第2話 フジタ -流れて来た兵隊さん-

 チルチルの家は、タロイモや、バナナを作る農家だった。父親は、収穫や草刈りの作業がなく時間がある日は山に猟に出掛け、川に魚を釣りに行く。それは島に住む人々にとっては普通の生活だった。チルチルの家には祖母と両親、兄と二人の弟がいた。高床式の家は七人には決して広くはなかったが、家族は普通に仲良く幸せだった。


 村には二百人程度が住んでいて、お医者さんと学校の先生を除くと、その殆どがチルチルの家のような農家で、子供が沢山いて、裕福ではなかったが、皆それなりに楽しく過ごしていた。


 村には、つい数年前まで静かな隣人が住んでいた。それは、遠い北の島から来た男だった。フジタと呼ばれるその老人は、近くの小山を越えたところにある河原に小屋を建て、住んでいた。実は、フジタと住民たちがかかわりを持つまでにも、長い長い時間が必要だった。お互いに敵意がないのが判るだけでも十年かかった。子供たちから交流が始まると、たまにフジタは森で捕まえた鹿や、魚、そして砂金を持ってきて、服や石鹸と交換し、また山を越え、河原の小屋へと帰って行った。


 フジタと島の村民たちは、付かず離れず、お互い干渉しないまま、ずっと隣り合わせで生き続けた。最初の頃、島の人のほとんどはフジタを怖がり、嫌っていた。なぜなら、彼は島を奪いに来た兵隊の一人だったから。




 フジタの実家は染物屋で、子供の頃は信州で中学校に通い、そこで「野球の神童」と呼ばれていた。


 当時の日本では、背も高い方で、決して巨漢というわけではないが、子供の頃から相撲でも大人なみの強さがあった。野球をやってみると、彼の能力は突出していた。小学生の時に、高等中学生の野球部の選手よりも遠くへ打った。ホームベースから外野手を越えるまで球を投げた。守ればウサギや犬のように駆け、ボールを取った。近所の大人たちは、フジタ少年はきっと職業野球のスターになるだろうと思った。彼自身も、好きな野球で自分は日本一のプロ選手になりたかった。しかし、フジタ少年が大歓声の中、グラウンドに立つことはなかった。戦争が彼の夢を壊した。


 フジタ少年は陸軍に召集され、フィリピン戦線に送られた。激戦のレイテ島へ船で送られる前に、輸送船は魚雷を受け沈没。奇跡的にフジタ少年は潮に流れる将校の机に捕まり、島に流れ着いた。


 生きて島に流れ着いた兵隊はフジタだけだった。砂浜に打ち上げられていたのは全て死体だった。お墓を作るにも、スコップも何もなかった。手を合わせてから、その海岸を去った。


 島を歩くと小高い山があった。取りあえず山の中に隠れようと思った。誰かが助けに来るかもしれない。島の大部分はジャングルで、奥へ進むと尾根や谷があり、川が流れていた。とりあえず水があれば死ぬことはないと思い、河原で休んだ。熱帯の夜で二晩死んだように眠り、火を起こし、食べられそうな植物を探し、魚を川からすくって食べた。


 流れるゴミを見て、島には人が住んでいるのが判った。川へ水を汲みに来た親子が、フジタ少年を見ると、逃げて行った。フジタは、きっと自分はここで殺されるのだと思った。それはそれで仕方ないと思った。次に生まれ変わる時は、戦争が無くて野球ができる世界がいい。しかし、島の住民たちがフジタ少年に危害を加えることはなかった。海からやって来た少年兵を、遠くから、恐る恐る眺めるだけだった。


 フジタ少年が、島を歩くと、村があった。村の近くには、畑があった。畑の外れが崖になっており、その崖の下がゴミ捨て場になっていた。古着、錆びて刃の欠けたのこぎり、曲がった釘、ふたの無い鍋。使えそうなものは全て拾った。捨てられた網は魚やエビをすくう道具として使えそうだった。


