第42話 カシャーレという集落

「我らは『モン・フェリヴィント』の民である。カシャーレの集長に面会を願いたい」


 ぐるりと取り囲まれた塀を見上げてヴェルナードが見張りの男にそう告げると、少し時間を置いて堀に橋が下される。


 ボクらは気怠そうに先導する見張りの男の後を追い、集落の中へと足を踏み入れた。


 竜の背とは言え十二分に自然の恩恵を享受している『モン・フェリヴィント』の町と違って、ここカシャーレは貧民窟に近い。外見の作りは刑務所に似ている。


 地上は植物がほとんど育たない土地なので、集落のあちこちに点在する土で固めたかまくらの様なものが、人々の居住スペースなのだろう。当然道も舗装されていない。


 風に舞う土埃が、集落の生活を如実に表す饐えた臭いを拡散していた。


 道端に力なく腰を落としている住人の多くは、栄養が行き届いていないであろう痩せた体に粗末な衣服を纏っている。


 そしてギラつかせた視線を少しも隠す事なく、歩くボクたちに向けてくる。


 しばらく集落を歩くいていくと、地上では貴重な資源の木材で所々補強された一際大きな建物の前まで案内された。

 その入り口に立っていた見張りが建物の中へと入っていく。


 程なくして体格のいい男が、体の大きな護衛を二人従え姿を現した。


「……よおヴェルナード。まだしぶとく生き残っていたのかい」


 つるりと禿げた頭を撫でながら、男は口の端をニィと上げる。 


「久しぶりだなギスタ。貴殿も変わりない様で何よりだ。我々はまた風竜の導きによってこの地にしばし停泊をする。貴殿たちの生活と領土を荒らすつもりは毛頭ない。……これは我々の友好を表す感謝の印だ。受け取って欲しい」


 カトリーヌを始めとした生活部の数人が、運んできた木箱をギスタと呼ばれた男の前へと並べていく。檻に入れられてここまで連れてきた空賊もだ。


 ギスタはその逞しい腕で、木箱の蓋をこじ開けた。箱の中は『モン・フェリヴィント』の畑で採れたレタスに似た野菜や森の木の実、燻製肉などが詰まっている。


「へへ、地上で暮らす俺たちにとっちゃ、大そうなご馳走だぜ。しかも今回はやけに羽振がいいな。ま、遠慮なく頂戴するぜ……おい。例のヤツ、渡してやれ」


 今にも舌舐めずりしそうなギスタが取り巻きに声をかけると、建物から大きな袋が六つ、運び出されてきた。おそらく塩だろうと思う。


 運んできたたくさんの食材とただの塩とが釣り合いの取れた交換なのか、ボクには分からない。だけど文句の一つも出ないところを見ると、これが相場なのだろう。


 カトリーヌが腰の短剣ダガーを抜いて袋の一つを軽く突き、刃先に付いた顆粒を舐めて確認する。


 中身に問題ない事をカトリーヌが頷き示す。それを見たヴェルナードは「いつもすまない」と小さく謝辞を述べた後、ギスタに視線を戻した。


「今回はもう一つ頼みがある。確か以前、このカシャーレの北に二国間戦争時代の遺跡があると聞いた事がある。その遺跡を調べさせてもらえないだろうか」


「……おいヴェルナード。お前、何を企んでやがる?」


 さっきまでの作り笑いから一転、ギスタの顔が気色ばむ。周りの取り巻きたちも、警戒の色を浮かび上がらせた。


「勘違いしないで欲しい。我々は貴殿たちとの友好を裏切るつもりも、生活を脅かすつもりも一切ない。ただ純粋に過去の歴史を探究し、これから同じ過ちを犯さないために後世に紡ぎたいのだ。決して貴殿たちに迷惑はかけない事を約束しよう」


