第50話 カシャーレとの戦い 〜その3〜

 ヴェルナードは、ゆっくりとギスタ陣営に向かって歩を進めていく。


 ボクはその場から駆け出した。考えなんて何もない。だけどあれじゃ死ににいく様なものだよ! 


 ———早く止めないと!


「ま、待ってヴェルナードさん! 戻ってきて!」


「主こそ待つのだ!」


 壁を乗り越えようとしたボクを、アルフォンスの大きな体が受け止めた。


「ちょ、ちょっとアルフォンスさん! ほっといていいの? このままじゃ……は、早く止めないと!」


「落ち着くのだカズキ。これは——ヴェルナード様のご意志なのだ」


「ど、どういう事?」


「昨晩ヴェルナード様は俺だけに話されたのだ。いよいよの時が迫ったら、ギスタだけでも自分が倒すと。頭を叩かれれば残りは烏合の衆だ。その隙になんとか退却して欲しいと。……だから、止めないでくれ」


 絞り出す様にそう話すアルフォンスの口元には、歯形の血が滲んでいた。


 ボクがいくら抵抗してもアルフォンスにがっしり掴まれれば、逃げ出せる筈がない。その間にもヴェルナードの背は、ゆっくりと遠ざかっていく。


「べ、ヴェルナードさーーーーん!!」


「おっと! そこまでだヴェルナード! それ以上は近づくんじゃねえ!」


 ボクの悲痛な叫びを掻き消す様に、太くて耳障りな声が被せられる。

 

 歩みを止めたヴェルナードは、声の主へと返答した。


「……ギスタ。今少し、話ができないだろうか」


「お前らに近づくと、変な玉っころが飛んでくるからな。話ならここで聞くぜ」


 ヴェルナードは少しの沈黙を挟んだ後、目線を逸らさずギスタに言う。


「この遺跡には、この世界の過去の歴史を紐解く為、そして我らがこれから何をすればよいのかを示唆してくれる、重要で得難い意思が残されていたのだ。正当防衛とは言え、貴殿の部下たちを傷つけた事は素直に詫びよう。賠償もできる限り支払おう。だから、この遺跡に関する品々は我らに託し、この場を引いてはもらえないだろうか」


「……俺は世界の歴史になんて、これっぽっちも興味がねえ。明日がどうなろうと知ったこっちゃねえ。今日、腹が膨れればそれでいいんだ。お前らがいくら払ってでも手に入れたい貴重な物ってくらいなら、近隣の集落とかに高く売れるかもしれねえ。ここら辺の土地で手に入れた物は、俺らの物だ。それくらいの理屈、お前だって分かるだろ?」


「……それが貴殿たちに価値がない物でもか?」


「———うるせえっ! それを決めるのは俺たちなんだよ!」


 全くと言っていい程、価値観が噛み合わなすぎる。これ以上の話し合いは無理だ。


 ヴェルナードもそれを感じ取ったのか、一度俯くと右手の剣を胸の前に掲げ、鋭い眼光でギスタを睨め付けた。


「では……最後の頼みを聞いてくれ。私と貴殿、一騎討ちでこの勝敗を決してはくれまいか?」


「おいおいおいおい、これはこれは。……野郎ども聞いたか!? あの『モン・フェリヴィント』の大将から、一騎討ちを申し込まれたぜ!」


 ギスタは両手を広げ、後ろの手下たちに振り返る。


「頭、すごいすね!」


「光栄な事ですぜ!」


 手下たちは一斉にギスタを持ち上げ囃し立てた。その全員が嫌らしい薄ら笑いを浮かべている。


 くそ! くそ! くそぅ! ヴェルナードさんの命懸けのお願いを、そんなにバカにするんじゃない!


