魔法少女は世界を滅ぼす。
千羽稲穂
スマホひとつで。
父から魔法少女を継いで、十年になる。今年で二十四歳。私も良い歳だ。
そんな私は今、目の前にいる少年の頬に手を添えている。まっかに腫らした頬は、先ほど少年の父親から殴られた痕のものだ。少年は私を睨んでいた。かたわらには伏せた彼の父親。私がステッキでえいやっと殴ると、キラキラした光が舞い降り、父親は気絶した。少年が傷つけられているのを見て、いてもたってもいられなかったのだ。そもそも魔法少女というものはそういうものであり、父のように世界から湧き立つ悪意の塊を浄化するものではないのだ。世界を救うには、こういう少年から。
と、思っていたのだが。
「出てけ」
少年は敵意をむきだしにして、私の手をはたいた。薄ピンクの手袋が破ける。すぐに手袋は再生するが、破けた先の掌がひどく傷んだ。じんじんと滲む、少年の暴力に優しい笑みを見せる。魔法少女の時は、気持ち悪いくらい幼い声がでて、子どもを慈しむような笑みが自然と表情に広がる。
「もう大丈夫だからね」
「うるさい、僕の父さんに、なんで……」
「あー、ちょっと、勘違いしてるみたいだね。君のお父さんはね、気絶してるだけだよ! 起きたら君を殴ることなんてしなくなる魔法もかかってるからね」
もちろん、魔法のなんやかんやで、だ。人の中の悪意は、私の魔法で消せる。世界を浄化するのが、私の一族の仕事だ。そのせいかは知らないが、歴代の魔法少女は悪意の塊を受けて、みな短命だった。父もそのひとりだ。父はしばしば言っていた。世界を救いなさい、人を救いなさい、と。彼らは私たち同様に生きているのだから。生は尊いものなのだから。自分の命を救ってくれたから、少年は喜ぶはずだ。だが、少年はただ怯えた目で私を見ていた。黒く丸い瞳の中に魔法少女が見える。ピンクで統一されたドレス。ペンダントは大きなハートで、持っているステッキも、先端に小さなハートが行き交っている。空中に浮かぶハートが悪意に反応し、くるくる回っている。ピンクの木漏れ日が、部屋に充満している。
「バケモノ!」
おかしいな。
「僕の父さん。僕の父さんを」
「なんで? 言ったじゃん、どうして」
「どんな人だろうと、僕を傷つけようと、僕を泣かせようと、殺そうと、僕の父さんなのに」
悪意が満ちている。早く浄化しなければならないのに、少年の目からとめどなく流れる涙をじーっと見てしまっていた。
悪意の塊は黒々しく、巻き込まれると廃人になり、食も断ち、いつしか死に至る。その悪意の塊を私は払う。廃人は、元の生活を送れるようになるし、善良な市民として生を謳歌する。この時の周囲の賞賛。涙を流して感謝する人々。私や父はたくさんの人達を救った。少なくとも私の代では一国も救った功績もある。
目の前の、少年の涙は悪意の塊だ。私に向けた、言われのないものであるはず。
「どうして? きみのお父さんは、きみを殴ったんだよ?」
とめどなく、少年の瞳から涙が零れ落ちる。透明な艶のある雫が頬をぽろぽろ伝う。少年は気を失った父に駆け寄り、頭を抱きしめた。私から守っているかのようだ。
「わかった。きっと悪意がそうさせてるんだね。かわいそうな子」
魔法少女スマイル、まるで営業スマイル。
「約束する。きみのような子をつくらないために、悪意を根絶やしにするよ」
私は、ステッキを握りしめて、飛び出した。薄ぼけたアパートの一室から、宣戦布告をする。悪意は全て根絶やしにする。そんなこと不可能だと言うことに、二十四歳、中身は留年学生であっても分かるだろうに。まぁ、きっとこれはただの言い訳に過ぎないことなんて分かっている。
〇 〇 〇
学業に身が入らない。魔法少女にも、そんなに力を入れられていない。宙ぶらりんのペーペーの私。ただの普通の学生で、留年してて。なんにもない。しがない身分で世界を日々救っている。
父が託したのは、最新のスマホだけ。魔法少女だって現代化しなければならない、と意気込み父が存命の時にスマホで変身できるようになったのだ。
ポチッと押すだけで、ぱわわわわぁ、と変な効果音と無駄に豪華で煌びやかな光が私の体にひっつく。ぽんっと胸元に何かが咲いたと思えば、ハートのブローチができ、右手左手にリボンが巻かれたと思ったら、こちらは薄ピンクの手袋、くるっと回れば体は十四歳、ドレス着用のぴちぴちのあの頃の私に戻っている。父の場合は、性別すらも変わっていたのだから、私の年齢が若返るのも魔法少女の特権である。
スマホひとつで、魔法少女に変身できる。そして、魔法少女ひとりで世界は救える。
悪意を払うのはステッキで。ハートが飛び交うステッキの先端でぶん回せば、悪意なんてすぐに消える。その場は消えるが、次から次に悪意はキリがなくて。父もそうだったが、これはただの作業に変わっていった。例えるなら、庭の草をぬくよう。めんどくさいと思いつつ、草を抜く。悪意を払う。ただ、魔法少女のお歴々がそうしているから、そうする。
