第4話 蘇る記憶

 ……またこの感覚だ。


 さっきの夢と違うのはボクが海に漂っていない事と、前回よりも意識がはっきりしている事だ。


 やっぱり周りは墨をこぼした様な漆黒で、頭上には柔らかい光を放っているお月様が煌々と輝いている。


 ボクは人の気も知らないで、のほほんと輝いているお月様を無性に腹立たしく思った。


 もうっ! 一体なんなのよこのキラキラお月様は! 人の気も知らないで!


 もちろんお月様は何も悪くない。ボクの勝手な八つ当たりだ。


 だけど何だろうこのイライラは。


 困っている人を尻目に「自分は分かってる」風な表情で達観しているあの感じに似ているから? ……感じわるっ! 


 いよいよ堪えきれなくなったボクはお月様に向かって叫び声をあげた。


「……そんなところで人を見下ろしてないで、気づいているなら助けてよね!」


『やっぱり君は我輩を感じる事ができるんですね』


 ボクの理不尽な八つ当たりに、お月様はなんと反応した。

 

 うそん! お月様が返事した!


『……間違いない。やっぱり君にしてよかったです』


「ちょっと待ってどういう事!? 一人で話を進めないでボクにも分かる様に説明して頂戴よ!」


『確かにそうなんですが、我輩もちょっと心配なもので。我輩、こう見えても慎重派なんです』


 何処をどう見たらこう見えるのか分からないが、確かにこの声には聞き覚えがある。


 眠りに落ちる前に部屋で聞いた声と同じだ。それにしても「我輩」って……。


 もしかしてこの声の正体は、猫か何かかな?


『必要最低限のコミニュケーションは取れる様に配慮した筈なんですがね……では、君が今一番必要としている物を返却します。目を覚ましたらソレを受け取りに来てください』


「ちょ、ちょっと待ってよ。取りに来てって……どこに行けばいいか全然分からないよ!」


『大丈夫です。きっと分かりますよ。……ああ、扉の向こうの見張りは、我輩がなんとかしてあげましょう。これはサービスです』


 そう言うと月はすぅっと消えていき、辺りは一点の光もない暗闇に包まれる。


 それと同時に視覚も手足の感覚も何もかもがなくなると、最後に自分の意識だけがふわっと浮き上がるのを感じた。



   🌙🌙🌙🌙🌙🌙🌙🌙🌙🌙



 真っ暗闇の夢の世界からボクは再び目を覚ました。


 なんだろうあの夢は……。いや、夢と言うにはやけにリアルだったけど。


 自称慎重派のお月様は、何かを取りに来いと言っていた。きっと分かるとも言っていたけど、この部屋の外に出ろって事なのかな?


 ボクはベッドから降りると手元のランプを手に取り、外へ通じる扉をそっと開けてみた。


 扉のすぐ横には壁にもたれかかる様にして男が一人、いびきをかいて熟睡している。おそらくこの人が見張りなのだろう。


 ボクは音を立てない様に慎重に外へ出て、そっと扉を閉める。そして空を見た。


「……綺麗」


 空にはびっしりと敷き詰められ隙間を探すのが難しいほどの星々が、競い合うかの様にして気高い輝きを放っていた。


 宝石箱をひっくり返した満天の星とは、この事を言うのだろう。手が届きそうな夜空からは今にも星が溢れ落ちそうだ。


『……さあ、こっちですよ』


 あまりの光景にうっとりと感動しているボクの耳に、遠くから呼ぶ声が届く。


 夢で聞いた、あのお月様の声だ。


 ボクは声が誘うまま左手の方へと歩き始めた。


 一度振り返ると、小さな小屋が三つ並んでいた。ボクがいたのはそのうちの一つだったらしい。


 土地勘のない場所でさらには夜の行動だ。ボクは帰りの道で迷わない様に目印になりそうな樹木や夜空の星の模様を記憶に留めながら、慎重に歩いていく。


『後少しです』


 お月様の声を頼りに木々の隙間を潜り抜けると、小さな小さな丘が目の前に現れた。


「ここ……でいいのかな?」


 幅10mほどのこんもりと盛り上がった丘はよくよく見ると整った円錐形をしていて、小さな山の様にも見える。


 一度振り返ってみると、小屋の明かりが夜空をほのかに照らしていた。これなら帰り道の心配をする必要はないだろう。


 帰路の心配がなくなったボクはもっとよく調べようと小山に近づいてみた。


 少し平らな頂上から五合目くらいまでは暗くてはっきりとは分からないが草だか苔だかが生えていて、五合目以下は土が剥き出しになっている。見方によってはカラメルソースがかかったプリンに見えなくもない。


 ボクはさらに近づいて、剥き出しの土にランプを照らしてみる。


 土は地層になっていて三層ほどのグラデーションを形成していた。


 その地層を眺めていると、丸い何かが視界に入った。ランプを側にかざしよく見てみると、それは地層に埋まった丸い化石の様だった。


「何だろう、これ……」


 ボクがそっと丸い化石に手を伸ばすのとほぼ同時に、例のお月様の声が今度はくっきりと頭に響いた。


『怖がらないでいいですよ。さあ手を触れてください』


 ボクは言われるままにその丸い化石に手を触れてみた。


 その途端、夢の中で見たお月様が頭の中に出現した。


 その光はボクの頭をグルグルと駆け巡り、頭の端に追いやられ意識と断絶されていたボクの記憶を一つ残らず掬い取っていく。


 掬い取られた記憶たちは一つにまとまり、ボクの意識と再び混ざり合いとうねうねっと形を何回か変えた後に、ボクがよく知っているボクの姿自身の姿に変化を遂げた。



 そしてボクは全てを思い出した。



 ボクの名前は……若月和希わかつきかずき


 ボクは……模擬レース中に事故を起こしたんだ。


 全ての記憶を取り戻したボクに、お月様は最後にこう告げた。


『今、我輩ができるのはここまでです。後は君次第ですよ。君とはまた会う事になると思うから、それまでしばしのお別れです。それと、君は死んではいませんよ。多分、まだ生きてます』

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