スマホの精

常盤木雀

スマホの精


 ある日突然、俺の人生は奪われた。

 目が覚めると、自室のベッドの上ではなかった。壁も床も青空の写真が広がっている部屋。天井は真っ黒。茶色い木の枠に黄色い布団の、絵に描いたようなベッド。部屋には数メートルおきに、カラフルな箱が落ちている。

 ベッドから抜け出ると、ベッドは消えた。

 落ちている箱は、俺も知っているスマホアプリのアイコンに似ていた。

 ここはどこなのか、寝ている間に何があったのか、と歩き回っていると、天井から光が差した。

「ユカリ」

 見上げると、天井から、巨大になった俺の彼女ユカリが覗き込んでいた。


 なぜこんなことになったのかは分からない。俺は、スマホに閉じ込められてしまったようだった。それが偶然ユカリの古い端末だったのが幸いだ。

 彼女は、俺の両親のところへ連れて行ってくれた。

 両親は驚き、悲しみ、戸惑っていた。当然だ。自分の息子がスマホに閉じ込められても平然とできる人間は、少ないと思う。今後同じようなことが増えれば、いつかなるかもしれないと覚悟もするだろうが。

「図々しいお願いとは思いますが、ナオ君のお世話をさせていただけませんか」

 彼女が両親にそう言いだした時に、初めて俺は今後の生活が不安になった。スマホに閉じ込められた時点で気付くべきだったが、失念していた。スマホから出られないなら、スマホの中で生活しなければならないのだ。

「未来のあるお嬢さんにお願いするのは気が引けるわ」

「私、ナオ君のことが好きなんです。ナオ君と一緒に過ごしたいって、ずっと思ってました。ナオ君が嫌だったら仕方ないですが……」

 ユカリの言葉に、反省した。それまで俺は、恥ずかしがって彼女に言葉で伝えていなかったのだ。

 俺もユカリといたいと告げると、両親はほっとしたように認めてくれた。高齢な両親には、スマホを扱うのは不安だったのだろう。


 俺はスマホの待ち受けキャラのような存在になっているようだった。

 画面に点灯すると、天井から向こう側が見えるようになる。会話ができる。時間によって食事ができたり、遊び道具が現れたりするが、点灯していないと手に入らない。そして、彼女の指でつつかれたり撫でられたりすると、とても幸せな気持ちになる。


 彼女は本当によくしてくれる。

 初めは、研究所へも連れて行ってくれた。この現象を解明してくれるよう、依頼してくれたそうだ。俺のことは世界中でニュースになって注目されたそうだが、彼女は俺のことを第一に考えて、研究は制御してくれた。毎日研究所に通って、夜は彼女と家に帰る。人間らしい生活を優先させてくれと彼女が訴えてくれたおかげで、俺は年中無休の実験モルモットにならずに済んだ。

 生活は彼女がしっかり管理してくれる。食事を摂り損ねないよう、必ず決まった時間には画面を点灯させてくれる。俺が退屈しないように、できる限り相手をしてくれる。

 数年が経った頃、俺は彼女に、研究はもういいと告げた。研究の成果は出なかった。未だに解決法は見つかっていない。しかし、俺はもうこのままで良いと感じている。彼女がいつも一緒にいてくれる。毎日職場と研究所を往復するのは、彼女は何も言わないが負担だっただろう。

 だから今は、俺の世界は彼女に全て委ねている。彼女が触れてくれ、食事を与えてくれ、時々知り合いにも会わせてくれる。俺からは何もしてあげられないのに。彼女を縛って申し訳ないと思いながらも、彼女が他の男を選ぶようなことは考えたくない。それはただ生活の心配ではなく、献身的な彼女への独占欲だ。

