第40話 縄文と弥生
江戸時代の文化と現代日本文化が懸絶しているように、縄文と弥生の文化も懸絶している。
江戸と令和のちがいは現代人にとってわかりやすいが、縄文がどのように弥生に変わったのかはわかりにくいし、想像するしかない。
ネットや文献に頼らずに、どのように変化したのか想像してみよう。僕の乏しい知識に基づく想像なので、ファンタジーだと思って読んでください。
縄文人は狩猟採集民で、弥生人は農耕民である。
縄文人は日本列島の原住民で、弥生人は大陸から来た征服民である。
この二つを前提として想像する。
およそ三千年前、朝鮮半島から弥生人が日本列島に渡ってきた。おそらく大陸に住みにくくなった人々が逃れるようにして渡来したのだろう。
彼らは米作りを主とする農耕技術を持つ定住民であった。金属の武器を持ち、一集団の数も多く、縄文人を武力で圧迫、征服した。
縄文人も周囲に栗林を持つ集落を形成して定住していたが、弥生人には抗しえなかった。原住民は奴隷になるか、弥生人に同化するか、移住するかいずれかの道をたどった。
縄文人の土器は縄状の装飾を持つ独自の美術を有するが、弥生土器はつるんとしていて、実用的である。弥生土器の方が使いやすかった。
縄文人は滅亡したわけではないが、その文化は急速に廃れた。故郷を捨てて移住した縄文人も弥生文化の影響を受け、使いやすい土器を作るようになり、場合によっては農耕を始めた。こうなるともう血筋は残っていても、縄文人とは言えないであろう。
このようにして、縄文時代は終わり、弥生時代が始まった。縄文文化とその宗教を愛する者にとっては、つらい変化だったにちがいない。
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