悪意にキリがないのは、あの少年のように、悪意を生みだす人がこの世に大勢いるから。そもそも悪意を出さない人なんていないんだ。
うん、だから、世界を滅ぼそうと思う、本気で。
あの少年のことはただのきっかけに過ぎないのだ。
〇 〇 〇
週末。世界を滅ぼす旅に出た。父もいないし、私もきっとすぐに死ぬだろうし、もうどうでもいい。とりあえず、世界の力を握っているアメリカから滅ぼしにかかった。
ポチッとスマホを押して魔法少女になる。ためにためていた悪意を降り注ぐと、大陸中の人々が喧嘩しあった。いろんなスイッチがおされて、南半球の地面は更地になった。
その日、私の家をご近所さん包丁や、長い槍や、どこから出てきたのか分からないが拳銃なんかで、武装して、乗り込みめちゃくちゃにした。私は空の上からその様子を見て、恐ろしさに震えた。これまでしてきたことは、無駄に思えた。
次の週末、残った北半球を、潰しにかかった。
ポチッとスマホを押すだけ。
人間がひとり生きているのを確認すると、ステッキに残っていた悪意をふりかけた。ハートのステッキは黒ずんでいた。悪意の塊に憑依された人々は倒れていった。その後は知らない。
私の家まで戻ると、軍が見張っていた。家を失ったことをようやく気づいた。眠りにつける場所をとられたのだ。悪意に私は辟易として、今度は武装したそいつらに悪意をぱらぱらとふりかけた。光は黒々しく変化していた。ハートは重々しく地面に叩きつけられた。軍は内部から抗争を繰り返す。
ポチッとスマホを押して。
知らないうちに、私の姿は黒いドレスを纏った魔女のような姿になっていた。黒のベールがかかり、不敵な笑みを浮かべ、下界にいる人間をひたすら殺している。人間の悪意は終わらない。私を恨むごとに増えていき、それをふりかける。そして、また悪意が生み出される。
人間が減り始めると、悪意にブレーキがかかった。湧き立つ悪意は次第に乏しくなり、私に向けるヘイトも薄れていく。世界に静寂が立ちこめて、誰の息づかいすらも感じられなくなった。南極に逃げ込んだ人間の草を抜き、宇宙ステーションにいる塵を払った。
耳をすましても、人間の声が聞こえなくなった。
〇 〇 〇
誰もいなくなった朝、私は黒いヒールで世界を練り歩いた。喪服のようなレースのドレスに手袋。灰色の傘を開けて照りつける太陽から白い肌を守り、赤い口紅がついた唇で世界に微笑む。
目の前にはあの日放置した薄ぼけたアパートがあった。あたりは更地になっている。誰の影も見えない。人も動物も砂と化し、息づかいはあのアパートの一室にいるひとりのものしか聞こえない。
アパートの一室に入り、靴を履いたまま土足で上がった。こつ、こつ、と最後の息づかいに近づく。
「久しぶり」
少年はまだ父親を抱きしめていた。骨となった父親を、きつく抱いていた。暴力をふるっていたはずなのに、世界が終わるさまをここから見ていたはずなのに、ここから一歩も動かなかった。あえて、ここを残していたのだが。
「バケモノ」
少年の口から弱々しい言葉が零れ落ちる。もう数日ご飯も、水も口にしていないなら、言葉すらも乾燥している。終わった後の世界なのだから、なおさら意味の無い言葉。
「バケモノらしく殺しにきたんだぁ」
私は少年に向き合う。
「君が最後の悪意だよ」
すると、少年の瞳から涙が艶めいた。頬になぞる様は雨のようで、抱きしめた父親に降り注ぐ。
なぜか、美しく感じた。
私の父も魔法少女をしていた。そんな父をこの少年のように、抱きしめられるだろうか。父は魔法少女で性別すらも偽っていたし、私も既に私ではないものになっているし、世界もとっくの昔に滅んでいる。それなのに、少年は一心に私に悪意を向け続け、無駄なのに父を想っている。
私は、この少年のようになれない。
この少年の悪意は、本当に悪なのだろうか。むしろ、私の方が最初から悪だったのではないだろうか。
誰かを一心に想う悪意に、悪と決めつけたのは誰だ。
殺せなかった。殺したくなかった。体が強ばっていた。悪意に殺された父を抱きしめている私を見ているようで、少年を愛おしく想ってしまった。
散々だった。なんで、この世界は父を殺したのだろう。私は少年のように反抗しなかったのだろう。
バケモノ、と父に言ってやればよかった。世界なんてどうでもいい。バケモノでも傍にいてほしい。
まだ巻き返せるだろうか。一回終わらせたけど。私を取り戻すことは出来るだろうか。
父が亡くなり、私が魔法少女になって十年経つ。今年で二十四歳。普通の女の子に戻ろう。
スマホひとつで魔法少女に変身できるのなら、スマホひとつで世界だって取り戻せるはずだ。
ポチッと、私は今、世界を取り戻すボタンを押した。
魔法少女は世界を滅ぼす。 千羽稲穂 @inaho_rice
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