喫茶店にて
駅前にたったひとつの喫茶店は、カウンターとテーブル合わせて20席くらいとあまり広くなく、見たところかなり老舗のようだ。チェーン店で言えばルノアールのような雰囲気の店内でどちらかというと年齢層は高めだと予想したが、近所の若い親子連れのたまり場になっているようだった。
「いらっしゃい。おひとり?」
お店のオーナーと思われるマダムが、カウンターの中から声をかけてきた。
「はい、ひとりです」
「そこのテーブル席にどうぞ。この辺では見かけない顔ね。何しに来たの?」
「東京から来ました。あのロープウェイの先にある工房にお邪魔する予定で」
「え?」
マダムが驚いたような顔をしたそのとき、5歳くらいの男の子がトコトコと歩いてきた。
「ロープウェイ、ないよ」
「ないってどういうこと?」
男の子に尋ねると、答えを聞く前にその子のママと思われる人が近づいてきて言った。
「あの、もしかして佐藤さんの工房に行こうとしていますか?」
「あ、はい! 佐藤さんご存じですか?」
「え、ええ。この辺では有名なので」
「そうなんですか! 雑誌で佐藤さんの記事を読んで、直接お話したいなと思ってお電話したら快くOKしてくださって、今から行くんです」
私が笑顔でそう説明している間に、お店の中にいた他の親子たちも集まってきた。カウンターの中にいるマダム、最初に来た親子、あとから来た2組の親子、全部で7人の目が私に向いているが、みんなまったく笑っていない。さっきまでみんなでワイワイしていたのにどうしたのだろう。
「あの、お姉さんは佐藤さんと電話でお話したんですか?」
最初に来てくれたママがまた口を開いた。
「そうです。工房の電話番号にかけたら、佐藤さんが出られて。あ、さっきもここまで来たことを電話で伝えたら、待ちきれないって言ってくださって」
そう言うと、ママたちはヒソヒソと話し出した。相変わらず笑顔はまったく見られない。私は何かおかしなことを言ったのだろうか。
「あの、私、何か変なこと言いました?」
「いえ、何からお伝えしていいのかわからないんですけど。あの、まず最初にお姉さんがさっき乗ると言っていたロープウェイは、もう動いていないんです」
「え? 動いていないってどういう意味ですか? 時刻表に夕方5時に来るって…」
「ええと、時刻表ももう取り外されたんです。だから、あなたが見たというその時刻表はあるはずがないんです」
どういうことなのか頭の中が整理できない。私が何も答えられずにいると、ママは続けて言った。
「それから…佐藤さんの工房ももうあそこにはないんです。10年前に取り壊されて。ロープウェイの先に残っている建物は佐藤さんの工房だけだったので、取り壊しと同時にロープウェイも廃止されたんです」
「でも、佐藤さんは5時のロープウェイに乗って行ったら、降りたところで待っていてくれるっておっしゃっていて……。なんだかよくわからなくなってきたんですけど、じゃあ佐藤さんはどこにいらっしゃるんでしょう」
私がそう言うと、ママは一度深呼吸してから口を開いた。
「実は、佐藤さんの工房が取り壊されたのは、佐藤さんが亡くなったからなんです。工房の電話番号は今は使われていないはずなので、言いづらいのですがお姉さんが話したのは佐藤さんの幽霊ということになると思います」
「え、亡くなっている!? 幽霊!?」
サーッと血の気が引いてくるのがわかる。
「この辺は田舎だから昔からみんな知り合いで、お姉さんのようにヨソの人が来るのは珍しいんです。前も一度、知らない人がこの町に来たことがあって、そのときは男の人だったんですけど、お姉さんと同じように佐藤さんの工房を訪ねて来たと言っていて。佐藤さんは亡くなったし、工房ももうないはずなのにおかしいなとは思ったんですけど、ロープウェイの時間だからとすぐ出て行ったので結局何も言えなかったんです」
「で、その男の人はどうなったんですか?」
「私が最後に見たのは、動いていないはずのロープウェイの乗り場に入っていくところだったんです。それがずっと気になっていたので、数日後そこにある神社の神主さんに話してみたんですよ。そしたらサーッと顔色が変わって、もう間に合わないかもしれないと言われて」
「間に合わないって?」
「その前に、佐藤さんのことをお話しますね。神社の人の話だと、佐藤さんは15年前に奥さんを亡くされたんですけど、それからも身の回りのことを全部自分でやりながら仕事を続けてたそうなんです。でも、佐藤さんの工房はロープウェイでしか行き来できないところにあるので、今まで佐藤さんの仕事中に奥さんがロープウェイで行き来しながら足してくれていた用事も自分でやらなければいけなくなって、相当参っていたそうなんです」
佐藤さんの工房はやっぱりロープウェイでしか行けないのか。今注目するところはそこではないのかもしれないが、なぜかそこが引っかかった。
「で、そろそろ引退かな、でも後継者がいないと引退もできないな、なんて話を周りにしていたようで。取引先の野球関係の人にもその話をしていたらしいんですが、なかなか工房を継いでくれる人が見つからなかったみたいなんです。そんなときに、事故が起きたんです」
「事故、ですか?」
「はい。ある寒い日にコーヒーを飲もうとヤカンを火にかけたら、佐藤さんの着ていたセーターの袖のところが火に触れてしまって燃えちゃったらしいんです。急いでセーターを脱いで、なんとか体に燃え移ることは防いだようなんですが、右手の一部に火傷をおってしまったんです。そのせいで、縫うという細かい作業ができなくなってしまって」
「それは、つらいですね。佐藤さん、お仕事が生きがいだとおっしゃっていましたから」
亡くなったはずの佐藤さんと電話で話したと知ったときは一瞬怖さも感じたが、生きていたころの佐藤さんの話を聞くうちにそんな気持ちもなくなっていた。むしろあるのは同情の気持ちだ。
「そう、しかも後継者もまだ決まっていないうちに生きがいだった仕事が急にできなくなって、佐藤さんかなり落ち込んだようなんです。それからは町にも下りて来なくなって、週に1,2回役所の人が必要なものを持って行くようになったんですが、会うたびに『仕事がなくなった今、自分にはもう何もない』とか『生きていても仕方がない』とかネガティブなこと言うようになったらしくて。それで、ある日役所の人が佐藤さんを訪ねたらどの部屋にもいなくて、家の周りを探したら山の下の方に倒れている佐藤さんを見つけたらしいんです」
「それって、山から落ちたということですか?」
「そうみたいです。山の上にあるだけあって、佐藤さんの工房の周り結構高低差があるので、足を滑らせると転がり落ちてしまったりするんですよね。だから、決められたところだけを歩くようにしていたはずなんですけど……。病院に連れて行くにも、ロープウェイは当時3時間に1本しかなくてすぐに連れていけなくて、結局亡くなってしまったんです。まあ、見つけたときにはすでに心臓は止まっていたということでしたが。自殺説も出たのですが、わざわざあんなところを転がり落ちるはずはないということで、事故死ということになりました。それが10年前のことです」
やっぱり、佐藤さんには同情こそすれ恐怖の気持ちはない。私を待っていると言ったのは、誰かと話したかったからかもしれない。
「それで、お姉さんの前に男の人が佐藤さんを訪ねてきたのが5年前です。私が最後にその人を見たのがロープウェイの乗り場に入っていくところで、数日後にそれを神主さんに伝えたら『間に合わないかもしれない』と言われた、という話をさっきしましたよね?」
「はい。何に間に合わないのでしょう?」
「私もそれを尋ねたのですが、すぐに家に帰るように言われて、次の日にやっとその言葉の意味を知ったんです。私、気になりすぎて次の日にまた神社に行ったんです。そしたら、神主さんに一緒に奥の部屋に来るように言われたので、ついていったらそこに男性がふたりいたんですよ。ひとりはこの町の交番のお巡りさんで、もうひとりは知らない人。神主さんがその人を紹介してくれました」
「誰だったんですか?」
「神主さんの知り合いの霊媒師さんとのことでした」
「霊媒師さん?」
