第18話 アレがない

 ホンダ製CRF250R。


 完全にレース仕様車として設計された公道ではほとんどお目にかかる事がないマニアックなこのマシンは、中学時代にボクが慣れ親しんだ愛車CRF150Rの兄貴分だ。


 猛禽類の鋭いくちばしや爪を連想させる攻撃的なフロントフェンダーとリアフェンダーは割れて破損はしているけど、その荒々しさは今も面影を残している。


 水冷4ストロークエンジンや短い尻尾の様に突き出したツインテールマフラーにも、大きな破損は見当たらない。


 細かい傷や錆は浮いているけど、バイクの骨格とも言える前輪をガッチリと支えるフロントフォークやフレームにも、大きな歪みはないと思う。


 ……まさか、こんな所でCRF150Rあの子のお兄様にお会いできるだなんて。


 墓場と化したあの隠し部屋で元の世界の残骸たちがもの悲しげに散乱する中、このマシンだけがボクの眼にはまだ生の光を纏っていた様に見えたのだ。


 これは断じて目の錯覚でも幻でもないと信じたい。


 ヘルゲとジェスターに手伝ってもらい部屋の中央に運び込まれたCRF250Rを撫でながら、ボクはマシンに自己紹介をした。


 そう、これはボクにとって大切な儀式でもあるのだ。


「初めまして、ボクの名前は若月和希。キミに会えてとっても嬉しいよ。キミの弟にはとってもお世話になったんだ。まさにボクの相棒だったよ。……え? おいおいつれない事言わないでくれよ。まさかボクがボートに乗り換えたからって妬いてるのかい? うふふ。うふふふふふふふふふふふふぅ」


「お、おいカズキ……その……いろいろと大丈夫か?」


 どう扱ったら分からないといった顔のヘルゲとジェスターを遥か彼方へ置き去りにして、ボクはマシンと心ゆくまで語り合う。こればっかりは仕方ない。


 CRF150Rあの子のお兄さんが今、ボクの側にいる。なんと心強く頼もしい事だろうか。


 妄想の世界でマシンと言葉を交わし合うボクに向けられたヘルゲとジェスターの冷ややかな視線を感じ取り、はたと思い直る。


 おっと。ついつい自分の世界に浸りすぎてしまったね。


「ねえ、ヘルゲさん。ジェスター。ボク、CRF250Rこの子を直してあげたいんだよ。……協力してくれないかな?」


「いやその前に! 情報が全然足りなくて付いていけねぇよ! 一体それは何なんだ!? まずはそこから説明してくれよ!」


「そうじゃな……ジェスターの言う通り、それがどういうモノなのか教えてくれんと、ワシらも快く協力できないのぅ」


 これはごもっともな意見を頂きました。


 人目に触れぬ様隠し部屋に保管していたのは、使用用途が分からない事もさることながら、それが危険なものなのかもしれないと警戒しての意味合いもあるのだろう。


 CRF250Rこの子を直すには二人の協力が絶対に必要だ。


 それにはまず、いかにCRF250Rこの子が危なくなく、便利で、賢く、出来る子なのかを説明してあげなければいけない。


 だけど二人がこれまでの人生で見た事もないものを、果たしてうまく説明できるのだろうか? 


 いや、弱気になるなボク! しっかりとCRF250Rこの子の素晴らしさをプレゼンしなくては!


「これはね、ボクの世界で『バイク』って言う乗り物なんだ。馬よりも優雅に速く走ることができる、それはそれは魅力的で感動的でカワイくて愛おしくて逞しくてカッコいい乗り物なんだ」


 後半はボクの主観がだいぶ混じってしまった様だけど、果たしてうまく伝わっただろうか。


 鳩が豆鉄砲、いや、バズーカ砲でも撃ち込まれた顔をしてるジェスターを、ボクはじっと見つめ続ける。


「の、乗り物……? ウソだろ……? それが動いたり走ったりするってのか……?」


 うん。ボクの想いがぎゅっと詰まった大切な形容詞は残念ながらスルーされてしまったけど、どうやら乗り物って部分だけは伝わった様だね。


「ふむ……見たところ車輪の様なものもついとるし、それは乗り物なんじゃな。それでカズキや。だいぶ壊れている様子じゃが、お前さんはソレを直せるのかの?」


「うん、ちょっと見てみる。エンジンさえ生きていれば何とかなると思うんだけど……ジェスター、ちょっとナイフを貸してくれない?」


 ジェスターがベルトポーチから取り出した小さなナイフを受け取ると、車体を傷つけない様慎重に、エンジンにこびり付いた土や汚れを削り落としていく。


 ぱっと見大丈夫の様だけど、バラして見ないと分からないなぁ。


 エンジンを本気でオーバーホールしようと考えたら、外装をはじめパーツを一つ一つ分解していかないと始まらない。


 だけどここには分解にマストとなるアイテム、レンチやスパナなどの特殊工具なんてある訳ない。車体をバラしてメンテナンスする事は不可能なのだ。


 バラす事が無理でも、せめてエンジンオイルとミッションオイルだけでも交換しないとね。


 …………んん? 


 興奮して頭にドクドクと流れていた血流が一気に冷えた。急激に火照った体の熱も逃げ、顔からサーっと血の気も引き始める。


 ……し、し、しまったぁぁ! そうだよ! 大切な事をすっかり忘れてたよ!


 ボクは倒れる様にしてジェスターにすがりつくと、勢いよく捲し立てた。


「———ね、ねえジェスター! トロッとヌメヌメしていて火が付かない油ってある?」


「な、何だよ急に。意味分かんねえよ。それがどうしたって言うんだよ!?」


「いいから教えて! あるの? ないの? ……どっちなの!?」


「あ、ああ。それなら多分あるぞ。ザクレットの実から搾り取れる油ならトロッとしていて金具なんかの潤滑油として使うんだ」


 よし、第一関門はクリアだ。しかしこれはある意味想定内。問題なのはここからだ。


「……ジェスター。あともう一つさ『ガソリン』って聞いたことないかな? 同じくトロッとしていて火を近づけただけでボワッと燃え上がる液体なんだけど……」


「そんな危ない液体なんて知らねーよ!」


 ……だよねぇ。


 人や家畜が運搬を担い原始的な生活を営む『モン・フェリヴィント』で、電気はおろかガソリンを動力とする物なんて今まで見たことがない。


 ボクとした事がなんたるミステイク。CRF250Rこの子を見た途端嬉しさのあまりこんな大切な事に思いが巡らないだなんて。


 これは完全に詰んでしまったか。


 ジェスターの袖を掴んだままガックリうなだれるそんなボクに、救いの声が掛けられた。


「『がそりん』と言う名に聞き覚えはないが、似た様なものなら知っているぞぃ」


「……え? ……ほ、本当?」


「ああ。それがはたしてカズキの言うモノと同じかは分からんが、確かに特徴は似ておる」


「そ、そんな危ないモノが『モン・フェリヴィント』にあるのかよヘル爺!」


「うむ。危険なので一部の大人たちしか知らされておらんのじゃ」


 マジ? 奇跡が起こるのもしかして? 


「では早速、と言いたいところじゃが、ちと事情があっての、夜にならないと無理なのじゃ。任務が終わって夕食を食べたら、この作業小屋に集合という事でどうじゃろう」


 そう言ったヘルゲはニマっと笑い、年期の入ったその顔に深い皺を刻んで見せた。

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