第2話 邂逅と誤解
「……ああっ! 気がついた様です!」
うっすらと開いた目に最初に飛び込んできたのは、霞が掛かった景色の中でピンと伸ばした右手だった。
ぼやけた眼のピント機能が正常さを取り戻していくと、右手の先にはロッジの様な梁のある天井が見えた。そして周りには、ボクを取り囲む様に覗き込む見慣れないいくつかの顔がある。
ボクは目を何回も開けたり閉じたりと繰り返した。
そうする事でこの状況に至った経緯を思い出すかと思ったがダメだった。
だけどボクは諦めない。必死に考える。
ボクは……なんでここに寝てるんだったっけ……? それまで何をしていたんだっけな。いやいや待ってそれよりここは何処? この人たちは……誰?
だんだんと意識と感覚がつながってくると、伸ばした右手の先に妙な違和感を感じ始めた。
んんっ? 何か柔らかくてしっとり湿っている様な……。
「……気がついたのなら、そろそろその手をどかしてもらおうか」
伸ばした指先が、赤髪の男の鼻の穴にがっつり刺さっていた。
「う、うわあああああああ!!??」
慌てて指を抜いて上半身を持ち上げる。
今更ながら気づいたが、どうやらボクはベッドに寝かされていた様だ。
ゆっくり周りを見回すと広さ十畳くらいの部屋の様で、本がびっしりと立てられた棚が壁に並び、左手にはベッドが三つほど等間隔で並んでいるのが見て取れた。
一体ここは何処だろう?
意識がはっきり戻ると麻痺していた痛覚が目覚め始める。頭の奥がズキズキと痛みだし、ボクは堪らず頭を抑えた。
「まだ無理をしてはいけませんよ。さあ、これをお飲みなさい」
ボクを取り囲んでいる一人————鮮やかな翡翠色をした髪の男が、木のコップを差し出してきた。ボクはそれを受け取ると、一気に中の水を飲み干した。
プハァ! 生き返った! それにしても、うぅ……頭が割れる様に痛い。ガンガンするぅ。まさか二日酔いってこんな気分?
お酒、飲んだ事ないけど。
「あ、ありがとうございます……」
お礼と共に空のコップを差し出すと、その男はニコッと優しい笑みを溢した。丸縁の小さなメガネが柔和な雰囲気にとてもマッチしている。
「……さてゲートルード。少し話をしても大丈夫か?」
「まだ目が覚めたばかりですので、あまり長い時間は禁物です。どうかお手短にお願いします」
緑髪の優しい彼をゲートルードと呼んだのは、赤髪短髪の左目の上に傷のある見るからに怖そうな、ボクが先ほど鼻の穴にフィンガーアタックを仕掛けた男だった。
体格の良い体に、右肩だけが剥き出しの上着を着ている。
右肩出してマッチョアピールなんて、この人正気の沙汰じゃない!
「主は一体何処からやってきたのか? 答えてもらおうか」
ひぃぃぃ。やっぱり! 「主」とかもう根っこから狂ってると思う。このままでは殺される……! い、いや。もしかしたら犯されるかも……!
ボクがガチガチ震えていると、最後の一人————三人目の男が、助け舟を出してきた。
「……アルフォンス。ただでさえ子供に懐かれ難い風貌だというのに、其方の物言いだと喋りたくても喋れまい」
「ぬ。これは失礼。怖がらせてしまったのならすまなかったな」
アルフォンスと呼ばれた赤髪の男は、素直に詫びるとボクに小さく頭を下げた。意外と見かけによらず優しいところがあるのかもしれない。
「さて……まずは自己紹介をするとしよう。私の名はヴェルナードと言う。そして彼らがアルフォンスとゲートルード。覚えておいて欲しい」
マリンブルーの少しクセのある長髪が印象的なヴェルナードと名乗った男は、そう言ってボクの目を見つめてきた。
少し面長の端正な顔立ちとキリリと引き締まった眉。身に纏った白のジャケットが、高貴な雰囲気に更に拍車を掛けている。高めの襟には三日月が五つ並んだ紀章が鈍色に輝いていた。
そしてここが最も。最も重要なのだが……とってもイケメンだ。
ボクがぽわっーとその彫刻の様な、芸術品の様なルックスに見惚れていると、ヴェルナードと名乗った男は一つ「んんっ」と
「……もし失礼でなければ、其方の名前も教えてもらいたいのだが」
ああ! そうよねそうだった。これはなんたるミステイク。
ボクとした事がこんなイケメンに名前を伝えないだなんて。
「は、はいぃ! 名前ですね! も、もちろんあります。ぼ、ボクの名前はですね……名前は……名前、なんだっけ?」
ヴェルナードの整った眉の片方だけが少し上がり、赤髪のアルフォンスと緑髪のゲートルードの二人は目を見張った。
「え、ええええええっ! ちょっと待って! 今思い出しますから! な、名前名前名前名前なまえナマエ…………えっとあのその前に、ここ、どこですか?」
「その質問には後で答えよう。まだこちらの質問に其方は一つも答えていないのだ。情報交換とは常に対等でなくてはならない。私たちは自分の名前——情報を開示した。ならば次はこちらが其方の情報を傾聴する権利があるのは言うまでもあるまい。名前が思い出せないのなら別の質問をするとしよう。ふむ、では———」
ヴェルナードは淡々とした口調でボクの質問を却下した。
ゲートルードが「まだ目覚めたばかりです。お手柔らかに」と言う言葉には耳をかさない様子で、次の質問を考えている。
「———其方は『
お、おちうど? なんだろうそれ。聞いた事もない。
ボクが「知らない」と答えると、ヴェルナードは「そうか。では次は……」と言い、顎を触りながら再び何やら考え始める。
隣にいるゲートルードとベッドを挟んで反対側のアルフォンスが、互いに顔を合わせて小さなため息をついたのをボクは見逃さなかった。
……え、何? これってボクが何かしらしっかりはっきりこの人の納得がいく回答をするまで、この無限質問地獄が続くって訳ですか?