「はい。私が神主さんに男の人がロープウェイ乗り場に入っていったことを伝えたあと、神主さんはお巡りさんと霊媒師さんに連絡して3人で佐藤さんの工房があった場所まで行ったそうなんです。と言っても、ロープウェイがないため行く手段がなく、お巡りさんが県警に事情を話してヘリコプターを飛ばしてもらったそうです。ヘリコプターから3人だけ降ろしてもらって、工房の跡地に行ってみたところ、すでにその男性は右手を切り取られて息絶えていたそうです」
「右手? それは、佐藤さんの霊がやったんですか?」
「はい、そのようです。神主さんの話では、10年前に佐藤さんが亡くなったころから工房があったあの山に嫌な気が流れている感じがあり、霊媒師さんに相談したそうなんです。神社って除霊とかできると思われがちですが、基本はできないらしいんです。だから、除霊して欲しいという人が来たときに紹介しているのがこの霊媒師さんとのことで。それで、霊媒師さんがあのロープウェイ乗り場のところまで行ってみると、亡くなった佐藤さんが地縛霊になっているのを感じたらしくて。元々地元の人しかいない町なので、みんなを怖がらせないように事実は伏せて、ただ『ロープウェイ乗り場は廃止になっていて危ないから近づかないように』と言っておけば、みんな近づかないのではという話になったそうです」
「では、みなさんはロープウェイ乗り場には近づかないようにしていたんですか?」
「そうです。はっきりは覚えていませんが、今思えば近づかなくなったのはその頃からだった気がします。もちろん、理由は知らなかったので、廃止になった乗り場は誰も清掃や整備をしていなくて危ないから近づかない方がいい、という程度にしか思っていませんでしたが。それから何事もなく過ごしていたのに、突然私が『男の人がロープウェイ乗り場に入っていった』と神主さんに言ったから危険を感じたらしいんです」
「それで行ってみたら、やっぱりその男の人が亡くなっていたんですね。佐藤さんは自分が右手を火傷していたから、その人の右手が欲しかった。そういうことですよね?」
「その通りです。佐藤さんは仕事が生きがいだったのに、右手の火傷のせいでそれができなくなってしまった。その悔しさを抱えたまま亡くなってしまったので、地縛霊となり右手を捧げてくれる人が来るのを待っていた。それからもうひとつ求めていたものが、後継者です。右手だけではなく、その男の人にここに残って欲しいという思いから命まで奪ってしまったようです」
「なるほど。でも、霊媒師さんが一緒にいたのなら、佐藤さんの霊を成仏させることができたはずなのでは?」
「そうなんですよ。神主さんの話では、成仏させたということだったので、今日お姉さんから佐藤さんの工房に行くと聞いてビックリしたんです。なぜ佐藤さんが成仏していないのかはわかりませんが、これだけは言えます。佐藤さんは楽しい話をするためにあなたを呼んだんじゃない。あなたを永遠にあの山から下りられなくするために呼んだんです」
背筋がスーッと寒くなった。途中まで佐藤さんに同情して、霊だとしても一緒に楽しい話ができたら喜んでくれるかなくらいに思っていたが、そんな軽く考えていい問題ではなかった。
佐藤さんとの会話を思い出してみる。
佐藤さんは、私がスマホで住所を検索して工房に行くと言ったときに「便利な世の中になっているんですね」と言っていたが、今思えばこれは今の世の中を知らないということになる。「帰りのことは気にしないで」というのは、私を帰すつもりがないということ。
まだ現役で縫っているのか訊いたときは「まあ、昔みたいにはいきませんけどね。でも私にとってこれは生きがいですから。どうにかして続けていくつもりです。後継者も探しているんですよ。あなたはどうでしょう?(笑)」と言っていた。改めて考えると、どの言葉も意味が違ってくる。
「もう少しですね。待ちきれません」「久々のお客さんなのでね。次はいつ来てくれるかと待ち続けていたんですよ」「この仕事を続けるためならなんだってするんですよ」「まあ、来てからゆっくり話しますよ。時間はたっぷりあるので」
あれもこれも、優しい言葉なんかではなかった。久々に来る獲物を待つ地縛霊の言葉だったのだ。顔面蒼白になっているのが自分でもわかった。
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