第9話 ガウスとエリーゼ

 ガウスさんは悩んでいる様子だった。

 朝食に手もつけず、朝からずっとソファに座り込んで顎を撫でている。ときには『ピアノがないのか!』と愚痴をこぼしたり、前髪を引っ張っては『寂しい』などと零す。

 私はこんなガウスさんは初めて見た。彼はいつだって私の前では笑ってくれていたのに、今はなんだか物憂げだ。

 仕方ない。

 私は彼をおいて部屋を後にした。


 宿屋のロビーに出ると、そこには亭主さんのおじさんが箒で掃除をしていた。


「こんにちは、亭主さん」

「こんにちは。どこへ行くのかい?」

「これから少し散歩をしようかと思いまして」

「だったらあそこがいい。えっと、ここを出た田園の裏山にある祠。あそこは本当に気が落ち着くんだ。まあ、行ってみなよ」


 亭主さんはにっこりと笑った。


「わかりました!」


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 エリーゼが部屋を出て行ったのが、視界の隅から見えた。

 これで良い。我ながらハリウッド顔負けの演技力。

 この後の予定ではこの殺人事件担当の刑事さんと会ってある事を確認する。その答え次第で俺の今後の方針は変わる。


 ぼーっとしていると、不意に扉がノックされて亭主がやってきた。


「失礼します」

「どうしました?」

「お客様がお見えです。何やら警察と弁護士だそうで……」

「ありがとう。お通しして下さい」


 最高のタイミングじゃないか。


「分かりました」



 入って来たのは男女の二人。一人はオルガノン、もう一人は驚いた事にルスト刑事だった。


「お久しぶりです、カルマートさん。いつかは大変お世話になりました」


 相変わらず堅苦しい女だ。俺はこう言うタイプは少し苦手だった。


「ルスト マルカート呪術対策長殿もお元気な様で良かったです」


 引き攣る笑顔を必死で何気ないものにしようとする。しかし、そんな俺の努力も虚しく、彼女は眼鏡をかけ直すと、にこりともせず話し出した。


「私は今回フィーネ ノイギーア殺人の事件を担当していまして、いささか不明な点が出て来ましてね。そこで貴方に頼ろうかと思って来たのです。隣の弁護士もその様です」


 話題を振られたオルガノンは粛々と言う。


「はい、実は私の依頼もなんだか怪しくなって来まして」

「しかし、それだと警察側と弁護側の主張が共に間違いの可能性が出て来た事になりませんか?」

「はい、そうなのですが……」


 二人は俺の前で、心配そうな目つきで見合った。


「警察としてはアニマートを無罪釈放の余地ありと考えております」

「一方で私としては被疑者の主張がなんだか矛盾しているように思えるのです」

「まあ、良いでしょう。実は先程、ビルマー君の面会に行きましたがね。やはりそうだったのですよ」

「「……つまり?」」

「全てこれから私が話す推論で解決すると思いますよ」



 犯人の動機はなんだったのでしょう。

 考えてみましょうよ。フィーネを殺す意義、殺した後で誰が得をするか。身代金要求でない事から犯人の動機は怨恨だったのでしょうか。

 私は資料を読んでまず、現地調査を始めました。当時彼女の取り巻く環境からフィーネを恨む者がいるのではないかと考えたからです。また、殺される前日までフィーネが夜な夜な忍泣きをしているという事もここでは目に付けましたが、これは後に説明します。


 さて、事態は予想外の展開を見せました。ええ、彼女は恋人のビルマー君以外の男と結婚させられる事になっていたのです。

 ……え? 警察は知らなかった? そうでしたか。でも、そうなんですよ。ルバートさんはどうしても口を割りませんでしたが、メイドのマーサと婚約者のテオ フオーコから話は取れています。執事のカールは話しませんでしたが……

 では、自殺でしょうか。無理やり結婚を強いられて自殺をしたのでしょうか。まさか。あの死に方は他殺で間違いないでしょう。魔法を使ったなら可能でしょうが、わざわざそんな回りくどい自殺をする人間は見た事がありません。遺書もないみたいですしね。それに父親に言われて『はいわかりました』と素直に受け入れる程彼女は親に忠実ではなかったそうですよ。

 ここで私は二つの事で行き詰まりました。

 一つは『フィーネが泣いた事と事件の関係』。もう一つは『単に第三者の私怨による殺害なのか』です。フィーネが泣いていたのは本当に婚約を強いられたからだけなのでしょうか。

 答えは意外な所から出てきましたよ。刑務所の面会記録からね。


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 森の祠はなんだか古臭い石造りのものだった。胡散臭いが何かご利益があるかもしれない。それに森の空気が美味しい。

 森の祠の裏手には、さらに森の奥に続く道があって、その先に花畑が広がっていた。『おかしいな、いつかに空から見た時はこんなの無かったのに』というか疑念が湧いたけれど、なにかの間違いだと思って、なら、このバレッタのお返しにガウスさんへ花輪でも作ろうかと思い、進む事にした。


 森の花畑は驚くほど広く、彩り豊かな花々が咲き乱れていた。『まさに百花繚乱ね』と素直にこぼした。

 辺り一面の花畑の奥には一人の女性がしゃがんでいたのが見える。花を摘んでいるらしい。白いドレスに麦わら帽子を被っている。

 胸元には綺麗なネックレスがきらめき、白い四肢はふくよかで、美しかった。

 思わず見入っていた私に向こうが気がついた。どきりとしたが、不思議といつもの他人に対する不信感は湧かなかった。


 彼女がゆっくりとこちらに近づいてきて言う。


「どうしたのこんな所で。君はまだ小さいよね?」


優しい透き通った声だった。本音を言えば、私は自分の声に自信があったが、それでもこの人の耳心地の良さと言ったら!


