第7話 村上龍のエッセイ

 村上龍〔敬称略〕を愛読し、尊敬している。龍のエッセイについて、独断と偏見で作文を書いてみよう。

 エッセイの前に小説のことをちょっと書く。「コインロッカー・ベイビーズ」「五分後の世界」「半島を出よ」が特に好きだ。しかし一番好きなのは「愛と幻想のファシズム」だ。主人公鈴原冬二はハンターである。これを読んで僕は狩猟に憧れた。狩猟は、僕の小説の中にたびたび出てくるモチーフとなっている。

 坂本龍一〔敬称略〕との共著対談集「超進化論」もかなり好きだ。

 さて、エッセイだが、たくさん読んでいる。「村上龍全エッセイ」上下巻や「すべての男は消耗品である」シリーズなどだ。

 「消耗品」はかなり長きに渡って書かれたエッセイのシリーズである。アマゾンの紹介文によると、「過激だが明解なメッセージ」「元気と輝きにあふれる挑発的エッセイ」とある。その紹介は半分当たっているが、半分はまちがっている、と思う。

 龍のエッセイが過激で挑発的なのは、ざっくり言うと、若い頃に書かれた約半分だ。後期はしだいに内省的で丸くなり、過激さを失う。消耗品シリーズ最終巻は初期エッセイとは別人かと思うほど作風が異なる。過激ではない。

 僕は過激な頃のエッセイが特に好きだ。

 龍はよく「最優先事項」という言葉を使っていた。

「何を最優先にして生きていくか、それは本来、最も重要な問いであるはずなのに、この国ではそれはなぜか重要視されない」といった具合だ。

 これは小説だが「五分後の世界」ではUG兵士は最優先事項を決め、すぐにできることからはじめ、厳密に行ない、終えると、次の優先事項にとりかかる、というシンプルな原則で生きている。 

 自分が何が好きかわからないやつは、好きなことをすることができない、というようなことも龍はしきりと書いていた記憶がある。

 僕はいちいち納得し、最優先事項についてよく考えるようになった。ブラックバス釣りがしたいときはそれにのめり込み、小説が書きたいときは懸命に書いた。しかし僕は仕事をしなければ食っていくことができないので、好きなことだけをやっているわけにはいかない。生きることが最優先事項だとするならば、仕事を優先するのは正解なはずだ。

 龍は「快楽」についてもよく書いていた。

「朝7時に家を出て夜9時に帰ってくる生活をしている会社員には想像もつかない美しい場所」にいる、などという文章がある。主に南の島だと思うが、僕には想像もできない美しい場所に龍はよく行っていたのだろう。

 鼻持ちならない自慢に読める。しかし僕はそんな龍のエッセイが好きだ。

 僕も可能なら快楽を味わいたいと思う。八ヶ岳や谷川岳に登ったときは途方もなく感動した。でかいブラックバスを釣ったときには痺れた。しかし龍の主な快楽は女やドラッグや金のかかる旅行や美食のようで、僕とは別種のもののようだった。おまえもこんな快楽をしてみたらどうだ、楽しいぞ、どうせできやしないだろうけどな、と僕は行間を読んだ。挑発的だ。

 後期のエッセイは過激さが影を潜めていく。日本がしだいに貧しくなり、挑発的な文章が有効な時代は終わったと考えていたのかもしれない。凋落していくこの国で快楽自慢をするのは品がなさすぎるということかもしれない。

 僕としてはもっと挑発的な文章が読みたいのだが、1952年生まれの龍にこれ以上期待するのは酷というものだろうか。

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