「……だがよ、あの遺跡は俺たちがこれでもかってくらい調べ倒して何もなかった場所だぜ。そんな所に何もある訳ないと思うがな。……おい、ヴェルナードてめえ。まさか何かオイシイ情報でも掴んだんじゃないだろうな?」


「そんな情報は知る由もない。遺跡から我々が現在知りうる過去の伝承に結びつく確証が、見つからないかと思っているだけだ。私欲の為では決してない」


 ヴェルナードを見るギスタの目はとっても懐疑的だ。刺さる様なその視線を受け流し、ヴェルナードは小さく笑う。


「それにこちらが用意した物資は、その分の礼も上乗せしてるのだが。もし受け入れてもらえないのであれば、当然譲渡する分量は見直させてもらう」


「てめえ、今回はやけに羽振りがいいと思ったら、そういう魂胆だったのか」


 ギスタは目の前に並べられた食材入りの箱と空賊の捕虜、そしてヴェルナードの顔を交互に見比べ値踏みをする。


 しばらくすると険しい表情が少しだけ解れた。


「……仕方ねえな。じゃあもう一つ、融通を訊いてもらうとするか。俺はデカイ女に目がなくてな。その女を一晩、俺に預けるってのでどうだい?」


 ギスタがカトリーヌを指刺して、卑下た笑いを顔一面に浮かべ出す。


「……へぇ。アンタ、アタシを満足させてくれるってのかい?」


「彼女は俺の妻だ。変わりと言っては何だが、俺が主を満足させよう。……文字通り、天に昇らせてやろうではないか」


 いたずらっぽく受け流すカトリーヌを庇う様にアルフォンスが前に出て、剣の柄に手をかける。


 ニヤつくギスタとは対照的にアルフォンスの目は真剣そのものだ。最愛の妻を守る為に立ちはだかるアルフォンスが、三割増しで男前に見える。


 ……ちょっとヤダ。アルフォンスさん、意外とかっこいいかも。


 ジェスターも目をキラキラさせながらアルフォンス師匠を見つめている。


「……へっ。男持ちか。ならしょうがねーな。『モン・フェリヴィント』の皆さんは、俺たちにとっちゃ大切なお客さんだ。こんな事でもめちゃいけねえや。……代わりにこのボウズで勘弁してやるよ。俺はどっちもイケるんでね。お前、そっちは経験ないだろ? 俺が今まで知らなかった世界に連れてってやるぜ、おい」


 ギスタの視線を皮切りに、皆の目が何故かボクに向く。


 …………ん? え? ボク?


 言葉の意味がようやく頭に浸透すると、怒りがふつふつと湧き上がった。


「ふ、ふふ、ふざけんな! ボクはおん……」


「戯れはここまでだギスタ。我々は同胞を売る様な真似は決してしない。条件が呑めないと言うのなら、この話はここまでだ。上乗せ分は引き取らせてもらおう」


 ボクの言葉を遮って、ヴェルナードが強い口調で言い放った。


 ちょっとヴェルナードさん! 最後まで言わせて! 釈明のチャンスを潰さないでくれよ!


「……へっ、分かってるよ。そんなに熱くなるなって。ちょっとからかっただけだ。……その代わり、ウチから二人ほど監視を付けるぜ。道案内も必要だろ? これが最低条件だ。それがダメだってんなら、この話はナシだ」


「いいだろう。その条件で快諾しよう。我々の要求を受け入れてくれた事に感謝する」


 交渉が無事にまとまると、緊迫していた周りの空気も和らいだ。「おい、客人たちを案内してやれ」とギスタの言葉が散会の合図となる。


 ギスタの部下を先頭に『モン・フェリヴィント』の面々が後に続いた。


「ちょ、ちょっと待って! ボクはおん……むぐぅ!」


「いいからカズキ! もうこれ以上話をややこしくしないでくれ!」


 ボクは女としての沽券を取り戻す事なく同情半分、呆れ顔半分の微妙な表情を浮かべたジェスターに引きずられ、その場を後にした。

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