「……カズキ、耐えるのだ……主がもし飛び出せば、間違いなく俺まで奴らに斬りかかりに飛び出してしまうだろう。それではヴェルナード様の意思が無駄になる。堪えてくれ。頼む……」


 ボクの悔しさに同調したアルフォンスが、擦れる声でそう言った。


 口から顎にかけて血の筋が何本もでき、両手で掴んだ壁の瓦礫が、今にも握り潰されそうだ。


 ギスタが軽く手を上げると、手下たちは静かになる。そして一人の手下に目配せする。手下は一度奥へ引っ込むと、すぐに一振りの剣を持ってきた。


「……いいぜヴェルナード。その勝負、受けてやるよ。だがよ、お前らがその剣から妙な玉っころで攻撃してくるのを、俺はちゃーんと見てるんだ。勝負は対等じゃねえといけねぇやな」


 手下から受け取った剣を鞘ごと、ヴェルナードの足元に投げつける。


「そいつを拾いな。その剣を使うってんならこの一騎討ち、受けてやるぜ」


 投げつけられた足元の剣に視線を落としたヴェルナードはそれを拾い上げると、自身が構えていた剣をギスタ陣営に向かって放り投げた。


 刃を煌めかせながら弧を描き、剣がギスタの隣にいた手下の足元に刺さると「ひぇ」っと短い声を出す。


 それを舌打ち混じりに一瞥して、ギスタは一歩、二歩と前に出た。


「へへへ。じゃあ正々堂々、一騎打ちといこうか、ヴェルナード」


 両者の距離はまだ10m以上ある。ジリジリと距離を詰めるギスタを見て、ヴェルナードは鞘から剣を引き抜いた。


 と、同時に刀身がボロリと二つに折れ落ちた。


「————————なんて言うと思ったかよ! 馬鹿がぁぁ!」


 ギスタが剣を振り下ろすと、部下が示し合わせた様にヴェルナードへと一斉に襲いかかる。



 ————ふざけるなっ! どこまで汚いヤツなんだよ! 



 ボクはもう限界だ。


 どうせ殺されるなら、あのギスタって奴を一発殴ってからにしたい。


 勢いよく飛び出そうとしたボクの腰を、アルフォンスが必死に止めた。


「は、離してくれよ! 離せって!」


 目を血走らせ狂気を孕んだギスタの手下が、ヴェルナードに迫る。


 ヴェルナードは折れた剣を投げ捨てて、両手を前方にかざす。


 薄緑色の微風が優しく両掌を覆い始め、たちまち螺旋を形成すると二発の風の飛礫つぶてを放出した。


 それが迫り来るギスタの手下たちの足元に着弾すると、激しい砂煙を巻き起こす。


「ヴェルナード———て、てめえ!」


「お互い様だろう」


 砂煙は凄まじく、ボクらの視界からギスタの手下たちを覆い隠した。かろうじてヴェルナードの背中が見えるだけだ。


 風にあおられ癖のある長髪を揺らしながら、ヴェルナードはゆっくりと振り向いた。


「———さあ皆の者! 今のうちに退却を!」


 ボクらの返答を待たずして、ヴェルナードは砂煙に向かって歩いていく。


 このまま砂塵の中に入り、混乱に乗じてギスタを倒すつもりなのだろう。


 確かにそれができれば、手下たちは混乱する。ギスタ以外の命令系統を持たない寄せ集めの集団なのだ。うまくすればボクたちは逃げられるかもしれない。だけど、ヴェルナードは無事で済むはずがない。


 ……こんな、こんな別れ方なんて、絶対にイヤだ!


「べ、ヴェルナードさん———!」


 ボクの呼び掛けに、ヴェルナードは歩みを止める事なく少しだけ振り向いた。


 その顔には見せた事のない、優しい笑みが浮かんでいる。


 砂煙の奥から怒号や歓声や叫声が絶え間なく響き、無数に蠢く影が見えた。


 前方に意識を戻したヴェルナードは、砂煙へ向かい小走りで速度を上げる。


 砂煙に覆われていた影も薄らいで、今でははっきり人影と分かる。


 地面から這い出る亡者の様に、いくつも腕が、武器を持った殺意に満ちた腕が、ヴェルナードに向かって伸ばされた。



 ————いやぁ! やめてーーーー!



 砂煙を切り裂いて一本の腕が、周りの腕を弾きながらヴェルナードの体をがっしりと掴んだ。


 その腕の持ち主は、しっとりと濡れたエメラルドグリーンの髪をなびかせながら、小さな眼鏡越しにヴェルナードを見ると、こう言った。



「———大変遅くなりましたぁ!」

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