 早朝にゴミ置き場に出現する日本兵を怖がった島の人は、別のゴミ捨て場を探し、崖の方に近寄らなくなった。


 しかし、どうやら相手に危害を加える気はなさそうだと双方が思い始めると、お互いが深く干渉しない不思議な共存が始まった。


 フジタ少年はのこぎりや、軍用ナイフを使い、ジャングルの木を伐り、樹皮を剥いでひもを作り、くぎを真っすぐに直して打ち、家を建てた。ただ一度だけ、大雨の後、床にたまった泥を除けるために、畑にあったシャベルを盗んだ。フジタが一生で盗みをしたのはその一度だけだった。


 最初にフジタに近付いたのは、子供たちだった。河原の小屋に住むフジタ少年に恐る恐る話しかけた。フジタ少年は笑って手を振った。フジタ少年は笹の葉で船を作って、川に流して見せた。村の子供たちはフジタ少年に近寄り、笹船が流れるのを見た。フジタ少年は子供たちに笹船の作り方を教えた。そして、川を指さし「カワ」と言った。笹の葉を指さし「ハッパ」と言った。そしてできた笹船を指さし「フネ」と言った。子供たちは真似をして笑った。こうやって少しずつ交流が始まった。


 勿論、親たちは子供が日本の兵隊に近付くのをひどく警戒したが、たまに、フジタが捕まえた魚を子供たちに持たせてやったりすると、親たちの警戒心も徐々に薄れていった。


 一年が経ち、二年が経った。それでも日本から誰もフジタ少年を助けに来なかった。自分は見捨てられたのか。或いは日本という国が亡くなってしまったのかもしれない。段々とフジタにはどうでもよくなってきた。両親に会えないのは残念だが、少なくともここにいれば、理不尽に殴られることはない。野球への諦めもつく。


 フジタ少年は子供たちから、片言の島の言葉を習った。反対に村の子供に日本語を教えた。ひらがなも教えた。子供たちは喜んで字を書いた。そもそも自分の島で使う字を書けない子供も少なくなかった。


 フジタ少年は、木を切り、綺麗に削りバットを作った。古い布を丸めて、更に布をほどいた糸できつく縛り、最後にまた布を巻いて、ボールを作った。子供たちに野球を教えたかった。フジタがバットで布製のボールを遠くに打つと、子供たちから歓声が沸いた。今度は石を川の対岸に向けて投げた。石は川を越え遥か向こうの、林の中に消えていた。子供たちもみんなが石を投げ始めたが、フジタ少年の半分も投げられなかった。大人たちの心配をよそに、子供たちはフジタと親しくなっていった。


 フジタは、キャッチボールやバッティングを教えた。グラウンドや道具が無いので、本当の野球を教えることはできなかったが、簡単な日本語と共に、投げること、捕ること、打つことの楽しさを子供たちは知った。


 ずっと日本兵が居残っているという話は、本国に伝わることはなかった。五年十年と月日が流れていく。この島に飛行場ができたのも、今からわずか八年前のことだ。フジタの生活は変わることはなかった。


 村人との物々交換で、石鹸や使い捨てライターや懐中電灯を手に入れ、フジタの生活も少しは便利にはなった。バッティングやボール投げを知った子供たちは、大きくなり、畑や海に出て働くようになると、フジタのところへは来なくなったが、代わりに次の代の子供たちがやって来る。フジタは日本から遠く離れた島で、青年になり、老人になったいく。いくつになっても、子供たちにバットの振り方を教えた。


 子供たちは、ずっと本当の野球は知らなかったが、布のボールや、木の塊を投げては打つ遊びは続いた。石を打つのは手作りのバットが折れてしまうし、何より人に当たるとケガをするのが判ったので、止めさせた。フジタはウサギや牛の革を手に入れると、うまく布のボールを包んで縫い合わせて、本物のボールに似たもの作った。丸いボールを投げたり打ったりするのは、子供たちにも楽しかった。

 そんなゲームを楽しむ子供たちの中に、チルチルの父親になる少年もいた。


 

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