エリーゼ誘拐事件
第1話
シーテの気候も暖かくなって来た。それは俺がメタリカに来てから六年が経とうとしている、という事を意味する。
目が覚めた。俺はベッドから出て、スリッパを履いた。
唐突であるが、この一年。俺の寝室には家具が増えた。書類の入った棚や仕事机、その他の仕事道具等だ。理由は簡単だ。オフィスに使っていた部屋をエリーゼに明け渡したからである。
話を戻そう。扉を開けるとエリーゼが料理を作ってくれていた。部屋中に美味しそうな香りが充満しており、俺は極度の空腹感に襲われた。
「おはよう、エリーゼ」
「おはようございます、ガウスさん。今朝、手紙が届きましたので、テーブルの上に置いておきました」
テーブルの上には上質な紙の手紙が置いてあった。スタンプは帝国議会のものだった。
「食事の時に読もう……」
俺はまず、洗面室に向かった。そこで歯を磨き、顔を洗って髭をそり、寝癖を直した。それらが終わる頃にはエリーゼの料理も完成していた。
「ささ、冷めてしまう前に召し上がって下さい!」
エリーゼはニコニコして言った。
「おや、やけに元気だね。どうしたんだい?」
「ガウスさんに是非とも食べて欲しくって……」
そんなに勧める献立とはなにか。俺は手元の料理を覗き込んだ。目玉焼きとベーコン……普通だな。それから、緑のスープがあった。
それは、マリー婦人とアルフヘイムのレストランで食べたスープと同じものだ。
「このスープはエルさんから教わったものです。代々受け継がれているそうです」
「ふーん。そうか…… 」
エルはやはりアルフヘイムの文化を嫌ってはいないらしいな……
「クスス……ガウスさん、なんだか嬉しそうです」
言われて気がついた、頰が緩んでいた事に。
「そうか? そんな事はないと思うぜ。さて、早速手紙を読んでみるか」
照れ隠しをしながら、俺は言った。
俺は右手元にある手紙を開いた。
『親愛なる我が国民のガウス カルマート殿
貴殿が魔王軍幹部のスケルツォを倒されたという事に、吾輩は敬意を込めて祝福する。おめでとう。
貴殿の知る通り、魔王を追い詰めたのは言うまでもなく、メタリカの軍隊である。そんな軍部から、貴殿にどうしても伝えたい事があるそうだ。
一月二十二日の昼頃にシーテ街1-1-A、旧ファム城に来られよ。吾輩も貴殿に会いたい。
メタリカ皇帝 アルビーニ ササキ』
エリーゼにこの内容を聞かせると、彼女は訊いてきた。
「行きますか?」
「差出人は皇帝だ。断る訳には行くまい」
「私はどうすべきでしょう?」
「留守番だな。依頼人が来たら依頼だけ承っておいてくれれば、それで良い。断られても、構わないよ。それから、相手が不味そうな輩だったら居留守を使っても構わないさ」
エリーゼは現在十六歳(という事になっている)、現世なら高校生だ。つまり、俺は安心して彼女に留守番を任せる事ができるのである。
「分かりました。ところでガウスさん、この後ピアノを聴かせて欲しいのですが……」
「良いぞ。今日は幸い暇だしな」
その日、俺は平和な日常を過ごした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ガウスさんが家を出て、私は暇になった。普段なら魔法学校に行くけれど、今日は日曜日だからだ。
「暇だなぁ……」
私はとりあえず目に付くものーー魔法学校の教科書ーーを開き、勉強することにした。
数時間経った正午の頃。ノックが響いた。ビクッとしたけれど、もう一年もこの家に住むのだから、こんな日常的なものに驚くのはなんだか情けなかった。
ドアレンズから向こうをうかがうと一人の優しそうな婦人が立っていた。
扉を開き、
「どうぞ」
と中に迎え入れ、お茶を出した。
「御宅のガウスという探偵? だったかしら……に依頼を持ってきたの。ガウスさんはどこに?」
婦人の服装から察するに、彼女は大層な身分の出だと分かった。黒く艶やかな毛皮のコートを羽織り、帽子は珍しい魔獣の羽根で飾られていた。メイクは濃かったが、素の姿でも整った顔立ちをしている事はすぐに分かった。特徴的な声は低く、少し異国の言葉の訛りが残っていた。はるばる遠くから来たのだろう。
私が彼女に受けた印象は貴婦人だった。
「ごめんなさい。ガウスさんは現在、旧ファム城に向かわれており、留守であります」
私は謝罪をして、ガウスさんが普段やっているお辞儀を真似た。
「あら、残念ね。まぁ構わないわ。ところで、話したところ、お嬢ちゃんはしっかりしているわぁ。まだ十八に満たないだろう小娘が、ここまで頑張れるとは……おばさんは感心したわぁ。貴女に一つ頼まれて欲しいわ。この手紙を彼に渡して欲しいの」
そう言って、婦人はコートの内側から一枚の黒い手紙を取り出して、渡した。
「はい、承りました」
「それと、もしもの時のために教えるわ。私の名前はラフィン。ラフィン テルールよ。サインホテルに泊まっているから何かあったら伝えて。
それじゃ、またね」
婦人は私にウィンクをし、黒い霧のようになり、窓を開いて何処かへ飛んで行ってしまった。
その畏れ多い姿に言葉に出来ない、恐ろしい感情を私は抱いた。
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