第21話 S病院内の上映会

 1993年、S病院食堂の階上の通路

 食堂上の通路は実習二週目になると人だかりもまばらになっている、それでも数人毎に群がっている、その中を抜ける時に祥子は声を掛けられている。


「今日はなぁ~二回目の上映会するんやでぇ~」

「院内で何か催しがあるのですか」と祥子は聞いている

「独身者用の社宅で上映会をしているんやぁ~」

「同じものを何回も上映されるんですか」

「部屋は狭いから何人も入られないからね、あんたも招待してあげたいところやけれど、誘ってあげられないんやぁ~諦めてなぁ~」

「それは残念ですね」と、祥子は適当に合図地を打っている。


 背後から誰かが肩を叩く、振り向くと話しかけた人達を手で追い払っている、そして祥子には首を横に振って、関わらなくてもいいという表情をみせている。

 この人の顔はどこか見覚えがある、もしかすると高校の同級生なのかもしれない、しかしM高校の同学年は8クラスあったので、在学の三年間に同じクラスになったことがなければ印象も薄く、ましてや卒業後13年経っているので誰なのかは特定できない、

「君にナイトの称号を与えよう」と、彼は後ろの人からニックネームを与えられた。


 また、廊下の隅の方で呆然と立ち尽くす男性事務員がいる。

 目を丸くして祥子を見ていて、祥子が近づくと、突拍子もない質問をされた。

「催眠術に掛かっていたの?」

「催眠術なんて、掛けられたことないですけど、何故?」と応えている、


 また廊下では、上映会参加を勧誘している場面に遭遇している。

「今日はフジワラさんの部屋で上映会を予定していますが、参加できますよ」

「行きません」と、祥子の傍で雑談している人たちは即答で断っている。


「ナイトの称号を与える」と言っていた人も断っている。

 上映会は何回も催されるほど盛況なものだと聞かされていたが、そうでもなさそうだ、そう思っているところに、正面から色白で釣り目の男が近づいてきた、その男は祥子に「恥ずかしい女」と言った猥談男といつも一緒にいる男で、集団の一員だ、その男が上映会の勧誘男に話しかけた、

「マキさんも上映会に参加したいと言っていますが、ダメですか」

「あいつは、いちびりやからアカン」

 丁度その時、正面から猥談男が軽快な足取りで向かって来て、勧誘男に、

「シンジョウさ~ん、僕も誘ってくださいよ~」と言い、横を歩いている祥子に話しかけてきた

「僕ね~、上映会に参加させてもらえないんですよぉ~、仲間外れされているんですよぉ~、可哀そうでしょう、仲間外れはダメだって言ってやって下さいよぉ~」

 この頃はまだ、祥子へのからかい方はそれほど酷くはなかった、だから祥子は、

「仲間外れはダメですよね」と応答している

「ほら、この人もこう言ってくれているのだから、僕も参加させてくださいよぉ~」

「チェッ、マキ! エエもんやるから諦めろ」と、シンジョウと呼ばれた男は舌打ちを一つしてからマキの肩を掴んで、向こうの方へ連れて行った、その後ろをカワハギ男が付いて歩いて行った。

「何、何、何をくれるんですか」という声が漏れて聞こえて来た。

「‥‥‥」

「えっ、本当に」

 マキの声が弾んでいる。おそらくビデオ画面からポラロイドカメラで撮ったものをあげると言われたのだろう、何故ならその日を境に猥談がヒートアップしたからだ。

 また、先ほど「ナイトの称号を与えよう」と言っていた人達の会話が聞こえて来る

「なんで〝ヤギ〟は〝マキ〟にくっ付いてるんやろなぁ」

「七不思議ですねぇ」

「弥次喜多道中・東海道中膝栗毛、ではなく、ヤギマキ道中・S病院の七不思議やなぁ」このしゃべり方の人は「サイコバス・サイキ」と、あだ名を付けた人と同じ辺りに立っていたことから同一人物だと思われる。


