第5話 若月和希
ここでボク———
唐突に何!? と思われる方もいるだろうが、ボクの生きてきた16年間を振り返る事はこの先の出来事にも深く関わる事だし、何より記憶を取り戻したばかりのボクにとってもちゃんと全てを覚えているかという確認の意味もある。
しばしお付き合い願えれば幸いだ。
ボクの父さんは曲がった事が大嫌いないわゆる「生真面目タイプ」の人間だ。
仕事でも家庭でも小さなミスをも許さない性格で、几帳面で事細かく自分にも他人にも妥協しない。
「正義感溢れる真面目人間」と言えば聞こえはいいのだけど、その実そうでもないとボクは思う。
ボクの中学時代にも同じタイプの男子生徒がクラスメイトでいたからよーく分かる。
生真面目で他人のミスにも口を挟むタイプの人間は、自分が他人以上の能力を持っていないと周りから浮いてしまうのだ。
人間というのは捻くれたもので、自分の行いを真っ向から正されると「お前もたいして出来てないだろ!」と、あらぬ反感を生み出してしまう事が多分にある。
例えばそう……仮に野球部員がいたとしよう。
その野球部員がプロ野球選手に「君のスイングは良くないから直したほうがいいよ」と言われれば、きっと喜んでアドバイスを聞くと思う。
だけどこれが同じレベルの野球部員から言われたらどうなるだろう。
おそらくは「はいはい、そうですか。お前だってたいしたスイングしてないだろ」と思うのではないか。
他人に注意や指摘をするには、秀でた能力が伴っていないと本当の意味での効果がないのだ。
その点は学生でも社会人でも同じだと思う。
特に能力的にも体力的にも平々凡々の父さんは、正しい事を言っているにもかかわらず、同僚や上司から疎まれる存在らしい。
そんな父さんと職場内恋愛の末結婚した母さんに、ある日「何であんなお堅い父さんと結婚したの?」と聞いてみたところ、「んー。だってあの人の言っている事って、間違ってはないでしょう? だから応援してあげたくなっちゃったのよ。……少し口うるさいのが玉に瑕だけどね」と、おっとり顔でそう答えた。
「妙に曲がった事が嫌いな能天気キャラ」とよく周りから言われるボクのルーツは、どうやら父さんと母さんの性格をものの見事に受け継いだ事による様だ。
そしてここだけの話なんだけど、実は父さんのお父さん、ボクのおじいちゃんは関東圏にチェーンを持つ「スーパーわかつき」の創始者でそこそこのお金持ちだ。
小さな頃から裕福な家庭で育った父さんは、持ち前の病的な生真面目さで「自分の道は自分で切り拓く」とおじいちゃんの会社を継がなかった。
そして都内でサラリーマンをしながら一家の大黒柱として、今も頑張っている。
まあ、そんな姿も会社の同僚や上司からすれば面白くない一因でもあるのかもしれないが。
さて、一人息子である父さんが会社を継がないと分かったおじいちゃんは、早々に会社を親類に託し、自分は相談役として現役を
そして悠々自適に暮らし始めたのが、ボクが5歳になった頃。
孫を溺愛するおじいちゃんに父さんは「子供の時から贅沢を覚えさせないでくれ」といい顔はしなかったが、ボクはおじいちゃんが教えてくれる遊びが子供心に待ち遠しかったのを鮮明に覚えている。
父さんとおじいちゃんの額を突き合わせた口角飛沫の議論の結果、若月家では月に一度だけ、おじいちゃんがボクと自由に遊びに行く日が設けられた。
あの時のおじいちゃんの嬉しそうな顔は、今でも忘れられない。
金銭的にもゆとりのあるおじいちゃんはボクが興味ある事、おじいちゃん自身が好きな事をそれこそ惜しみもなくやらせてくれた。
テニス、スキー、ゴルフなどのスポーツや、野球観戦、映画、ドライブ、ゲームなど何でもござれだ。
これはおじいちゃんなりの教育で、若いうちにボクにいろいろな事を経験させたいという思いだったのだろう。
その中でもボクが最も興味を示したのはモトクロス競技だった。
マシンを巧みに操り風を切り裂き、人口的に設置された勾配を勇気と技術を武器にして攻略する競技にボクはどっぷり浸かってしまった。
月一で郊外のモトクロスコースに行き一日中泥だらけになりながら練習すれば、みるみる内に技術が向上した。
教えてくれたコーチによると普通の人ならアクセルを緩めてしまう場面でも、ボクは躊躇なくフルスロットルで突っ込むらしい。
それを聞いた時、ボクは意味が分からなかった。だってこんなに速くて爽快に走るマシンのスピードを緩めるなんて、もったいないじゃんと。
ジュニアの大会に出場して好成績を出し始めると、いよいよおじいちゃんのハートに火が付いた。そしておじいちゃん号令の元『若月家会議第二弾』が開催される運びとなる。
