカメアシナガバチに向って歩み寄ると、本能的に不規則な飛行で向かってくる小さな点を一撃で粉砕した。ロンには砕け散る瞬間すら見えなかった。

「なあんだ、簡単じゃない」


 それ以来、チルチルの家の近くに、天敵のハチが現れると、鉄パイプを持ち出し退治した。近所では喜ばれたが、アンは、危ないしみっともないから止めなさいと、注意した。それでも、チルチルは、みんなのためだよと口答えして、アンの言うことは聞かなかった。


 確実に点と点をぶつけるには、正しく見ることが大事だ。燕の飛行や木を走るリスの脚の動きも真剣に見る。動体視力が研ぎ澄まされていくのが、チルチル自身にも判った。チルチルはハチの羽ばたき、足の動き、そして複眼の視線さえも見ようとした。そしてチルチルの二つの目は確かに、鷹のようになっていた。鳥の羽の動きも、折り畳んだ足も見えるようになる。夕暮れの蝙蝠の飛行も、蛙の跳躍も、正確の映像で認識されていく。


 チルチルの特別な才能は、確かに森で生きていく上で、とても役に立った。実際の狩りになれば、野球のノックのように、自分が打ちやすいような石を自分で投げて打つので、失敗するとは、チルチル自身も考えられなかった。カモや食用の鳩を狩りに行くと、もはや、ジョシュアよりも沢山獲物を持ち帰るのは当たり前だった。ジョシュアは誇らしいような、娘に負けて恥ずかしいような複雑な気分になった。


 家の仕事も手伝いながら、時々抜け出して、ロンと石打ちの訓練をする。最近は、外国人相手の旅行のガイドで、島の人間と仲良くなって、チルチルの特技を知っている者までいるらしかった。ロンとの練習を、こっそり遠くから覗いていたのも知っている。チルチルは別に見せびらかしたくもないし、有名になりたいとも思っていないので、うっとうしくてしょうがなかった。


 そのうざったいガイドがまたやって来た。外人まで連れてきているらしい。日本人らしい。どうやら、椰子の実を壊せばアメリカのお金をくれるらしかった。日本人がくれるアメリカのお金は何の役に立つかよく判らない。使い道が判らないものをもらってもしょうがないが、外国からの土産を家族に見せれば、みんな喜ぶのは間違いないだろう。チルチルは面倒くさいと思いつつも、ロンにいつものように投げるように命令してから、鉄パイプを持った。


 ロンも胡散臭いガイドや外国人の相手はしたくないし、連中がチルチルの脚をチラチラと見るのはムカつくし、早くどこかへ行ってしまえと思ったっが、チルチルの頼みとあらば仕方ないので、付き合うことにした。

 


 

 

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