第58話 雲の海
「う、うひゃあああああああああ———!!」
「か、カズキ———!!」
ジェスターの叫び声はあっという間に聞こえなくなる。
ボクらを乗せたボートは斜めに上昇を続け、みるみるうちに竜の背中が遠のいていく。そのスピードたるや、まるでロケットの様だ。
「どうですかカズキ。母上がくれたこのボートなら、吾輩こんなにも上手く動かせるのです」
「うんすごいよマクリー……ってそんな事言ってる場合じゃないでしょアンタ! ……外! 風竜の外に出ちゃったじゃないか!」
ボートから恐る恐る身を乗り出すと、すでに風竜の東側の断崖が後ろに見える。前方に広がるのは、青い空と雲しかない。
「マクリー戻って! 今すぐバック! Uターン! このまま何処に行く気なのさ!」
「水がないなら、ここで走ればいいじゃないですか」
ボクとは真逆で冷静にマクリーはそう言うと、ボートのスピードが落ち始める。それと同時に緩やかに下降を始めた。
「マクリーのアホー! 下がってどうすんの! 戻るんだって……え?」
確かに今、下からの浮力を感じた。下降はすでに収まっている。心地よい揺れがボートから伝わり、ボクはボートから再度身を乗り出す。
……え? ウソ……ボートが雲に乗っているぅぅ!?
前方には白い雲海が広がっていた。雲の地平線が、蒼然かつ奥深い空との境目をはっきりと作り出し、そのコントラストに目が釘付けとなった。ありきたりの「綺麗」とか「素敵」とか、そんな言葉では
もし天国と言うものが存在したら、きっとこんな景色なのかもしれない。
「早く吾輩に見せてください。母上が
マクリーがくりっくりの目を大きくして、嬉しそうにボクに向ける。
……うん、事情や理屈はもういいや。何で雲の上に乗れるかなんて、考えたって今のボクには分からない。
それならば、マクリーの願い……いやさ、ボクたちの願いを叶えようじゃないか!
ステアリングホイールを右手に構え、左手でスロットルレバーを半分程握り込む。
エンジンがそれに応えプロペラを回転させると、薄緑の光を纏ったボートは力強く走り出した。
しばらく乗り心地や操作感を確かめた後、スロットルレバーを全開まで握り込む。ボートはさらに加速をして雲を切り裂きながら、雲を跳ねる様にして走ってゆく。
ステアリングホイールを左右に切れば、雲を高々と掻き上げてボートは方向転換する。まるで水の上と変わらない疾走感に、ボクは歓喜の雄叫びを上げた。
「うひょおおおおおおお! きんもちいいぃぃー! すごい……すごいよ! この世界でまたボートに乗れるなんて……もうボクはいつ死んだって悔いはない! 雲の上最高! マクリーも最高! 母竜様、バンザーイ!」
「……まだカズキに死なれちゃ吾輩、困るのです」
ボクの言葉に反応してそう言うマクリーは、すでにボクの膝の上にはいない。
ステアリングホイール越しに前を向き、嬉しそうに口を開いて小さな牙を見せている。今のボクはマクリーを両手で挟み込む様な形をとり、中腰でボートを操縦しているのだ。
果てしなく広がる雲の海を自由気ままに暴走してると、並走している風竜から馬蹄の音が微かに聞こえた。ヴェルナードたちが馬に乗り、風竜の断崖まで駆けつけて来るのが見える。
「おーい! おーい! ここだよー! 見てくれよコレを! すごいだろ! これがこのボートの本当の姿さ!」
蛇行をして雲の飛沫を高く上げ、ボクはここだとアピールする。
この距離からだと表情までは分からないけど、きっと驚いているに違いない。
「ふぅ……吾輩もう疲れたのです。そろそろ戻りましょうか」
「えぇ!? もう? まだあと半日くらいは、ここでボートに乗ってたいんだけど」
「そんなに吾輩の力が持つ筈ないじゃないですか。さ、帰りますよ」
……ああん、もう終わりなのか! ……ちぇ! でもまた明日にでもマクリーのご機嫌を取って、ボートに乗せてもらおうっと!
ボクがゆっくりと減速すると、ボートはまたもフワッと浮いて風竜の方へと飛んでいく。
———最初と同じ、物凄いスピードで。
「……ねえ、マクリー君。嫌な予感がするんだけどさ。来る時は下が柔らかい雲の上だったからよかったけど、君は一体どうやってあの風竜の上に戻る気なのかな?」
「……そう言えばそうですね。さすがカズキ、吾輩の継母です。……初めての操作でピタっとなんて止まり方は分からないし……吾輩、どうすればいいですか?」
「ちょ、ちょっと! 『どうすればいいですか?』なんてボクに答えを求めてきたって分かる訳ないだろ! なんで帰る時の事、何も考えてないんだよ! マクリーのアホー!」
「吾輩ばっかり責めないでください! 吾輩、カズキの喜ぶ顔だって見たくてやったのに! ……減速は出来るので、砂地目掛けて着陸しますよ。まあ死ぬ事はないですよ」
「ちょ、ちょっと待って! それじゃボートが壊れちゃうじゃないか! ボートが壊れたらボクは死んだも同然だよ!」
これは決して大袈裟な事を言っている訳ではない。
ずっと恋焦がれて二度と会えないと諦めかけていたボートが壊れたら、ボクの心も壊れてしまうだろう。
……最悪、船体は多少なら壊れてもいい。製造部に土下座でも何でもしてお願いすれば、直してくれるだろう。
だけど、エンジンだけはダメだ。絶対に死守しなければ!
「……あ、あそこ! マクリー! 目一杯減速して、あの東の森に突っ込んで!」
「なるほど、木をクッション替わりにするのですね……やってみます」
ボートは大きく迂回をして、減速しながら東の森を目指して下降をする。確かに結構スピードは落ちてはいるものの、ストンと着陸する様な勢いではない。
「カズキ……これが限界です」
「よくやったよマクリー! 頭低くして伏せて!」
ボクは両足で挟み込む様にしてマクリーを守り、自分の頭を両手で覆う。ボートのカウルは高さがないので、目一杯身を低くした。
ボートは船首から森に突入すると枝葉を折りながら減速して、太い枝に挟まる形で不時着した。動きが完全に停止したのをしっかりと確認して、頭をそろりと元に戻す。
……ああ、よかった! 船体は傷ついてるけど、エンジンは無事みたい!
胸を撫で下ろしてボートの無事を喜んでると、ヴェルナードたちが駆け付けてきた。小高い木の枝に挟まっているボクを見て、小さなため息を一つ吐く。
「……まさか二度もこの森に落ちて来る事になるとは。流石に私でも予想はできなかった」
「そんな事言ってないで、早く降ろしてよー!」
ひょっこり顔を出したマクリーを見て、一同から安堵の声が聞こえてくる。
上を見上げたままのヴェルナードに、騎乗したクラウスが近づいてきた。
「ヴェルナード様。この嬢ちゃんたちを
「……
ボクの意思とは関係なくまた異動が決まりそうな雰囲気だけど、今は早くここから降ろして欲しい!
「ちょっと! 早く降りるの手伝って! ……あぁ、枝がミシミシって鳴ったよ! 早くぅぅぅ!!」
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