ボクが目をパチクリさせてると、ヴェルナードは何かを思いついた様子でゲートルードを見た。
それを受けたゲートルードははたと気づいて席を立ち、部屋の片隅にある机から何かを抱えて持ってくる。
「では質問を変えよう。これは其方の持ち物なのか? 見覚えがあるだろうか?」
「これは…………ヘルメット……?」
ゲートルードが差し出してきたのは、頭をすっぽりと覆うフルフェイスタイプのヘルメットだった。
ボクはそれを受け取りまじまじと見る。
黒ベースに赤のフレイムス柄が入り、シールドは鮮やかな虹色を帯びた光を反射していた。
ヘルメットの後頭部部分には基調色である黒を夜空に見立て、大きな流れ星が一つ、デザインされている。
「ほう、へるめっとと言うのかそれは。それで、それは其方の持ち物なのか?」
「わからない……でも、見覚えがある様な、なんだか懐かしい様な……分かりません! 本当に思い出せないんです!」
このヘルメットを見ていると、頭の奥のズキズキが次第に大きくなってくる。ボクは堪らず頭を抑え出した。
「ヴェルナード様。これ以上は危険です。ようやく目が覚めたばかりです。ここは体調を整える事を第一に考え、質問は後日に致しましょう」
「ふむ……仕方ない、それもやむなしか。ここは『衛生部』の長であるゲートルードの顔を立てるとしよう」
頭の痛みがなんとか落ち着き恐る恐るヴェルナードを見ると、釈然としない様子でボクをじっと見つめていた。
ひぇぇ! この人イケメンだけど何か怖い!
「……誠に不本意だが、『其方の質問には後で答える』と口にした以上、こちらの質問に対する満足な情報を提供されていないと言ってその約束を反故にするのは義に反する。其方の質問にも答えよう」
この人、イケメンだけどなんか超メンドくさい。
そんな嫌そうな顔しながら無理して言わなくてもいいですよぉぉ!
「確か、ここがどこかと言う問いだったな。ここは『モン・フェリヴィント』……聞いた事はないだろうか」
「……ありません」
「そうか。致し方なし。では其方が今このベッドで眠っている経緯を、私たちが知る範囲で教えよう。其方は空から降ってきたのだ。我々はそれを『
何言ってるんだろうこのイケメンは。
やっぱりイケメンって夢見がちな生き物なのかしら。
普通の人と思考回路が違うと言うかぶっ飛んでると言うか。
大体起きたら知らない男たちに囲まれて、名前も何も思い出せなくて、理屈っぽいイケメンが「其方は空から降ってきた」なんて一体誰が信じるのだろう。
ボクの怪訝な視線に、ヴェルナードはまたも片眉を少しだけ上げた。
「……何をそんな目で見るか。これは本当の事なのだ。数年に一度、『
努めて真面目に話すヴェルナードの様子から、どうやら夢見がちな妄想でもたちの悪い冗談でもない事に、薄々ながら思い知らされる。
と言っても、名前も何も思い出せないし、ましてやここがどこだかも分からない。『モン・フェリなんとか』なんて名称を聞いても全く心当たりがないし、空から降って来たなんて自覚だってさらさらない。
ボクの不安そうな顔に、いち早く気を回してくれたのはゲートルードだった。
「落下の衝撃で一時的な記憶障害を起こしているのでしょう。しばらく休めばだんだんと、いろいろな事を思い出しますよ。それまではゆっくり休んでください」
「あ、ありがとうございます……」
「ふむ。そうある事を切に願う。まだ其方からは何も聞きたい事を聞けていないからな。体調が回復するまでは、このゲートルードの世話になるといい」
ヴェルナードは颯爽と立ち上がると扉に向かって歩き出した。アルフォンスもそれに付き従っていく。
そして扉の前でヴェルナードはくるりと振り向くと、衝撃的な一言をボクに投げかけた。
「其方の立場と心情には同情しよう。だが男子たるものいついかなる時でも周囲の状況に振り回され、一喜一憂するものではない。冷静さが心を育み強くする。覚えておくといい」
記憶障害を起こしても、こればっかりはハッキリと言える。
————ボクはこんなナリをしていても、女だぁぁ!
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