第38話 黒い雨を掻い潜って

 筋肉の躍動を憶える引き締まった四肢に、たてがみの一本までもが精緻せいちに模写された獰猛な頭部。

 そして背中にえ立つその翼は、目一杯広げれば、銀幕の直径を覆い隠してしまいそうだ。

 華麗に色彩を施せば、お伽話にでも出てきそうな神獣とか精霊とかと見紛うかもしれない漆黒に染められた悪意の塊———そのコアが、段々とボクたちに近づいてくる。


 コアが兇悪な口が開き、黒い牙をさらけ出した。

 そして短い咆哮。


『グガルルルルルルルォォォォ———!』


 強烈な雄叫びが耳朶を打ち、お腹の底にズシンとのし掛かる不快な重圧プレッシャーを与えてくる。

 首をゆっくりと左右に振り、誰もがたじろぐのを悠然と見回したコアはそのまま翼を大きく羽ばたかせた。

 突風とともに翼の先から小さな黒い塊が溢れ出す。落下中、黒い丸い塊が少しずつ形を変え、先ほどまで地上で交戦していた小さな黒い犬へと成長を遂げていく。


 間髪おかずコアが翼をもう一振り。

 見上げると薄暗い空間は、降下中の無数の小さな敵で埋め尽くされていた。


 先に地上に到達した突風に、地上のヴェルナードたちは腕で顔を覆う。空中停止ホバリングしている航空部員ボクたちも、暴れ馬のように揺れる機体を御して、なんとか体勢を立て直す。


 荒ぶる風が収まるのとほぼ同時に、ヴェルナードが負けじと叫び返した。


「———皆、恐れるな! 敵が下降してくるぞ! 迎撃体勢を整えるのだ!」


 芯の折れないその声音が、全員の闘志を燃やしていく。

 それぞれが剣を構え、操舵グリップを握りしめ、次の行動に備え出し、覚悟を秘めた瞳で黒い雨を見上げ始めた。


 クラウスが空中停止ホバリング状態からヒラリと見事な機体捌きで、ヴェルナードの隣に横づけする。


「……ヴェルナード様。航空部員俺たちコアを引き受けます」


「あのように際限なく敵を生み出されてしまってはキリがない。……頼めるか、クラウス」


「もちろんです。ヴェルナード様、落下してくる敵にお気をつけを。———いくぞ! 航空部員俺たちであの親玉を撹乱、攻撃する! 全機ついて来い!」


 そう言い終わるや否や、クラウスの人翼滑空機スカイ・グライダーから光がほとばしる。

 そしてコアに向かって急上昇。

 ボクたちも「遅れをとるな!」と言わんばかりに、先頭を飛ぶクラウスの後を追った。


 熟練された飛行テクニックで黒い弾雨の中を突き進むクラウスの背中を見ながら、ボクは本当の本当に、心の底から称賛する。


 我先にと銀幕に突入したヴェルナードといい。

 今はコアへとボクらを牽引するクラウスだってそうだ。


『モン・フェリヴィント』の将校月持ちたちは、己の行動で他人を動かす。


 胸や襟に付けられた将校月持ちの紀章なんて、彼らからすればきっとただの飾りなのだろう。『軍』という枠組みの中で構築された、『とりあえず』の階級制度くらいにしか思っていないのかもしれない。

 いざとなれば上下関係や年齢差なんて、そんなことは一切気にすることなく打算や損得をかなぐり捨てて行動する。ただただ、己が「これ」と決断した信念に向かってブレることなく猛進するその勇姿。逡巡することない決断力。その結果、周りが認め与えられた紀章エンブレム


 これほどまでに強い牽引力を放つ人たちを、ボクは今まで見たことがない。


 ———おじいちゃんが見ていたら、きっと感心したんだろうなぁ。


 クラウスが残す緑の軌跡を追いながら不謹慎にも、ボクは家族を思い出してしまった。


 もう戻れるかは分からない、元の世界の優しい家族。

 父さんの口癖に近い小言に、母さんの温かい手料理。そしておじいちゃんと泥に塗れたレーサー時代。


 ボクは頭をブンブンと強く振り、すぐに迷いを左右に散らす。


 胸の奥底にほのかに残る家族のことを思い出せば、それと同時に『モン・フェリヴィント』のみんなの顔も、くっきりと浮かび上がってくる。

 

 ……そっか。もうボクにとって『モン・フェリヴィント』のみんなは、家族と同じなんだ。


 今まで想い感じてきた気持ちがその言葉で、ボクの体の腑に落ちる。

 体の内側からじわりと勇気が染み出してきた。


「……マクリー! ボクらもやるよ! 絶対にみんなの力になるんだ! 加護の力はまだ残ってるよね!?」


「もちろんです! 10人や20人に分け与えたくらいでは、吾輩の力はなくならないのです!」


 先頭のクラウスが右手を掲げてサインを出した。

 ボクとマクシム以外の隊員が降り注がれる黒い雨粒を躱しながら、風の飛礫つぶての発射口を三点バーストから通常の砲口へと切り替える。ボクも防風眼鏡ゴーグルを外し、左のまぶたに緑の照準を作った。


「よーし! 全員散開! コアを取り囲め! ただし隣の僚機にも注意を向けろ。攻撃を受けるようならすぐ助けに向かえ。攻撃も当然大事だが、防御が何より優先だ!」


「「「「「おう!」」」」」


 雨嵐を掻い潜り静寂が支配する薄闇に抜けるとボクたちは、一糸乱れぬ連携を披露する。クラウスの元、訓練された航空部員ボクたちの機敏な動きに翼を生やした獅子の姿をしたコアは、一瞬たじろぐ動作を見せた。


「……前回の戦闘じゃ、いいとこ見せられずじまいだったけどな。悪いがここは、先手は取らせてもらうぜ。———全機、発射!」

 

 隣のクラウスが間合いを切り裂くようにそう叫ぶと、翡翠色した大粒の飛礫つぶてが一斉に、コアに向かって発射された。

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