第57話 ボートの活用方法

 人気のない場所でアルフォンスとカトリーヌにも手伝って貰ってボートを荷台から下ろすと、ボクは脇目も振らずボートへとダイブした。


 ……ああ、この肌触り。まさかここでYM-730型この子に会えるなんて。


 ボートレースで使用されるボートの種類は多くない。ヤマハ製YM-730型とYM-740型の二種だけだ。


 ほとんどのレース場で使用されるのはYM-730型で、ボクが訓練で使っていたのもこの型だ。


 船体のカラーリングはレース場によってまちまちで、派手にデザインされたものもあるが、目の前のボートはボクのイメージを具現化したものなので、訓練用に使用されている船体と同じく、白を基調にカウル部分が赤く塗られたシンプルなものだ。

 

 だけど、そんな事は関係ない。


 今、このボクの目の前にボートがある。もうそれをオカズにご飯三杯くらいは軽くイケそうだ。


 ボクは船体を優しく撫でながらボートと対話を始めた。まさに至福の時だ。ずっとこうしていたいとさえ思う。


 皆が胡散臭そうな顔で見守る中、流石に痺れを切らしたヴェルナードがボクとボートとの蜜月の時に割って入った。


「……取込み中悪いのだが、そろそろその方舟の説明をしてくれないだろうか」


「これはレース用のボートなんだ。……見てよ。この美しくて飽きがこなくて愛おしいだけじゃなく、極限まで無駄を削ぎ落とし、ただただ速さだけを追求したボディラインと、この男前でワイルドなエンジンを!」


「う、うむ。カズキの偏った主観による外観の説明は理解した。……やはりそのボートなるものも方舟の形態をしている事から、水上をあのバイクと同じ様に自走するのだろうか」


「もちろんさ! 水の上を跳ねるように走るこのボートの華麗な姿を、皆に見せられないのが残念で残念で残念で残念で仕方ないよ……!」


「確かに『モン・フェリヴィントこの地』は、広い水場がないからな。……してカズキ、主はそれをどうするつもりなのだ?」


 拳を額に当てて心底悔しがるボクに、アルフォンスがちょっとだけ同情した顔を向ける。


「……ボク、この中で寝起きするよ。ベッド替わりにしようかと……」


「仮にも母竜から授かった物を……その様な使い方は承認できない」


 ボクが昨晩考えて考え抜いたボートの活用方法なのに、それをヴェルナードが瞬殺する。


「だってでも! これはボクが母竜から貰ったものじゃんか! ボクの好きにさせてくれよ! 水の上を走れないなら、せめて寝る時くらい一緒にいさせてよ!」


「ならん。ボートそれはカズキが我らの代表として授かっただけだ。其方の所有物ではない。ましてや寝床にするなど、それこそ母竜に対して不敬というもの。許す筈ないだろう」


 全く顔色一つ変えずにそう言うヴェルナードと歯軋りするボクは、額を付き合わせて睨み合う。


 ため息となだめすかす言葉が周りから聞こえる中、我関せずとトコトコ近づいてきたマクリーが、ちょこんとボートのデッキに乗っかった。


「……ってコラ! マクリーだめ! 汚い脚でボートに乗っかっちゃ!」


「……これが母上の創造つくったボート……母上の匂いがするのです……」


「……そ、そうなの。じゃ、じゃあ触ってもいいけど、あんまり変なところ触ったり乗っかっちゃダメだよ。壊れちゃうかもしれないからね」


 遺跡で母竜の思念が消えた時に見せたマクリーの泣きじゃくる顔をつい思い出す。


 マクリーにしか分からない母竜の面影が残ってると言われれば、強くは拒否できない。


 大切なボートにペタペタ足跡を付けているけど、ここは我慢しよう。ボクだって鬼じゃないのだ。


 マクリーが愛しげに目を細め、小さい手で優しく撫でながら船体のデッキをチコチコ歩いていく。


 船体後部まで差し掛かると、剥き出しに付けられているボートの動力機関———縦型直列二気筒エンジンがガルンと始動した。


 ガルガルガルルンと、アイドリングの鼓動が鳴り響く。


「……え、何で? ガソリンも入ってないのに……どうしてエンジンが掛かったの?」


「カズキ、ボートに乗ってください。吾輩コレ、動かせそうです」


「え……いや、マクリーあのね。コレ、陸の上じゃ走れないんだよ」


「いいから乗ってくださいカズキ。早く!」


 少し興奮気味のマクリーの顔を見て、なんとも言えない寂寥感が込み上げてきた。


 ガソリンがないのに動いた理由はさっぱりだけど、母竜の作ったボートのエンジンを、自分が始動させた事がよっぽど嬉しいのだろう。


 ……だけど、地上じゃどうやったって動かないんだよ。


 それでも今は、マクリーの言う通りにしてあげよう。


 ボクがコックピットに乗り込むと、マクリーが膝の上に乗ってきた。その頭を優しく撫でる。


 せめて気分だけでも、このボートが水上を走る姿を味わってもらいたい。


 そう思ったボクは、小さい子供をあやす口調でボートの取り扱いを説明する事にした。


「……いいかいマクリー。この左側にレバーががあるだろ? これはスロットルレバーって言ってね、グイッっと握り込むと……んん?」


 話の途中でエンジンが薄緑色の皮膜に包まれ出した。


 皮膜はエンジンを包み終わると後方から船首に向かってゆっくりと広がり、ボート全体を緑色の輝きに染めていく。


「……え? ちょ、ちょっと、何よこれ……マクリーどういう事? ちゃんと説明して……うわ!?」


 ボクは下から突き上げられた反動でバランスを崩した。


 ……な、何よこのゆらゆら揺れる感じ。……ま、まさか、このボート浮いてない!? 


「カズキ、しっかり掴まってくださいね!」


 マクリーの勇ましい掛け声と同時に、ボートは勢いよく空へと弾き出された。

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