第25話 西郷隆盛

 西郷隆盛ほどわかりにくい人物もめずらしい。

 1日接すれば1日の愛が生じ、3日接すれば3日の愛が生じる。僕は1か月接してしまったがために、死するとわかっていても、もはや西郷とは別れがたい、と誰か忘れてしまったが、言わしめたらしい。その人は薩摩人ではなかったが、反乱軍に属して西南戦争で官軍と戦った。

 坂本竜馬は西郷を評して「鐘のごとき人である。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」と言った。

 また、これは西郷の死後の話だが、器の大きな人は誰か、という話題で誰かが西郷の従兄弟の大山巌をあげた。別の人が弟の西郷従道をあげ、皆が納得しかけた。そのとき生前の隆盛を知る人が、従道など兄の隆盛に比べれば小さい小さいと言い、列席の人たちはその器の巨大さを想像できず、呆然としたという。

 それほどの人間的魅力の持ち主でありながら、策謀家であった。江戸幕府を追いつめるために、暗い策をめぐらせた。戊辰戦争で日本を戦火で焼き尽くし、その焼け野原の中から新しい日本が生まれると考えていた。恐るべき残虐者である。

 そして躁鬱の人でもあった。2度の自殺未遂があり、いくたびも世の中から退隠したがった。明治期には、腐敗し汚職にまみれた新政府から去って、何度か故郷の薩摩で暮らそうとした。政府要人はこの大黒柱を失うわけにはいかないので、そのつど引き留めた。

 征韓論に敗れ、ついに西郷は下野するのだが、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らは震撼した。西郷ひとりで明治政府を倒し得る力を持っているからである。

 西南戦争では、西郷は桐野利秋らに担がれたのみで、幕末に発揮した策謀力を使わなかった。気力を失っていたのかもしれないし、自ら打ち立てた明治政府を積極的に壊す気になれなかったのかもしれない。

 ともあれ、西郷を担ぐ反乱軍は田原坂や熊本城などに足止めされ、破れた。西郷がこの険路を避け、大阪か東京にでも上陸していれば、天下はもっと乱れていたはずである。ついに明治政府は倒れざるを得なかったかもしれない。

 薩摩に敗走し、西郷は「もうこのへんでよか」と言って、輩下に首を斬らせる。生に執着のある人ではなかった。

 僕の西郷隆盛に関する知識は主に司馬遼太郎先生の著作から得たものである。しかし多くの記憶ちがいがありそうで、全部信じてもらっては困る。また、司馬先生は論文ではなく、小説を書いた。演出や脚色が多分に入っていると考えた方がよい。

 蛇足だが、司馬先生は「坂の上の雲」で明治を美しいものとして書いたが、佐賀の江藤新平が主人公の「歳月」では明治期の長州人の嫌らしい汚職を描いた。いつの世も権力は腐敗しがちなもののようである。

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