第4話
私がガウスさんとフレア王国に来るのは初めてだった。実はガウスさんもまた、フレア王国に来た事はなかったらしい。
私達は駅に停まっていた四輪馬車に乗り、しばらくの間揺られる事になった。幸いにして、捕まえた馬車の馭者はメタリカ語を話せたので、苦労せずに済んだ。
流れ行く景色は決して飽きることのないものだった。建物は基本的に煉瓦造りだった。それも真っ白な煉瓦。メタリカではまず見られないであろうものだ。木造建築物らしきものは全く見られず、メタリカとは異なる外観を醸し出していた。
「お客さん。あっしはメル地方に行くのは勧めませんぜ。というのは、最近良くない噂が立っているんですからね」
私の背後の壁、つまりは馬車の操縦席から声がした
「どんな噂なんです?」
とスーツ姿のガウスさん。
今は堅苦しい格好と丁寧な話し方をするけれど、普段はもっと愛情ある話し方をしてくれる。そんな差から私は特別なんだと感じた。
「いやね、あすこには魔王軍の廃城があったらしくて、化け物がうじゃうじゃいるらしいですよ。あっしは見た事はありませんが、産業革命以前の兵士らでは勝てなかったそうじゃありませんか。そりゃ、素人のあっしらが化け物に襲われたらひとたまりもないってね」
「銃弾は効かないのでしょうか?」
ガウスさんは不安げに尋ねた。
「さあ? あっしに訊かれても……それでもお客さんは行くんです?」
「まあ、仕事ですからね……」
ガウスさんは苦笑いを浮かべて言った。
「そりゃ気の毒に……。そんな事よりどうです、メラスクエアは? 最高でしょう? メタリカには見られないでしょう」
「ええ、こんなに白い煉瓦は普段見る事はないですね」
「わ、私も凄く綺麗だと思います」
「あっしはこのフレア王国で育ったんで、故郷が褒められるとつい、頬が緩みますぜ。げっへへ」
変な笑い方……
それからしばらく、ガウスさんは馬車の中で全く口を開かなかった。手帳や本を開いて読んでいる。
退屈なので、私はずっと窓の外を見ていた。メラスクエアを出るとしばらく湿地帯を走り、続いて砂漠を走った。砂漠と言ってもサラサラの砂が辺り一面にあるようなものではなく、ゴツゴツとした岩場のような砂漠だ。砂漠を超えると森に入って行った。森はだんだんと薄暗くなっていき、道脇の看板が私の目を奪った。
看板には『メル地方へようこそ!』と書かれていたのだが、その下に『今すぐ引き返せ』と大きく塗料で塗りたくられていた。その字体からは書く者の恐怖と焦りを感じさせられた。
私はぞっとせざるおえなかった。
更に進んで行くと森の中に集落が現れた。アルフヘイムに似ているが、根本的に異なるのがいくつもあった。例えば物見やぐらと大きな鉄の門、街中には槍を持った兵士や騎兵が歩いていた。
「ガウスさん……これ」
私は恐怖のあまり、無意識のうちにガウスさんの袖を掴んだ。
「ああ、きな臭いな……」
ガウスさんはそれしか言わなかった。
馬車がメル地方のファンド公爵の屋敷の前に着くと、馭者さんから声がかけられた。
「お客さん、着きましたぜ、メル地方です。あっしはすぐにでも去りたいので、ここで失礼します」
「分かりました。いくらですか?」
「三千ゲルです」
「少し待ってください……はい、丁度」
「ご利用ありがとうござんした」
馭者は暗がりのメル地方の地に私達を残し、去ってしまった。真っ黒な森の中に、遠く輝く馬車のランプが見えなくなるまで見送ると、私達は目の前に佇む大きな煉瓦造りの屋敷を見た。『不気味』という言葉がこれ程似つかわしい物はないだろう。
しばらくすると屋敷の扉が開かれ、大きな太った男が出てきた。彼の目は垂れ下がり、口は緩んでいる。髭は綺麗に整えられているが、髪は長かった。日頃の生活習慣に改善の余地あり、そう思える容姿だった。
「いやいや、遥々来てくださり感謝します。世はファンド オッペルト。ええ、スカイ共和国の公国時代の貴族の末裔です。ささ、外は危ないですから、中に上がって下さい」
屋敷の門を開くとファンドは言った。
「「ありがとうございます」」
私達はその言葉に甘えさせてもらう事にした。
――先程から視線を感じるが、それがそれを更に助長させた。
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オッペルト公爵。その名を俺は初めて知った。手紙にはファンドとしか書かれていなかったからだ。なぜだろうか。
俺達がオッペルト館に入ると、大きなホールが迎えてくれた。手前には二階へと続く階段。右には大きな両開きの扉が、左には片開きの扉が二つ見えた。
俺達は彼に左側の部屋に案内され、更に奥に進み、そこにあった談話室に通された。
「大きな屋敷ですが、我輩の一人暮らしなのです。最近治安が悪く、毎日が不安で押し潰されそうです。ところで隣の女の子は?」
オッペルトはこの質問をするためにずっとタイミングをうかがっていたように思えた。
「私はエリーゼと申します。ガウスの助手を務めています!」
エリーゼはきちんと挨拶をしていた。震える手を除いては。
「ワッハハ。カルマートさんは助手を雇うのですか、女の」
しかしそんなエリーゼの震えに気づかぬオッペルトは、小馬鹿にした様笑った。
俺はこいつの事を好きにはなれんな……
「ところでオッペルト公爵」
「敬称は付けなくとも構いませんよ」
「では、オッペルトさん。質問をいくつかさせて下さい。外の兵士ですが、あれは何故ですか?」
「魔王軍の魔物ですよ。ここらではMC。マインドコントローラーと呼ばれています。そいつらが領民を食すのです。我輩は仕方なく、とあるギルドに頼み、出兵させているのです」
「なるほど……」
「ところでカルマートさん。今から魔王城の廃墟にご案内しましょうか?」
「いえ、遠慮します。現在はフレア王国の標準時で二十時を過ぎています。魔物に囲まれては堪らないでしょう」
「分かりました。では、二人の部屋を案内しましょう。今日はそこで休んでいただき、明日の朝に行くことにしましょう」
オッペルト公爵は席を立ち、俺達を二階へと案内した。
♢
ホールの階段を登り、右手前の扉を進み、更に廊下の手前にあった部屋に通された。その部屋は広く、二人分程の大きさがあった。大きなベッドが二つあり、衣装箱や仕事机が備え付けられていた。
「どうぞ、この部屋をお使いください。我輩の寝室は先ほどの扉を出て、そこから見える正面の扉がそうです。何かあれば、内線電話もありますが、来ていただいても構いません」
「お気遣いありがとうございます」
俺はお辞儀をした。
「ありがとうございます」
俺を見たエリーゼもお辞儀をした。
俺は早速寝る事にした。
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