 輝君はこんな環境の中で仕事をしていたのだ、きっと職場内ではもっと下劣な言葉を耳にしていたに違いない、辛かっただろうに‥‥‥、


「レイプドラッグ、まるで催眠術に掛かってるみたいや、男のいいなりやんけ、感じとるし、女自身も実のところは寝たふりをしてたんとちゃうか、きっとそうやで」


 耳を塞いでも頭の中で鳴り響く、職場の空気は穢らわしい、空気を吸う気になれない、同僚は祥子を甚振って喜んでいる、そして輝のためだと言わんばかりに


「お前に近づかれると恥ずかしんや、分かったれや」と吐いている。自分のせいで‥‥‥、そして翌日から仕事を休んだ。


 真っ暗な食卓で、幸子さんと輝君が手を重ね合わせながら項垂れている。

 二人で罪の意識を共有しながら、幸子さんは輝君の心の痛みを全て吸い取りたいと念じている。

 そして幸子さんは、祥子の事よりも最愛の息子が自ら命を絶ってしまいそうで怖くてたまらない、だからこの時は祥子の幸せを念じる余裕がなく、それどころか祥子の事を疫病神に思えてしまい、そう思ってしまう自分と、それを否定する自分とが葛藤して苦しんでいる。

 もしかすると「二人で死のうか」と呟いてしまったかもしれない。

 そんな日が続いたある日、輝君は自室で自ら命を絶ってしまったのだ‥‥‥。


 幸子さんはひたすら後悔している。

 そして母として輝君の潔白だけは守りたいと思った、だから写真に写っている手が輝君の手だとは誰にも打ち明けなかった、輝君の事をよく知る人ならば、六林医師に嵌められたのだろうと察してくれるに違いないが、職員全員がそう受け取ってくれるわけではない、幸子さんにとっては輝君が侮辱されてしまうことが耐えられなかったのだ。

 幸子さんは輝君の意に反して自殺の理由を公にしなかった。

 それによりS病院内では、輝君と祥子が恋愛関係にあったものだと勘違いした人もいるみたいだ。


 祥子は輝君を巻き添えにしてしまったという思いで懺悔の念にかられた、盗撮されていたことや強姦されていることにも気づかないほど鈍かった自分が憎らしい。

 こんなにも恥辱を浴びせられているというのに、生き続けていることが愚かなことだとも思えてきた。


 生きる意味とは何かと考え込むこともある、そして気づいたことがある、それはさんざん穢され嘲笑されるような沈分な身ではあるが、そこには誠実な青年の命が手向けられているということだ。

 祥子が自分自身を蔑むことは輝君の命を軽視していることにもなるのだ。

 祥子は胸を張って気高くいきようと顔をあげた。

 そして何としてでも輝君の手を取り戻したいと思った。


 一方、祥子は幸子さんが輝君の後を追うようなことをしたのではないかと不安が過り、胸がざわめいている。もう25年経っているというのに気が気でならない、SNSで検索するが同姓同名の人が多すぎて探し出すことが出来ない。


 幸子さんの消息が知りたくて、祥子は二木家へ行った時の道のりを呼び起こした。

「大橋方面に車を走らせ「山野」の交差点を左折するの、実際には手前の「山野○△」の信号を左折するのだけど、途中から一方通行になってしまうから「山野」の交差点で左折してね、そこから〇△の角を左折して小川沿いを走って〇筋目のところで車を止めて待っていて」これは幸子さんから聞いた道のりだ。


 あの日から35年近く経っているから、周りの風景も変わっているだろうし、引っ越しているかもしれない、でもご近所の誰かに尋ねてみれば何かしらの情報が得られるかもしれない。しかし実行するのは今ではない、何一つ良い報告が出来ないのだから。なんとしてでも輝君の手を取り戻さなければならない、大黒の悪行を世の中に知らしめ、大黒を検挙してもらって、パソコンの中身を調べて貰って、家宅捜査をしてもらってUSBを没収して貰ってから再会を果たそう。


 祥子の耳には何度も大黒の声が鳴り響く、

「この手は誰の手や、これや、この手は誰やと言うてるんや、邪魔なんや、切り取ったらバランス悪いしな、チェッ、誰やねんこの手は」


 輝くんの手を侮辱する声は、祥子を奮い立たせる。

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