「私はメタリカ帝国魔術大学に通う生徒ですよ。すっかり大人です」


 私はどうやらこの方と競い合いたいらしい。胸を張って言った。

 ふふふと笑って彼女は言う。


「あら、立派な方でしたのね。初めまして、私はフィーネ。ただのフィーネ。貴女は?」

「私はエリーゼです。ただのエリーゼです。本当の名前は分からないんですけどね……えへへ……」

「まあ、エリーゼ。素敵な名前ね。ではエリーゼ。どうしてここに来たの?」

「今泊まっている宿屋の主人にここが最高のスポットだと言われたので」


 フィーネは驚いて見せた。


「わざわざこんな所まで来て泊まっていく方がいたなんて」

「フィーネさんはどうしてここに?」

「ここ、私のお気に入りなのよ」

「お気に入り、ですか」

「少し私の話を聞いてくれる?」


 彼女は私の彼女への興味を察したらしい。


「はい、聞かせて下さい」


 答えると、フィーネさんが私のおでこを人差し指で突いた。

 すると、みるみる周囲が暗くなって行き……暗く、なって、行き……



 私は知らない天井の下で目が覚めた。


「お目覚めですか、お嬢様」


 ベッドに横たわる私に声をかけたのは女中のマーサさんだった。


「ええ、マーサ」


 私は無意識に答える。


「早速だけれど、朝食にしたいわ。今日は天気がよろしいから散歩が楽しみね」

「そうおっしゃると思って既にカールが用意済みです。お支度を済ませましたら、どうぞ食堂へいらして下さい」

「いつもありがとう、スケルツァンドさん」

「勿体ないお言葉です。貴女様のようなお嬢様にお使いできて、私どもは満足しておりますので」


 マーサはそう言うとスタスタと出て行った。

 私はベッドから身を起こし、いつも通り、クローゼットを開いて着替える。その後、母親譲りのドレッサーの前に座って櫛をかけ、顔を洗って食堂に向かう。


 食堂ではお父さんが座っていた。


「おはよう、フィーネ」

「おはようございます、お父様」


 いつもはここで父とは話さなくなるけれど、今日は違った。


「フィーネ、話があるんだ」

「なんですか?」

「ビルマー君とは別れたまえ」

「どうしてですの?」

「私はね、財産をお前にやろうと思っている。全て君に託そう。だが、あんな悪魔になんかは一銭もやらん」


 私はビルマーに対する冒涜を許せなかった。勢いよく立ち上がって、抗議しようとしたが、父の表情がいつもと違って暗かったので、私は一気に頭が冷えて、座り込んでしまった。


「なあ、フィーネ。私の話を聞いておくれ。

 婚約の話はしたな。お前はそれを拒絶したが、私も一歩も譲らなかった。だがな、私は貧民生まれの奴を気に入らなくて無理やり婚約をさせようとしている訳ではないんだ」

「どう言うことですの?」

「彼から守りたいんだよ。ここに奴の悪事が全て乗っている。見たまえ」


 分厚ファイルを取り出して、こちらに渡して来た。気がつけばカールとマーサは居なかった。

 私は余程のことと思い、息を飲んだ。



 中身を見て私は卒倒しそうになった。

 ビルマーが! あの優しいビルマーが、不倫をしているではないか!

 それだけでない。麻薬を密売したり、我が社の資産を横領したりしている証拠がわんさかある。

 そんな、馬鹿な……だってあの日、彼は……


『貴女に一目惚れ……だったんですよ』


と恥ずかしげに、言ってきた彼はなんだったの!

 貧民生まれの子で必死に働いて中流階級になったとか言う話は? 全て嘘なの?


 震える私の肩に、父はそっと手を置いて語りかけてくる。


「彼の生まれも経歴は本当だったよ。それだけは。でもおかしな話だ。いくら豊作と言えど、農業の借金を一年で返しきり、裕福にさえなりかけていたのだからね。私だって疑うさ。金銭関係は私の本職だからね」


 けれども、私は父を見る事が出来なかった。愛している人が突然消えた様に感じた。

 ああ、この感覚を五年前の父も感じたのかしら。お母様が死んだ時に!



 その後、私はなるべくいつも通りを演じた。カールやマーサになるべく悟られたくなかったから。心配されたくなかったから……。だから、いつも通り父の愚痴を言ったり、散歩をしたりし続けた。

 でも、結局は無理には限界があった。

 ある晩、カールが部屋にやって来て言ったのだ。


「お嬢様、私には分かります。貴女様が嘘をついていることくらい。旦那様が嫌いなわけではないのでしょう? 話して見てください。私が何なりとお聴きします」


 幼少期から一緒のカール。いつも遊んでくれるカール。彼に対しての愛情は家族同然。嘘をつけるわけがない。

 全てを話してしまって何が悪い!



 全てを話すとカールは顔を真っ赤にして怒った。私の分も怒ってくれた。


「復讐しよう」


 彼が呟くのが聞こえた。



 あの日以来、私は自室に籠るようになった。

 私は抜け殻になってしまった。生きる意義を失ってしまった。

 カールは心配して来るが、私は何も答えない。父も泣きながら私をあやそうとするが、何も届かなかった。

 でも、散歩はしていた、不思議と。

 それでも夜が来ると突然感情が湧き上がり、泣き出してしまった。



 ある日、私は散歩にカールを誘った。

 いつもなら田園地帯を歩くのだが、その日は森にした。全ての計画の材料は自身によって揃っていた。

 無意識に自分がステッキと縄を持っていたのだから驚きだ。

 だが、そんな驚きの感情さえもすぐに消え失せてしまう。

 もう、こんな世界に……



















 私はカールに最後の命令をした。


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