月一ではなく週一で練習させたいと言うおじいちゃんの『若月家ルール改正案』は、ボクがこれまでに獲得したトロフィーやメダルをチラつかせれば、父さんの反対の声も小さくなる。
元々中立派だった母さんがおじいちゃん側に加勢する事になり、ボクとおじいちゃんは勉強もしっかりやる事を条件に、週一でモトクロス競技の練習をする権利を勝ち取った。
中学に進学しても、その生活サイクルは変わらなかった。
部活には所属しないで毎週末おじいちゃんと一緒に自分のマシンをワゴン車に積み、郊外のモトクロスコースに赴いて練習とレースに明け暮れた。
友達からは「女の子なんだから泥と油に
口には出さなかったけど、あの疾走感を味わえないのだなんてかわいそうとさえ思った。
もちろんモトクロス競技以外にもそれなりに学生生活は満喫していた。なんてったって女子ですから。
友達と一緒にアイドルグループのファンクラブに入ったり、憧れの男の子に思いを馳せたりと。
その辺は普通の女子中学生と変わらなかったと思う。
当時好きだった男の子が通学で乗る電車に、自転車で併走した事には友達にドン引かれ「クレイジースピードスター」というあだ名を賜ったのも、今ではいい思い出だ。
若干のズレを感じつつも青春を謳歌していたそんなボクに転機が訪れたのは、中学二年の夏だった。
夏休みを利用して、おじいちゃんと一泊二日で伊豆に小旅行に出かけた時。
船舶免許を持つおじいちゃんと水上バイクを二人乗りしたボクは、その魅力にあっという間に心を奪われた。
波を押さえつけ水面を跳ね、飛沫を上げ水を切る様に走るこの疾走感。
これこそが自分の求めていたものだと瞬時に思った。
こればっかりは理屈じゃない。
何か探していたものが見つかったとでも言うのか、心に欠けていた部分にパーツがカッチリとハマった様な充足感。この出会いは絶対運命だとさえ思った。
気がつくと飛沫で濡れるボクの頬には、涙も混ざっていた。
当時モトクロス競技に行き詰まっていた事と卒業後の進路に迷っていたボクは、競艇選手———ボートレーサーになる事を即決した。
我ながら唐突だなとも思ったが仕方ない。
だって自他ともに認める「スピード狂」のボクには、水上モータースポーツは運命の邂逅だったのだから。
ここまでお付き合いしてくれた皆さんならお気づきだとは思うが、この先一番の壁となってボクの前に立ちはだかるのは……他でもない父さんだ。
案の定、ボクが高校には行かないでボートレーサー養成所に入所したいと言い出した時の父さんの驚きと怒りは、この先々の人生においてもボクはきっと忘れる事はないだろう。
おっとりと「せめて高校を出てからにすれば?」という母さんの妥協案にも耳を貸さず、「寮生活で会えなくなるのは寂しい」と言うおじいちゃんの情に訴えかける引き留めにも挫けず、ボクは自分の意思を貫き通した。
もちろん友達にも止められた。
一緒の高校に行こうよと言ってくれる親友たちに少し心が揺れたりもしたが、ボクにはこの先に待っているであろう高校生活を鮮明に思い描く事ができなかった。
友達と一緒に登校してアイドルやファッションの話題に明け暮れ、自分をいかに可愛く見せるかを考える毎日は、どこか浮世離れしていてボクらしくない。
それよりも、疾走感の中だけが自分の生きているリアリティを感じられる時だと思ったからだ。
およそ一年にもわたる説得の末、とうとう父さんは根負けしボクにボートレーサー養成所の入所受験を許してくれた。
今となっては何十倍という倍率の試験に受かるはずもないだろうと、父さんはたかを括っていたのかもしれない。
しかしボクには自信があった。
基礎体力はモトクロス競技のためにしっかりとトレーニングを積んでいたし、勉強だって家族との約束通り疎かにした事はない。
もしかしたらモトクロス競技の上位入賞常連者としての実績も有利に働いたのかもしれない。
見事ボクは難関と言われる入所試験を一発合格し、父さんは口をあんぐりとさせる結果となった。
中学を卒業しボートレーサー養成所に入所したボクは、親元を離れた慣れない寮生活に戸惑いながらも、必死に訓練を耐え抜いた。
そして四ヶ月の基礎訓練を終え、レース実習中にコーナーを攻めすぎたインを走る他のボートに衝突されて、船外にはじき飛ばされた。
その時に強く頭を打ったからだろうか。
意識が朦朧とする中で水中に沈んでいく光景を最後に、ボクの記憶はここで途絶えていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます