第51話 カシャーレとの戦い 〜その4〜

 馬上から身を乗り出し、ヴェルナードを抱き抱えた格好のまま手綱を操り防壁をひらりと超える。


 そしてヴェルナードをゆっくりと地に降ろし、自身も颯爽と下乗をした。


「……げ、げ、ゲートルードさぁん……!」


「皆さん、大変遅くなりました。急いでここから退却しましょう。もう本当に時間がありません」


 混乱真っ只中の砂塵の中から次々と、保安部の騎馬隊が飛び出してくる。

 

 皆、片腕には空馬の手綱を握り、もう片腕で振りかざす剣から風の飛礫つぶてを放出して、砂塵をさらに拡大させつつ防壁を乗り越え集結した。


 何故だか分からないけど、駆けつけた保安部員は全員がずぶ濡れ状態だ。


 そしてすべての馬が微妙に浮いている。薄緑色したお皿の様な物に馬の蹄は乗っかる形になっていて、地面から数㎝位ではあるが浮いているのだ。


 馬蹄の音が聞こえなかった理由はこれなのか。そしてこれも加護の力というヤツなのだろうか? 


 ボクが不思議に見ていると緑の皿はフッと消え、馬の蹄が地面に落ちた。


「人数分の馬を用意してあります。ささ、早く騎乗してください」


 テキパキと指示を出すゲートルードが、今日はとっても輝いて見える。


 いつもは診療小屋で薬品の染み付いた診察服を着て、ぼーっと日和見を決め込んでいる、話し相手になってくれるおじいちゃんの様な、そんな存在だと思っていた認識は改めなければならない。


 ちょっとヤダ。この人こんなにイケてたっけ? やればできる人だったんだ!


 潤んだ目で見ているボクの背中を、ジェスターが何故かバシンと強めに叩いた。


「ほら! カズキも早く部員たちを馬まで連れてけよ! グズグズするんじゃないぞ!」


 痛いって! それにそんな事言われないでも分かってるよ!


 だけど今は口論している場合じゃない。なんだか分からないけどイライラしているジェスターは放っておいて、ボクは体力を消耗している部員たちに手を貸しながら、馬の側まで連れて行った。


「……ゲートルード。本当に助かった。感謝の言葉が見つからない」


「そんなヴェルナード様。……もったいないお言葉です。緊急の手紙に昨夜のうちに気づいていれば、もっと早く駆けつけられたんですけどね……あ、これは失言でしたかね」


「な、なんだと? 主、それでどうやって……」


「詳しい説明は後です、アルフォンスさん。……それでヴェルナード様。荷台を一台引いて来いとのご命令でしたが、一体何を載せるのでしょう? ……ああ、カズキとジェスターを載せるのですかね」


 ゲートルードの視線を追うと壁の向こう側には、リアカーの様な荷台に繋がれた馬が一頭いる。


「いや、アレを積んで戻るのだ。……体力がまだ余ってる者たちで、急いで運べ!」


「あ、あれは一体……な、なんなのですか?」


 初めてみる得体の知れない物に、ゲートルードは驚きを隠せないでいる。一部始終を知らないのだから無理もない事だ。


 胡乱うろんの表情を浮かべるゲートルードに、ボクは胸を張って説明する。


「あれはボクの世界のボートって言う乗り物なんだよ。マクリーのお母さんからボクが貰った、言わば養育費みたいなもんさ」


「さあ! 皆急ぐのだ! 彼らが混乱している今が最大の好機だ。騎乗を急げ!」


 すでに騎乗を終えたヴェルナードがそう叫ぶと、ゲートルードとの会話は中断される。ボクとジェスターがボートを荷台に積み込む作業を手伝っていると、アルフォンスが馬に跨り近づいてきた。


「カズキはその方舟が落ちない様に、荷台に乗ってソレをしっかり支えるのだ。その馬は荷台を引く故、出来るだけ重量を軽くしたい。……ジェスター、主がその馬を駆れ。……できるな?」


「え……お、俺が?」


「乗馬の基本は教えてある筈。主がカズキを守るのだろう?」


「……はい! 分りましたアルフォンス師匠!」


「ジェスター。なんかいつもと逆になっちゃったね。……任せたよ。信じてるからね」


「おお! カズキはしっかりソレを支えていてろ。……俺の背中を信じてくれよな!」


 全員の乗馬が終わると、ゲートルードが連れてきた保安部員が追加の風の飛礫つぶてを数発、砂塵に向かって発射する。


 叫声と砂煙が大きくなるのを確認して、ボクたちは砂煙を迂回する様に南に向けて馬を走らせた。


「べ、ヴェルナード! て、てめえ! 待ちやがれ!」


 ギスタの怒号は馬蹄の響きにかき消され、遠ざかってゆく。


 ボクたちはようやく混沌する戦場から離脱する事ができて、これから全速力のノンストップで風竜へと向かって行くのだが。



 ……そ、それにしても何て乗り心地だよ、この荷台!



 ボートを両手でひしっと押さえ、荷台に座り込んでいるボクはすでに涙目だ。


 多少の段差でも荷台は跳ね、突き上げる衝撃がボクのお尻にクリティカルヒットする。


 だけど、今はそんな泣き事を言っている場合ではない。ジェスターも手綱を握りしめ、皆に遅れをとるまいと必死だ。今は全力で風竜に戻る事が最優先なのだから。


 でも、それまで持つだろうか、ボクのお尻。



『ウオオオオオオオオオオオオオォォォォォォン!!!!』



 ボクがお尻の痛みと格闘していると、空気を引き裂き咆哮にも似た今まで聞いた事がない轟音が、進む先から鳴り響く。


 それは、湿った洞窟に突風を吹き付けた風切り音を、何倍にも大きくした様な音だった。


「———急げ! 風竜の出立は近い!」


 ヴェルナードが叫んだ。ボクは並走するカトリーヌに声を掛ける。


「ねえカトリーヌさん! 今の大きな音は何なんだい?」


「あれは風竜の出立の合図の咆哮さね。風竜は三回鳴いた後、大空へと舞い戻るのさ」


 そ、そんな! もう本当に時間がないんじゃ……。


「大丈夫。まだもう少しだけ時間はあります。……本当にギリギリですけどね……」


 逆側を併走するゲートルードはボクの不安を取り除かせるつもりでそう言ったのかも知れないけど、いつもの失言を自覚していないところから、事態は思ったよりも深刻なのだと痛感した。

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