第162話 『東京都放浪記』

 前回の雑文で、長編小説『東京都放浪記』の執筆を約3万8千字でストップしたと書きました。

 確かに挫折したのですが、完全にお蔵入りさせるのも惜しいので、ここに冒頭2話を載せます。

 今回は未発表小説をここにコピペします。雑文ではないので、いつものとりとめのない話を期待されている方はお帰りください。

 すみません。


『東京都放浪記』


第1話『東京都』


 わたしの名前は東京都。

 とうきょうみやこと読む。

 父は東京砂漠。

 母は東京京子。結婚前の名前は京都京子。

 名前に狂い、名前に呪われた一族に生まれた。

 

 この名前のために、わたしの人生は狂わされた。

 小学校時代から東京都、東京都とからかわれ、いじめられた。

 わたしはなんとか不登校を避け、保健室に通って自習して卒業した。

 

 中学校でも同じことをくり返ししそうになった。

 東京都、東京都とからかわれる。

 わたしは戦うことを決意した。

 一番しつこくからかいつづけていた男の子を痛めつけてやろうと計画的復讐を練った。

 犯罪にならないように、女のわたしが強靭そうな男子を倒すにはどうすればよいか、考えた。

 友だちなんていない。

 独力でやらなければならない。


 思いつかなかったので、殺すことにした。

 私は彼の前の席に座っていた。

 授業中に自分の椅子を持ち上げ、敵の頭に向かって振り下ろした。

 狙いははずれ、椅子は彼の机に激突して砕けた。

 殺害には失敗したが、当初の目的は遂げられた。

 クラスメイトはわたしを怖れ、からかわなくなった。

 だが、孤立はますます深まった。

 停学処分が明けて登校したわたしに話しかけてくる者は皆無。

 からかわれることすらなくなり、わたしは完全に無視されたまま、中学校を卒業した。

 孤立したわたしは高校ではどう振る舞うべきなのか考えつづけていた。


 わたしの容姿はすぐれていた。

 高校で東京都、東京都と幼稚にからかってくる者はいなかった。

 楚々と振る舞っていると、男子から告白された。

 全然好きではなかったが、人生初の彼氏を得ようと思い、交際することにした。

 手を握ろうとしてきたとき、嫌悪感が湧き上がってきたが、堪えて彼のなすがままにさせた。


 チューしてきたときにも堪えようとはしたのだ。

 しかし、舌が入ってきたので、我慢の限界を越えた。

 ナメクジが入ってきたように感じたのだ。

 わたしは彼を突き飛ばし、全力で逃げた。

 そのようにしてわたしは人生初の彼氏を失った。


 その男子はスクールカーストの上位にいた。

 わたしの行動は学年中に知れ渡り、またも孤立するはめになった。

 以後、わたしに告る男子はいなかった。

 女子ともうまく付き合えず、高校でもぼっちで過ごした。

 

 小・中・高とぼっちつづき。

 わたしはなにをどうやって生きていけばいいのかわからなくて気が狂いそうだった。

 高校3年、屋上で飛行機を見上げていたとき、天啓が降りてきた。

 あれに乗れ。

 あれに乗って世界を見よ。

 天はそう言っていた。


 父・東京砂漠と交渉した。

 世界旅行をしたいから、100万円をください。

 馬鹿野郎、行きたいなら、てめえで稼げとはねつけられた。

 じゃあバイトする、と答えた。


「うちの会社で働くか?」

 父は水道工事会社の経営者だった。

「うん。なにをすればいいの?」

「パソコンを使って図面を書け。歩合で給料を支払ってやる。資格を取れば、社員にしてやる。100万ぐらいすぐに稼げる。どうせなら、1千万ぐらい稼いで、悠々と世界を放浪してこい」

 わたしは父の会社で働くことにした。

 大学には行かなかった。


 最初の1か月は図面の書き方がわからず、無給だった。

 しかし、CADすなわちコンピュータ支援設計の使い方を飲み込んでから、わたしはガンガンと案内図、平面図、配管図、立面図を書けるようになった。

 3年間働いた後、4年目に給水装置工事主任技術者になり、わたしは父の会社の正社員になった。

 市役所の水道局に通い、給水装置工事の申請をバンバンと通した。

 5年間働いて貯金が1千万円になり、わたしは父に退職届を提出した。


 父はその頃わたしが働き始めた動機をすっかり忘れていた。

 戦力となっていたわたしがいなくなると困るので、馬鹿野郎と怒鳴られた。

 馬鹿はてめえだと言い返した。

「退職金は出さねえからな」

「いらないわよ」

 天啓はまだわたしの脳内で鳴り響いていた。

 世界を見よ。

  

