第56話 心の天秤

 ボクは鼻歌混じりで建物を出ると、マクリーを抱えたまま保安部の倉庫へと急いだ。


 まるで羽でも生えているかの様に、その足取りは非常に軽い。


 マクリーをちょこんと地面に下ろすと、逸る気持ちを抑えつつ、倉庫の扉をゆっくりと横にスライドさせていく。


 薄暗い倉庫内に差し込む陽光が、流線型の美しいシルエットを浮かび上がらせた。


 待たせてごめんよ! ……ボクの、ボクのボート君! 


 今すぐにでも頬擦りしたい気持ちを何とか堪え、重い荷台を引っ張って何とかボートを倉庫から出し終わると、ジェスターが小走りに駆け寄ってきた。


 その後方には先程の会議にいた面々も、ゆっくりと歩いてくるのが見える。


「一人じゃ大変だろカズキ。俺も手伝ってやるよ」


 ジェスターと二人で力を合わせれば、ボートとマクリーを乗せた荷台はコロコロと動き出す。ヴェルナードたちは遠巻きに、まるで保護者の様にボクらの後を付いてくる。


 少し離れた場所では詰所に待機組の保安部員が、訓練の手を止めてこちらを見ながら騒つき出した。

 見慣れない物をうんせうんせと引きながら、後ろには名だたる将校月持ちたちを従えているのだ。注目を浴びてしまうのも当然だろう。

 

 ボクとジェスターはなるべく人目につかない場所を目指して荷台を引く。その最中、ジェスターがちらりちらりとボクを見ている事に気がついた。


「……なーにジェスター。何か言いたい事でもあるのかい?」


「いや……その、カズキの元の世界に戻る方法が見つからなくて、残念だったな……」


「……うん。ま、しょうがないよ。何か別の方法がないか、後でヴェルナードさんにでも相談してみるよ」


 もちろんボク自身、ジェスターに言われるまでそこに触れようとしなかった訳ではない。


『元の世界に戻る手がかり』が地上にあるかもしれない事に一縷の望みを掛け、それを原動力にこの五ヶ月間頑張ってこれたのだ。


 まあ……正直に言うと、母竜様がボートを創造してくれた時にはその事は頭の中からスコーンとすっ飛んでいたし、その後も地上でのギスタたちとのいざこざで、思い悩む余裕など全くなかったのだけど。


 それでも風竜に無事戻り、気持ちも落ち着き冷静に起きた出来事を振り返り、『元の世界に戻る手がかり』が見つけられなかった事実と向き合ってみても、自分でもびっくりするくらいにそのショックは軽かったのだ。



 ———いろいろあって、少し時間を置いたからだろうか。



 元の世界に帰りたくない訳じゃない。だけど心のどこかで「しょうがないかな」と諦められた自分がいる。



 ———ここで出会った人たちとの繋がりや思い出。それらが心の中で次第にその容積を増やしていったからなのかも。



 帰りたい気持ちと名残惜しい気持ちとの両方が、不安定でふるふる揺れてるボクにハッキリ答えなんて出せっこない。


 だけど、風竜での生活———『モン・フェリヴィント』の皆との交流が、深く沈んでいたボクの心を掬い上げ、大きな変化をもたらせている事だけは間違いない。それだけは確信できる。


「……なあ。もし帰る方法がなくてもさ……心配しなくても大丈夫だから。カズキはいつまでもここに居ていいんだぜ。俺が、ずっとカズキの側にいてやるからな」


 視線を合わせず前を向きながら少し頬を染めたジェスターを見て、心の中の天秤がほんの少しだけど、『モン・フェリヴィント』を離れたくない方へと傾いた。

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