おとなりどうぞ

ざっと

白い猫

 バイト先の同僚に好きなものを訊かれた。

 馬鹿正直に「温泉が好きだ」と答えたら、

「若いくせにおじさんみたいだね。」

 と言って笑われた。

 失礼な事この上ない。好きなものは好きだし、そもそもこの立ち仕事ばかりの仕事の所為せいでもあるというのに。

 レジ打ちに品出し、常に立ち、歩き、店中を彼方此方あちこちするコンビニバイトという仕事で、足が疲れないわけがない。なにもコンビニに限ったことではないだろうが、兎角とかく“アルバイト”という身分は立ち仕事ばかりになることは大いにある。

 そんなところへ、温泉街という立地だ。あちこちに足湯や温泉、銭湯がきょを構えているという次第しだい。大学に行き、仕事へ流れて労働にいそしみ、それも済ませて家に帰ろうと駅まで来れば、その脇には足湯がしつらえてあるという始末しまつ。一日使いつぶされた足に、温泉の湯心地ゆごこちは至高のものと相成あいなる訳だ。

 生来せいらいの性分としてはさほど好きではなかったが、前述のわけから、温泉が大いに好きになった。

 そして今日も大学からアルバイトへの流れを組んで、かれこれ半日は使われたであろう足の疲れを癒しに来たわけだ。

 全身浸かれる銭湯にでも向かえばいいのだろうが、そこは貧乏学生。給料日前の寒いふところ具合で、其処此処そこここから湧いて出る湯水の様に、金を使えはしないのだ。

 安いスニーカーと毛羽けば立った靴下を脱ぎ、おもむろに足を湯の中に滑り込ませる。

 ふうう、と大きなため息を吐く。すねより下のわずかな部位に限られるが、春先の微妙に寒くなるこの時節に温められる場所があるのは大変に幸せなことである。加えて、同僚に笑われた嫌な出来事も、足先一、二尺程度の温感に拭い去られる。

 げに、温泉の偉大なるや、だ。

 ひとしきり落ち着いていると、駅前のロータリーを挟んだ向こう側から一匹の白猫がやって来た。

 どこに焦点が合っているのか分からないすました顔をしているが、歩は真っすぐにしてこちらへ向かってくる。

 階段を十数段ほど上った小高い場所に設えられたこの足湯の屋からは、白猫がロータリーを渡り切ったところで姿を見失ったが、一、二分ほどで、またぴょんと姿を見せた。

 腰掛けに上ってきた猫は、それまでの歩みからうって変わって、抜き足差し足といったゆっくりした歩みに変わっていた。そして湯を眺めながら僕の隣までやってきて、そこに置かれた座布団に落ち着いた。

 猫はおもむろにこちらを向くと、上目遣いに見ながら、這入はいってもいかと問いたげな目をする。猫というのは、無遠慮に其処此処そこここ居坐いすわり、また無許可に行動するものだとばかり思っていただけに、許可を求めるような目附めつきには随分驚かされた。

「こんな隣で良ければどうぞ。」

 気付けば猫相手にそう言っていた。ふと思い返して周りに人がいないか慌てて見まわしたが、亥の刻に当たる今時分にそうそう人はいない。噂に聞く大都会東京でもあるまい。田舎であり、くわえて周囲に居酒屋も小売もろくにない駅故に尚更いなかった。

 そんな僕を余所よそ目にして、くだんの白猫は早々に湯加減を見分している。ず鼻先を湯に近付けて匂いを気にする。僕には分からないが、猫には分かる道理でもあるのだろうか。鼻のく犬なら無論わかるだろうが、猫の鼻が利くという噂は今生こんじょう聞いたことはない。

 匂いは問題なかったのだろうか。僕の十数寸先で、白猫は恐る恐る前足を湯に近付けていく。爪先つまさきが湯に触れて水面みなもに波紋が広がるや否や、猫は反射的に前足を引き、俄然がぜん丸めた背に幾万の毛を逆立て始めた。

 その様子がどうにもおかしくて、思わず笑いをこぼしながら、

「猫舌だけに、爪先つまさきですら熱かったか。」

 と白猫に話しかけた。

 猫は、「うるさい」とでも言うように、みゃあんと鳴いて、そそくさと来た道を夜の闇に溶けるように歩いていった。

 その背中を見送っているうちに、しまった、と思った。

 これでは、僕を笑った同僚何某なにがし振舞ふるまいと変わらない。

 物の感じ方は、人其々それぞれ。猫其々それぞれ。もう少しおもんぱかるべきであった。

 とはいえ、そう思ったところで全ては後の祭りである。白猫には悪いことをしたが、この湯船の快感は、の白猫にも味わってほしいものである。彼の白猫に熱く過ぎるならば、冷水ひやみずってきて、その熱を薄めてでも味わって欲しい。

 そして願わくば、私の隣で、僕と同じ様にその足を温め癒して欲しい。そう思ってそれからも毎日入る入らぬを問わず、駅の足湯へと行くのだが、あの日の白猫には一向逢えない。

 逢えぬ日が続いて一週間たったころから、毎日夢を見るようになった。彼の白猫の夢だ。

 猫特有の喜色満然とした糸目を顔に貼り、このひと時が至福だと言わんばかりの顔で、僕の隣にぷかぷかと浮かぶ。僕はそれを、猫くんの顔真似をしながら、

「どうだ、気持ちいだろう。」

 と話しかけている。

 言葉は通じずとも、胸のうちではしかと通じている。言葉はなくともよい。この湯加減があれば、それを好いものと感ぜられる情念があれば、僕らは幾百

いくひゃくとせ朋友ほうゆう以上の絆を持ち合わせ続けられるだろう。

 そんな夢を、毎日見るのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おとなりどうぞ ざっと @zatto_8c

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