第10話 夕暮れ時
手続きを済ませると三日後に馬の引き渡しと決まり、ボクらはカトリーヌに礼を言って馬小屋を後にした。
夕暮れ時に並んで歩く、若い二人から伸びる影。最高で抜群の演出だ。
まさか……馬を選ぶのにそんな深い意味があったとは。
耳の火照りがまだ取れない。それはジェスターも同じ様で、ボクがちらりと顔を向けると、染めた頬を横に背けた。
……本当に。マクリーが眠ったままで、本当によかった。
昼間の飛行訓練でお疲れのマクリーは、リュックの中でご就寝中だ。
……まあ、今マクリーがひょっこり起き出しても、そこら辺の大木にリュックごと叩きつけて、気絶してもらうだけだけどね。
何たってこんな美味しいシチュエーションは、生まれて初めてなのだから。がっつかないで慎重にいかないと。ボクだって健康な16歳の女の子。バイクやボートは超大好きだけど、もちろん恋愛事にだって人並みに興味はある。
少しだけ前を歩くジェスターが、不意に振り向いた。その視線がボクを射抜く。
そして逞しくなったその両腕で、荒々しくボクの肩を掴んできた。
これは……まさか……まさかぁぁぁ……!
「……なあ、カズキ」
「ひゃ、ひゃい!」
声が上擦ってしまった。
できる事なら時を巻き戻したい。かわいい声で「はい♡」とか言い直したい。
だけどこれはボクの人生で最大のチャンス。今が正念場だ。この先において、こんな甘〜いイベントは発生しないかもしれない……自分で言ってて悲しいけど。
なのでここは仕切り直しはしない方がいい。———このままGO! だ!
ジェスターの顔がゆっくりと近づいて来た。
ち、ちち、チッスくらいなら……。
「カズキ……あの馬の名前なんだけどな。俺、カズキに名前をつけて欲しいんだ。…………ってカズキ、聞いてるか? なあ、なんで目、閉じてるんだ?」
「……………………な、何でもないよぅっ! 目にゴミが入っただけさぁ!」
バカ! ジェスターのおバカァ! このニブチン! ボクの純情な気持ちを返しやがれぇ!
そしてまたもキタ! 名前付けイベント再々発生! ……ホントもう勘弁してぇ!
ムーディーな雰囲気は、すでに夕焼け空高くに霧散してしまった様だ。ジェスターはキョトンとした顔でボクを見ている。空気が抜けた風船の様にボクのトキメキも、しょんぼりしおしおと萎え始めた。
「じ、ジェスター。ボクね、名前を付けるのが超苦手なんだよ。隊の名前だって悩んだ末に、結局隊員につけてもらったくらいだからね」
「……それでも、俺はカズキに名前をつけて欲しい……お願いだよ!」
そんな真剣な眼差しで言われれば、断れない。
……ただその眼差しを、今だけは違うベクトルに向けて欲しかったけどねっ!!
仕方なくボクは考える。しばらくう〜むと頭を捻り、何とか一つの言葉をひねり出した。
「め、メグマーレ……」
「メグマーレ……メグマーレか! いい! とってもいい名前だ! 気に入ったよ! ありがとうカズキ!」
「い、いえ……」
やはり咄嗟に出てくる事なんて、ボートレース関連の言葉しか思い浮かばない。
メグマーレの元となった「恵まれ」とは、先頭のボートが失格などになって繰り上がりで一着になる事を言う。
ボクと一緒にいた事で
まあそれに「恵まれ」って言葉自体も、いい意味でしかないからね。
新しい馬と手に入れて、名前も決まり喜ぶジェスターの顔を見ていたら、何だか毒気が抜かれてきた。自然に顔が
……うん。まだジェスターとは、これくらいの程よい距離感がいいのかもしれないね。
気持ちが
「そうだ! ボクもジェスターに聞こうと思っていた事があったんだよ。……アルフォンスさんとクラウスさんって、なんであんなに仲が悪いか知ってるかい?」
「うーん。俺も噂でしか聞いた事がないけど、クラウス様の親友が、
ボクはヴェルナード邸での会談の時、こっそりと頼まれ事を押し付けられていた。ヴェルナード直々のその頼まれ事とは。
『アルフォンスとクラウスの、仲を取り持って欲しい』
それってボクに頼む事? って思ったけど、ヴェルナードが二人に「仲良くしろ」と言ったところで、それは結局「命令」になってしまい、本当の意味での仲裁にはならない。
『両名とも、カズキを憎からず思っている様だし、其方が間に入ってはくれまいか』
真剣な表情でヴェルナードにそう言われれば「嫌です」とは流石に言いづらい。それにボク自身が発案した、「『モン・フェリヴィント』イメージアップ大作戦」には、空賊をなるべく無傷で捕獲する事が必要だ。
そうなると必然的に航空戦闘部と保安部の連携が肝心要になってくる。
パーヴァリの件といい、アルフォンスとクラウスの件といい、何? このイベントだらけの毎日は。
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