温もり
祖父が入院してから、近くに住む祖父の娘である私の母、そしてその夫である私の父が、ふたりで少しずつ片づけていたこともあり、もう終わりは見えていた。あとは、祖父の趣味のものから私が残したいものと処分するものを分けるだけだ。まずは、本を見てみよう。
本といっても、単行本からハードカバーの本、雑誌などいろいろある。一番処分しやすそうな、雑誌から見てみようか。
釣り、お酒、登山など、いろいろな種類の専門雑誌があって、祖父が多趣味だったことがよくわかる。正直どれも私の趣味とは違うので、すべて処分してしまって良さそうだ。これもこれも、これも処分して大丈夫かな。
そのとき、ある雑誌のタイトルが目に留まった。
『日本の職人たちー卓越した手業ー』
色あせているところを見るとかなり昔の雑誌のようだが面白そうだ。手に取って、パラパラとページをめくっていく。その道一筋の職人たちが手業でものづくりをする様子が、写真と丁寧な文章でわかりやすく紹介されている。
その中でも、特に惹かれたページがあった。野球の硬式球の手縫い第一人者、その道30年という佐藤さんのページだった。あの硬式球の赤い糸を縫っている写真が添えられていて、佐藤さんの経歴や手縫いに対する思いなどが綴られている。佐藤さんの縫った硬式球の印象、それが「温もり」だった。
そう思った瞬間にはもう、私の心に佐藤さんが入り込んでいた。祖父を失ってぽっかりと空いていた心の穴に、「温もり」という言葉がちょうど埋まったのだと思う。どうしても直接会って、佐藤さんの作品はなぜ「温もり」を感じるのかを訊いてみたくなった。
とはいえ、この色あせた雑誌に掲載されている情報は古い。佐藤さんの工房がまだあるかどうかもわからない。生年月日から計算すると、今は85歳のようだ。現役は引退している可能性の方が高いだろう。まあ、ダメもとでいいから電話をかけてみよう。
私は、スマホを取り出し、雑誌に掲載されている工房の電話番号を打った。かかるだろうか。ほんのちょっとの間がとても長く感じる。かかった!
プルルルルルルというコール音が鳴り始めた。3回鳴ったところで音が消える。つながったようだ。
「もしもし」
返事が返ってこない。
「もしもし?」
「はい」
少し小さいが、男性の声が聞こえる。佐藤さんだろうか。
「あの、私、小川と申します。日本の職人たちという雑誌を見てお電話したのですが、佐藤さんでいらっしゃいますか?」
「ああ、あの雑誌ね。はい、佐藤ですよ」
「良かった! 突然お電話して申し訳ありません。佐藤さんのお仕事の様子を拝見しとても感動して、工房に伺って直接お話を訊けたらなーと思ったんです。今も工房はやられているんですか?」
「やっていますよ。私ひとりでやっている小さな工房だけど、良かったら遊びに来てください。いつでも待っていますよ」
「え、本当ですか!? ありがとうございます! では…3日後の夕方ごろに伺います」
「場所はわかりますか?」
「この雑誌に書いてある住所をスマホに入れて、検索して行くので大丈夫です」
「そう。便利な世の中になっているんですね。ただ、私の工房は山の中にあって、電車を降りてからロープウェイに乗り換えて、そこから20分くらい歩くんですよ。ロープウェイの終電が夕方5時なので、それに間に合うように来てくださいね。帰りのことは気にしないで」
「はい、ありがとうございます! ちなみに、工房があるということは今も現役で縫ってらっしゃるんですか?」
「まあ、昔みたいにはいきませんけどね。でも私にとってこれは生きがいですから。どうにかして続けていくつもりです。後継者も探しているんですよ。あなたはどうでしょう?(笑)」
「えー私! 光栄です(笑)。本当に、お会いできるのを楽しみにしています!」
「はいはい、お待ちしていますよ」
「それでは失礼いたします」
「はい、失礼します」
興奮冷めやらぬまま、電話を切った。佐藤さんが85歳の今もまだ現役だなんて、とても嬉しい。もしかしたら作業をしている様子を見せてもらえるかもしれない。こんなにスムーズに話が進むとは思わなかった。3日後がとても楽しみだ。
少し寒くなってきたようだ。窓を閉めよう。
それから3日間、私は祖父の残した品を見ながらいろいろと思い出しては、泣いたり笑ったりと充実した時間を過ごした。
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