 わたしは出社をやめ、自分の部屋に引きこもって世界放浪をどのようにするか考えた。

 家庭内でもわたしと父は不仲になり、一切口をきかなくなった。

 母・東京京子も名前のせいで地獄を見ながら生きてきたので、父娘の不仲など我関せずだった。


 わたしは考えるのが苦手だった。

 旅行ガイドブック『地球の歩き方』に載っていた格安航空券を扱っている旅行会社に行き、世界を放浪したいのだが、どのようにすればよいか教えてくださいと率直に言った。

「放浪の方法なんて、人それぞれですよ」

「はあ」

「女の子のひとり旅は危険ですよ」

「危険は承知です」

 天啓に従わない方が危険だった。

 生きる指針を失ってしまう。

「最初に行くべき国だけでも教えてください。どこでもいいです」

「私が最初に訪れた国はハンガリーです。親日的でやさしい人々が住んでいるやさしい国でした。ブダペストの鎖橋の夜景はこの上なく美しい……」

 わたしはその場で東京国際空港からブダペスト空港へ行ける片道切符を購入した。


第2話『ゼロ戦とアメリカ共和国人』


 わたしは天啓に従い、飛行機に乗ってハンガリーの首都ブダペストに向かっていた。

 エコノミーの窓側の席に座っていた。

 エコノミークラス症候群にならないよう、ときどき身体を動かした。

 窓の外を見ていると、隣にゼロ戦が飛んでいたので、びっくりした。

 太平洋戦争で日本海軍の主力戦闘機として活躍したあのゼロ戦だ。

 幻覚ではないらしく、他の乗客にもそのゼロ戦は見えていたようだ。

 大騒ぎになった。


「ご搭乗の皆様、本機はただいま旧日本海軍の航空戦闘機に酷似した未確認飛行物体に近接飛行されております。詳細は管制とも連絡を取り合って確認中です。攻撃は受けておりませんので、落ち着いてください。万が一に備え、シートベルトをお締めください」

 というような放送が英語で流れた。

 英語は一生懸命勉強したので、だいたいわかる。


 飛行機はインド洋上空を飛んでいた。 

 わたしはゼロ戦のパイロットを凝視した。

 彼もなにがなんだかわかっていないように見えた。

 タイムスリップしてきたのかもしれない。


 ゼロ戦が機銃を撃ってきたので、ジャンボジェット機は回避し、高空へと避難した。

 現代の航空機はゼロ戦の性能を遥かに凌駕している。

 わたしが乗っている飛行機は逃げ延びた。

 逃亡中、激しく揺れたので、吐きそうになった。

 世界は広く、なにが起こるかわからない。

 わたしは天啓に従って、思いがけない体験ができたことに感謝した。怖かったけれど。

 

 神はいる、と感じた。

 わたしは特定の宗教を信仰していないが、神はまちがいなくいる。 

 心の中が温かくなって、わたしは法悦に浸った。

「オーマイガー」と隣に座っていたどこの国の人だかわからない茶髪の中年男性が叫んだ。

「オーマイガー」とわたしも叫んだ。

「オーマイガー」

「オーマイガー」とふたりで連呼した。

 わたしは神の存在を確信した歓びで叫んでいるのだが、隣の人はゼロ戦から逃れられた安堵から叫んでいるようだった。


「あなたは日本人ですか?」と茶髪の男性から話しかけられた。

「はい」

「ワタシはアメリカ共和国人です。別の世界線からこの世界線へ来ました」

「はあ?」

「ワタシがかつていたパラレルワールドでは、アメリカ共和国と大日本帝国はまだ血みどろの戦争をつづけています。あまりにも人が死にすぎて、文明の進歩は止まり、原子爆弾は発明されていません。あのゼロ戦もおそらくパラレル転換をして、こちらの世界に迷い込んでしまったのでしょう」

 アメリカ合衆国ではなくて、アメリカ共和国?

 なにを言っているのだろうと思ったけれど、話を合わせてみた。

「日本はまだ負けていないのですか?」

「それどころか勝勢です。初戦は真珠湾とロサンゼルス同時奇襲で、我が国は劣勢に立たされ、現在はアメリカ本土決戦をしているはずです。少なくとも、ワタシがこちらに来た半年前はそうなっていました」

 わたしは信じた。神が信じろと言っている気がしたからだ。

「その世界は日本人にとって住みやすい世界ですか?」

「オーノー! 北海道はソビエト連邦に占領されています。そのソ連はナチスドイツに敗勢で、モスクワを奪われかけています。ドイツはベルリンを占領され、首都をローマに移転しました。誰にとっても生き地獄です」


「こちらに来られてよかったですか?」

「快適です。ワタシはかつていた世界のことを書き、作家としてデビューすることができました。いまは出版社の負担で、こちらの世界の取材旅行をしているところです。日本はいい国になりましたね」

 わたしにとっては全然いい国ではない。

「わたしの名前は東京都です。わたしにとってはまったくよい国ではありません。この名前のおかげで!」

「トキオミヤコ?」

「漢字で書くと、日本の首都と同じ名前なんです。からかわれ、いじめられて生きてきました」

「オーノー! お気の毒です。ワタシの名前はパブリー・アメリアですが、いじめられたことはないですね」

「その名前で?!」

「戦争で大変なので、名前なんかたいした問題ではなかったのです」

「よい世界のように感じます」


「この飛行機はブダペスト行きですが、なぜ日本からハンガリーへ行くのですか?」

「ワタシがいた世界では、ハンガリーは消滅しています。ハンガリーだけでなく、東ヨーロッパはドイツとイギリスとソ連の激戦地となり、すべての国がなくなりました。ぜひ見てみたい地域なのです」

 わたしはその世界を想像してみた。

「太平洋戦争だけでなく、第2次世界大戦がまだつづいているのですね?」

「もうその名称では呼ばれていません。世界最終戦争というのが通称になっています。世界人口は5億人を切りました」

 よい世界だと思ったのは取り消す。

 

 ミスターアメリアと話していたら、時間が短く感じられた。

 楽しい空の旅となった。

 こんなに楽しく他人と話したのは初めてかもしれない。

 やはり天啓に従って正解だった。

 わたしの神への信仰は深まった。

 アメリアが別の世界線からやってきた人だという話も信じた。

 

 ブダペスト空港に到着し、アメリアと別れた。

 書き忘れていたが、今日は4月1日だ。

 空は快晴だった。

 わたしは神について考えながら、安宿を求めて空港のトラベルインフォメーションへ向かった。

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