第135話 私的才能論
誤解を怖れながら言いますが、才能とは、ある種の欠落だと思うのです。
あくまでも個人的な見解です。反対意見は多いと思います。
私的意見として読んでください。
才能とは、平均的な人よりはるかに多い脳の発達や天から授かった特別なギフトではないと考えています。
逆です。
平均的な人より少ない欠けている部分や天が与えてくれなかった力が、才能だと思います。
欠落しているからこそ、それを補おうと努力する。
欠けているから別の部分が発達する。
そういうものではないでしょうか。
私には才能なんてものはありませんが、平均的な人より文章を書くのが好きです。
会話によるコミュニケーション能力が足りないので、文章を書いています。
コミュ力が欠落しているから、書くのです。
ずっと書いているから、多少は体裁の整った小説のひとつやふたつは書けるようになりました。
そこのあなた、みらいつりびとの小説なんて、読めたものじゃないと思いましたね?
これでも少しは上達しているのですよ。
いや、そうでもないか。
処女長編『人と豚のハルマゲドン』と最新長編『悪魔少女狩り』を比べると、前者が勝っているかも。
人豚は、全欠落を埋めようとして10年かけて書いたから、それなりのものになったのかも。
悪女は、制作期間1か月ですから……。
どちらも文字数は約10万です。
いま書いているお仕事恋愛長編小説は、最高傑作になるようがんばるぞ!
とにかく私は欠落を埋めるようにして、小説を書き、イラストを描き、音楽を作ってきました。
満ち足りていたら、創作活動なんてしていません。
天才たちも、なんらかの欠落があって、創作を始め、努力し、その成果が世に認められるようになったのではないでしょうか。
証拠は特にありません。
ですが、いまネットで調べたら、同意見を発見することができました。
村上龍先生も、「才能とは欠落である」という発言をされているそうです。
あれ?
私は村上龍先生のファンです。
もしかしたら、ずっと昔に先生のエッセイを読んで、「才能とは欠落」を脳にすり込まれ、いつのまにか先生の言葉であることを忘れて、この雑文を書き始めたのかもしれません。
天才村上龍がそう言っているのだから、才能とは、ある種の欠落なのですよ。
たぶんね。
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