「ユカリ、ありがとう。好きだよ」

 身勝手な愛の言葉に、彼女は微笑む。

 もう君だけがいれば良い。



 ○ ○ ○ ○ ○ ○



 ある日、道端でスマホを拾った。正確には、『見かけた』か。

 落ちているなあと横目に通り過ぎようとすると、声がした。

「そこのあなた! 私を拾って、交番に届けてちょうだい!」

 よく見ると、スマホの画面の上に小さな灰色の女の子が座っていた。親指姫のような大きさだった。

「助けてくれたら願いをひとつ叶えてあげるわ。ねえ、お願い。このままだと我が主が困ってしまうのよ」

 古にはランプの精の物語があるが、現代ではスマホにも精が宿るのだろうか。

 そうした経緯で、私はスマホを拾って交番に届けた。

 もちろん、願いの交渉は行った。


 私の願いはただ一つ、恋人であるナオ君を手に入れたいということだった。

「うーん、そういう抽象的なことはできないの。だって、恋人なんでしょう? それ以上に、どうしたら『手に入れた』状態になるのか分からないもの。もっと具体的にしてちょうだい」

 スマホの精は、私の願いに注文をつけた。

「具体的って難しいよ。例えばどういうのが具体的なの?」

「そうねえ。例えば、彼を石像にしてあなたの部屋に飾ることはできるわよ」

「それは困る。私は生きたナオ君がほしいのであって、石像があっても意味がないよ」

「人の願いは難しいのねえ」

 精と会話するうちに、ふと思いついた。

 このスマホの精のように会話できて、常に一緒にいられて、愛を伝えられる方法。しかし、精では私から離れてどこかに行ってしまうかもしれない。

「彼を、スマホの中に閉じ込めることはできる? 話したり、一緒に遊んだり、そういうことはできる状態が良いのだけど」

「それならできるわ。まかせて!」

 精は胸を張って答えた。


 翌朝、古いスマホ端末を充電して電源を入れると、懐かしい画面が表示された。青空の写真。ナオ君との三回目のデートで撮ったお気に入りの写真だ。そして写真の上には、ナオ君がいた。

「ユカリ」

 名前を呼ばれた。背筋をぞくりと何かが走る。

 この人には私が見えているんだ、と思った。狭い世界の中で、私だけが見える。私を見てあんなにほっとした表情をして。

 それでも私は、感情に負けなかった。彼をご両親の元へ連れて行った。今後彼と過ごすには、信頼が重要だ。それに、彼のご両親の許可もあった方が良い。ずっと一緒にいる、実質結婚なのだから。

 ご両親の許可をもらうと、次は有名な研究機関に連絡をした。いたずらと思われながらも、話を聞いてくれる機関をみつけた。そこからは瞬く間に話題になった。初めての現象だというこの状況を解決してくれるよう依頼した。

 私としては、解決しなくても良い。むしろ解決しない方が良い。私が願ったのだから。しかし、『良い彼女』としては、彼を元に戻す方法を探さないわけにはいかない。

 朝起きて、画面を付けて起床させる。食事を食べて、画面を付けて食事させる。顔を洗わせる。時々画面を付けて、遊びをさせる。おやつを食べさせる。夕食を食べさせる。画面に触れて、彼を喜ばせる。画面を付けて、ベッドに入らせる。

 繰り返すうちに、彼が、

「研究はやめにしよう。このままで良いよ」

と言い出した。

 予想外だった。彼がこの生活を受け入れてくれるなんて。

 彼の心情を尊重して、研究を終了させた。研究機関は解決まで続けたがったが、「彼のために」と訴え続けて了承させた。


 私だけのナオ君。

 彼は意外にもこの生活が気に入っているらしい。愛情表現もしてくれるようになった。私が生活の要だからかと思ったが、そうではないようだ。

「今まで、恥ずかしくってなかなか言えなかったんだ。こんなにユカリが喜ぶなら、もっとちゃんと言えば良かった」

と言ってくれた。言わせていたわけではないのが嬉しい。

 彼はすっかり私に依存している。周囲からは、『何もできなくなった彼を支え続ける心優しい彼女』として、悲劇のヒロインのように扱われている。誰も、私がこの状況を生み出したとは思っていない。

「ナオ君、好きだよ」

 指先で髪を撫でると、彼は目を細めて微笑む。

「俺はユカリに何もしてあげられないのに、ごめんな」

「そんなこと言わないで。私は、ナオ君がいてくれるだけで幸せなんだから」

 明日は桜を見せに出かけようか。次の大型連休で彼の友達と会えるよう、計画を立てる時期でもある。

 私だけのナオ君は、幸せでなければならない。私がナオ君を幸せにするのだ。

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