なくしたスマホはちゃんと自分で巣に帰ってくるという話
三衣 千月
2016年、春
スマートフォン。一台あれば、ビジネスにもエンタメにも対応できるマルチデバイス。
三衣氏のスマートフォン歴はそれほど長くないが、そもそもスマホの台頭から普及までが異様に早すぎたのだ。
iPhoneが世間に認知され始めたのが、確か2008年だか2007年。いや、あの頃はまだiPodだったかも知れない。
ともあれ、氏は当初「スマホなんて誰が買うねん」と思っていた。
読者諸賢の冷ややかな目が浮かぶようである。
氏の慧眼のなさに辟易とされていることだろう。
スマホは今や老若男女だれもが持つ必須アイテムであり、これ一つあればおおよそ生活に不便が生じるということはない。
電話、できる。ネット閲覧、お手の物。財布だって持ち歩く必要がない。ナビを任せれば三衣氏よりも的確、かつ親切に目的地まで運んでくれること請け合いである。氏に道案内を頼んだならば、道中のうまいラーメン屋の情報がおまけでついてくる。これはいけない。必要としていない情報の押し売りなど、YouTubeの脱毛クリーム広告の如しである。
だがそれでも、2000年代初頭に、このような未来は想像できなかった。
ネットならばパソコンで見ればいいし、音楽を聴くなら携帯プレーヤーでこと足りた。具体的にはSonyのWalkman,NWシリーズには氏の青春を彩った音楽が詰まっていた。
つまるところ、スマホだからこそ、という唯一性が見いだせなかったのである。
その考えが間違っていたことは、今の情勢が物語っている。
そして使って分かった。ついでに本音が口からこぼれた。
「めっちゃ便利やんこれ」
なんでもできる。
誇張表現でなく、なんでもできる。
――え、音声の編集までできるの? 動画の投稿も? ははあ、ニュースも最新のものが届くときたか。この、なんだか流行ってるゲームも面白いな。
氏の生活はスマホに支配された。
それまでは携帯電話を使っていたが、情報を手に入れる速度、量、全てスマホが上回った。
ここまでが、氏がスマホに浸食された歴史である。
〇 〇 〇
そしてある日、うっかりスマホを失くした。
かばんを見ても、服のポケットを見てもどこにも見つからない。
その日は友人と飲みに行っていたので、店に忘れたかと思い営業時間内にスマートに連絡すべしとポケットに手を入れた。
スマホがない。
当然である。失くしたのだから。
己の間の抜けた行動を自虐とともに嘲笑してから、友人が間違って持って帰ったのではないかとも想像を働かせる。
様々な可能性を瞬時に考察する自らに惜しみない賛辞を送り、さてそれでは聞いてみようかしらんとポケットに手を入れる。
スマホがない。
阿呆である。
しかしそれほどまでに生活の一部、身体の一部として浸透してしまっていたのだと同時に知った。
終電間際ではあったが、別の日に取りに行くのも手間なので飲んでいた居酒屋に戻って仔細を説明したが、店にもスマホは無かった。
友人が間違えて持って帰ったのだろう、と氏は結論づけた。氏から文明の利器を奪ったことを詫びさせねばならぬと決意した。形ある謝罪として、次の飲み代はヤツ持ちだと、勝手に決めておいた。
「さて、と」
一つ伸びをして夜の街に佇む。
ないものはないのだ。焦っても仕方がない。とりあえず帰ってパソコンから友人に連絡を入れるかと当面の行動を決めた。
考えてみれば、友人がもし氏のスマホを発見してこの事態に気が付いたとしても、氏に連絡する手段はないのだ。面白い話である。
スマホがあれば、すぐに連絡が取れる。なんなら、GPSで居場所まで分かることもるだろう。
しかして、氏はスマホをなくしたのだ。つまるところそれは――
「誰にも見つからん、ちゅうこっちゃな」
氏はスマホをなくし、代わりに誰にも捕まらない自由を手に入れた。
どこで何をしているかを、知らせるすべはないのだ。それはつまり、どこで何をしているのかを知る手段がない、ともとれる。
真の自由を手に入れた氏は、なにやら愉快な気分になった。
思えばスマホを生活の一部になじませてからというもの、道行く間もディスプレイとにらめっこしていた時間が多かったように思う。
あえてネオンが彩る街並みを見ながら、ゆっくりと駅まで戻った。
終電はすでになく、氏が立っていたのは大阪難波駅。氏の根城である奈良まではいささか離れていた。
――歩いて帰ってみるか。
氏は自然とそう考えた。
大阪と奈良は地続きなのだから帰れんことはあるまい。電車でもバイクでも自転車でも行けたのだからこの二本の足でもいけるだろうと考えてのことだった。
聡明な読者諸賢はお気づきだろう。氏はふくふくと酔っぱらっていた。正しい判断を下せずにいた。
だがして氏は思う。
正しいだけが人生か。徒労の先にしか見えぬ景色もあるだろう。
近道は、遠回り。急ぐほどに、足を取られる。
始まりと終わりを直線で結べない道が、世の中にはある。迷った道こそが、己が往くべき道なのだ。
大分麦焼酎、二階堂。
先刻まで飲んでいた酒のCMフレーズをぷつぷつと呟いてから、氏は奈良に向けて歩き出した。
数時間ほど歩き、酔いの醒めてきた頭で氏は思う。
「アホか」
阿呆である。
おとなしくビジネスホテルで眠るか、漫画喫茶でだらだら漫画でも読んでいればよかったのだ。
「アホやな」
自分でもよくよくわかっていたらしく、ずんぐりと黒くそびえる深夜の生駒山を前にして氏は後悔した。
ここは諦めてホテルかどこかで休むが吉である。退くべき時は退く。それがデキる男の条件である、と近くの宿を探そうとポケットに手を突っ込んだ。
スマホがない。
「ぬぁッ……」
先刻ご承知の事実を、今一度述べよう。
阿呆である。
絶望を突き付けられた氏は自棄になって生駒山へ向かってずんずん歩きはじめた。
奈良と大阪をつなぐ道はいくつかあるが、徒歩で行くならば国道308号線が最も短い。枚岡駅付近のコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、鋭気を養ってから坂道を登る。
時刻は丑三つ時などとうに越え、山の向こうは少し白み始めていた。
山を越え、東の空から上る陽を眺める。
ご来光の神秘さであるとか、荘厳さを感じるなどいったことは一切なく、氏の胸中は「はよ帰って寝たい」で占められていた。
そこからさらに数時間。
達成感と徒労感をその身に抱えて、ようやく氏は家に帰りついた。
しぱしぱと霞む目に、棒のようになった足。
そこに追い打ちをかけるように、リビングのテーブルで氏を出迎える存在があった。
「スマホ、あるやん!!!」
氏はスマホを失くしていなかった。
そもそも持って出なかったのだ。携帯電話を携帯しない、稀代の阿呆にのみ許された所業である。
氏は深い絶望と誰にも八つ当たりできぬもどかしさを抱え、着替えもシャワーも何もかも投げうって布団に倒れこんだ。
なくしたスマホはちゃんと自分で巣に帰ってくるという話 三衣 千月 @mitsui_10goodman
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます