白夜の部屋
錦魚葉椿
第1話
「あんたはねえ、仕事をさぼりすぎなのよ」
人を指で差してはいけない。
指をさされた男はむっつりとした顔をして目を閉じた。
「私たちに与えられた使命を軽んじる態度が許せないのっ」
女の声は金属のようだ。面倒なのと波長が合ってしまったもんだ。
僕も男と同じように、目を閉じて静かに呼吸する。
1.2.3.4.5
数えて目を開けると女は消えている。
がらんとした白いセミナールームに、僕はその男とふたり、取り残された。
ぎりぎり頑張って広義的にとらえればその男は友達ともいえる程度の距離感にいた。彼は男、というか男の形態をとっている。
衣服に興味がないのだろう。彼の服はいつも灰色の部屋着のよう。色柄には興味がないらしい。手触りだけがこだわりのようだ。
心の中で僕は彼に灰色ジャージと名前を付けている。
彼も僕も生まれ変わりの螺旋からしばらく遠ざかっている。彼はなんだかよくわからない本を読みながら、なんだかよくわからない蘊蓄を語る男だ。
僕たちは互いに離れて座る。
僕は窓から外を眺め、そいつは本を取り出して読み始めた。
・・・僕たちは今日、堂々と仕事をさぼることに決めた。
あの世では目を閉じたって女は消えない。
こんな時はしみじみとこの世の良さを思う。
この世はすべてが思い通りだ。
僕は白くて天井の高い部屋に住んでいる。
部屋の真ん中には寝心地のいいベッドがあって、大きな窓がある。
窓から見える限りつづく白い砂漠とオレンジ色の空がお気に入りだ。
若干殺風景かなあと考えたら、白いシーツに真っ赤なリンゴが現れた。
望むだけでこの部屋は城のようになるだろうし、窓からの景色も絶景になるし、あの世なら大富豪しかできないような快適な生活も思いのままだし、食べたいものを食べ、着たいものを着ることができる。
でも、何も食べなくても何も着なくてもそれはそれで何の支障もない。
僕にはこの部屋だけで充分なんだ。
僕たちの存在はいわゆるよく言えば天使、悪く言えば死神。
僕自身は警官だと思っている。
人の魂は生まれ変わりの螺旋の中から外れることはできない。メビウスの輪の形の青い粒にから人の形になったり再び粒に戻ったりしながら、だらだらと歩いている。
僕たちはそれより少しマシな立場を与えられている。
この世とあの世の、あるいはあの世とこの世の間にいて、あの世のものが大人しくこの世に戻るように、この世にとどまるものが迷わずあの世に再び生まれるように見守り、見張るのが仕事だ。
そして僕たち自身もいずれまたあの世に行かねばならない。
あの世の人々に寄り添ったら、ポイントがゲットできる。ポイントがたまったらあの世に生まれ変わる権利ができるシステム。たくさんポイントを貯めて交換したら、より高ステータスの人生が送れる。
あの世での生き様もまたポイント制だ。
あの世で貯めたポイントをこの世で交換し、ステータスをちょっとづつあげていく。さっきの女みたいな積極的に逮捕取り締まりおよび正義の実現、弱者の救済に熱意を燃やす奴がまあ平均値だとしても、僕みたいに民家の壁の陰に張り付いてシートベルト着用違反をちょっとだけ取り締まって昼ごはん食べて今日の仕事をおえる天使がいたっていいじゃないかと思うのだが、まあ一般的ではない。
ていうか、表立ってやったら怒られるだろう。
みんな一生懸命不幸そうな人を探して汲々としている。
そうそう最近この世にもタブレットなるものが現れた。
不幸な人を探しやすくなった。便利なことだ。
ほんとはちっともあの世にはいきたくないが僕も時々はあっちの世界を覗く。
「目」に見られているからだ。
「目」はいわゆるあっちの人が考える神様に近いのかもしれない。
僕が何を思っているか「目」は全部知っている。僕は「目」の遠隔部品の一つに過ぎない。
もちろんたくさんの同胞たちも同じように「目」の部品であり、言いかえれば兄弟姉妹。つながっているけれどもその位置が遠いか近いかの違い。つながっているからといって仲がいいわけではない。
僕の獲得ポイントは増えたり減ったりしている。時効で消えた分はやる気がないのがばれない程度にいい感じにたしておく。
生死の螺旋から外れたいと願いすぎたら消し込まれてしまう。
だからなるべく何も考えないようにして、今日も布団に潜り込む。
掛け布団の下側面と敷布団の上側面さえあれば、もう何もいらないのになあ。
今日はもうすぐ命が尽きる老人に寄り添ってみた。
もう、本人の体は口が利ける状態ではないが、あの世の技術によって気の毒にも機能を継続させられている。老人の魂は、その体に縛り付けられたまま静かにうなだれている。
時折、この老人に会いに来るが話をすることはない。そばにいるだけだ。
老人はこの日初めて僕に手を差し伸べてきた。
僕は握手というのではなく、彼の人差し指と中指だけを握った。
老人はしばらくして「死にたくない」とつぶやいて、崩れ落ちるように泣いた。
僕はびっくりした。まさかこの体に執着しているとは思わなかったのだ。
体から魂がはみ出している状態で生きながらえてどうしようというのか。その執着のために、この病室から一歩も出られないでいるのに。
老人はしばらく泣いて、僕の手を離した。
片手で顔を覆い臥せったまま、左手で犬でも追い払うような仕草で僕を追い立てた。老人の気持ちがわからなかったので、僕は傷ついた気がした。
しばらくして覗いたら、老人の体はなくなっていた。
彼は死を受け入れたのだろうか。
あの世の誰かが老人の体にぶら下がる機械を止めたのかもしれない。
同胞の誰が、彼を連れて行ったのだろう。
あっちで僕が最後に死んだのは15歳の時だ。
どこの誰と戦うのかもよくわからないまま行軍が進み、暗い隧道のなかで飢えと寒さに震え、ひざまで水につかりながら前に進んでいた。
どのくらいたったのだろう、突然行軍の前のほうで悲鳴があがり、友軍が自害を始めた。
何が何だかわからないまま、僕も誰かに腹を刺されて汚い水に崩れて落ちた。
流れてくる下水に交じる大量の友軍の血液で、おぼれて死んだ。
なんて無駄な人生だろう。
だが、その死に方は大量ポイントゲットだった。
誰もまだ殺していなかったし、殺されただけだったので罪らしい罪がなかったからだ。
友軍の先頭部隊はいったいなにを見たのだろう。
・・・今更それを知ってどうなるわけでもない、ああ寝よう。
僕にも一応友達っぽいのが何人かいた。
みんなやる気があって、さっさとポイントを貯めて生まれ変わりの螺旋に乗っていった。そろそろ戻ってくるやつにも会えるかもしれない。
ステージが上がっていて、会いたくてもあえなくなっているかもしれないが。
この世では波長が一致しない人とは、すれちがうほど近くにいても、会わなくて済むので、誰とも合わそうとしていない僕の視界で焦点が合うということは、相当波長が一致している。今、この世で波長が一致しているのはあの灰色ジャージぐらいかもしれない。
あんまりめでたくないな。
あいつサボりが目立ちすぎだ。
この間、一緒に「お迎え」作業に参加したら、あいつ途中で本を読み始めた。
「お迎え」作業というのは、戦場などのさまよう魂を大量の同胞でいっぺんに連れていくいわば一斉清掃だ。
あの世に未練を残した人を無理やり気味に連れて行くときは、僕ですら少し天使っぽく発光してみたり擬態してみせるのに。
「あきらめるまで、無駄じゃね?」
本を読んでいるときに声をかけるなと言いたげに、視線もよこさない。
「やかましい、黙って光っとけ」
その提案は採用だったようだ。
彼はずっと黙って光ってた。
惰眠をむさぼっていた僕は部屋から突然、強制的に別の次元に引っ張り出された。
僕だけではなく、相当数の同胞が突然強制的に連れてこられたのだ。
そんなことは初めてだった。
初めて見る同胞たちが、みな同様に困惑していた。
灰色ジャージも含め、知った顔が全員召集されている。いや、むしろ知っている顔で見かけないものは誰もいなかった。
こんなにたくさん同胞がいるのだと僕もびっくりした。
「目」からの伝達事項は、「お前たちの仲間を探せ」だ。
この次元は白夜の反対側だそうだ。
・・・・同胞の誰かが、その生を放棄して、死人の群れに交じったのだそうだ。
真っ暗な空に無数の星が輝いている。
ざらざらの砂地を足取り重く、無数の人型があるいていた。
あの世の命を終えて、戻ってきた魂もはじめこそあの世の形をとどめているが、そのうち元の形をわすれていく。
普通に歩いていたそれは次第に服を失い、顔を失い、手足を失い、クラゲによく似たきらきら光る青いぶよぶよのかたまりになっていく。
それは少し離れたところから見たら輝く川のように見えるのだ。
ひとつひとつが人の魂だったものは境界を失いまじりあいながら流れていく。
流れついた先には底のない滝があり、そこからまたあの世に戻るのだ。
僕たちはそんなむなしい螺旋を恐れている。
無作為に生まれ変わるそれは、人とは限らない。動物だったり、虫だったり、花だったり、ボウフラだったりミジンコだったり。
運良く人に生まれたのに、罪のない人をたくさん殺してさらに罪を重くして戻ってきたり。
世界の理をしった僕ら同胞なら、ふつうにポイントを貯めればあの世に行けるのに、あえてそんな無茶苦茶な手段をとるとは考えられない。
僕ですら、この死人に交じって滝つぼに落ちるように転生するのはまっぴらだ。何を考えてそんなことを思いついたのだろう。
僕たちは必死で死人の中から同胞を探す。
生きたままの僕らが、あの滝に落ちたらどうなるのだろう。
「目」の焦りを感じていた。
世界が壊れてしまうのかもしれない。むしろ何も起こらないのかもしれない。
そんなこといままでなかったので、どうなるのかわからなかった。
顔を見ても、その同胞の顔も知らないし、姿を失った後の同胞が「そうだ」と見てわかるのかどうかわからない。
僕らは必死に探した。
人型の中に生きている者はいなかったので、僕らはみな川に浸かって、ぶよぶよのなかから仲間を探す。川の中にいることはわかる。僕たちはひとつなのだから。
どのくらいたっただろう。
僕は同胞を見つけることをこっそり諦めつつあった。ふと横を見ると、隣にいた灰色ジャージは川の中に浸かって目立たないように休憩していた。
さすがに今日の「目」にばれたら、消し込まれるかもしれないぞ、と声をかけようとしたときに偶然もちあげたひとつのかたまりは、それ以外とまったく違う何かを感じた。
それは慌てて「死んでいるふり」をした。
すっかり姿も形も声も失って青いクラゲになっているこれが同胞であるのかどうか、確信が持てず、僕は声を上げるべきなのかどうなのか逡巡した。
『見逃してくれ』
いきなり意識を送られて、びっくりして手を放してしまった。
僕の手を逃れた瞬間、歓喜と感謝の気持ちを僕に送ってきた。
灰色ジャージもそいつに気が付いたようだった。
それ以外の塊と一緒に流れていってしまい、僕たちはなすすべもなく、ぼんやりと流れて至った先を見つめていた。
流れていった先は紫にかがやく滝つぼの方。
全身に鳥肌が立った。
・・・・落ちた。
瞬間、滝つぼの底から、光の柱が立ち上り空に打ち上げられた。
空は星を失い、世界は真っ暗になった。
刹那、漆黒の空に、目の奥が焼けつくような花火が開いた。
「目」と僕たち全員との接続が閉じられた。
僕はいつものように白夜の部屋で目覚めた。
まるで、すべては夢だったかのように、「目」からその後の伝達はなかった。
彼の「死」はこの世に大きな影響を与えなかったようだ。
禁忌となったこの出来事について、僕たちは互いに語らなかった。
だが、僕たちはみなあの夜空に輝いた花火のことをたぶん忘れることはできないだろう。
灰色ジャージが生まれ変わりの階段にのるという情報を得た。
「目」の連絡網みたいなものだ。
あの偏屈が「あっちの世界で出会いたい彼女」ができたらしい。
詳しいことを知りたければネットワークをたどっていけばもっとわかるのだろうが、そこまでの興味はない。
あの世に行けば、この世の記憶はすべて消去されるのだから、無駄なことなのだ。ほんの数年、年齢がずれただけで相手にはならない。まして違う国はおろか隣の町ですら出会わない可能性があるものを。
「そんなことわかってるやつだと思ってたのにな・・・」
牛乳瓶の底のような視界で生きているあの男にそんな約束をさせた相手に少し興味がなくはなかった。
たぶん、灰色ジャージにとってもあの花火はなにかを変える出来事だったのだろう。あの偏屈が自分の何たるかを見失い、滅びることさえ夢見て人を恋することがあるならそれは滑稽な出来事だろう。
想像して可笑しくなった。
あの世にその様子をときどき眺めに行ってやろう。面白いかもしれない。
次の日、タブレットをいじって仕事をしているふりをしていると、灰色ジャージが笑顔で近づいてきて、僕の席の前の席に後ろ向きに椅子にまたぐようにしてすわった。目を糸のように細くしてにこにこしている。
「あの世に行くんだって。頑張れよ」
とりあえず定型的な励ましの言葉をかけてみると。彼はさらににこにこした。
意外と人懐っこい顔で笑うのだなと思っていたら、彼は僕の手を握った。不審に見上げた瞬間。腕が机に沈み込むんじゃないかというすごい圧力が襲った。
灰色ジャージは生まれ変わりのための大量ポイントを僕に押し込んだのだ。
あっという間に僕の生まれ変わりポイントはフルチャージされ、背中から生まれ変わりの螺旋に引っ張られる。
「俺、生まれ変わるんだよね」
そんなことは知っている。
罵声を浴びせようにも急激な変化に声も出ない。なんだこのテロリスト。
「ねえねえ、おかあちゃん」
灰色ジャージの顔はみるみる幼くなっていく。
既視感。繰り返されたいくつもの前世の記憶がその顔に何重にも交錯していく。でもやっぱり目は糸のように細かった。
急速に遠ざかる世界。小さな子供の声が頭の中に響く。
「おかあちゃんがあの世に行く気になるのを待っていたけど、待てない事情ができたんだ」
「おかあちゃんが産んでくれないと、僕が生まれ変われないじゃないか」
「ちょっと急いでいるから、はやめに産んでね。よろしく」
この世から急激に遠ざかっていく。生まれ変わりのプロセスにはいってしまったようだ。
墜落していく。
成層圏から地球に。
地球の青い弧と宝石のような日の出を見た。
あの日の花火のようだった。
灰色ジャージはこの世でも同じように灰色のジャージがお好みだ。
ユニクロの長袖スウェット綿100Tシャツっていうんですかね。
パソコンばっかり見ている、半引きこもりの大学生。
無理やり幸せな白夜生活から引っ張り出された身からすると、「おめー彼女を探しに来たんじゃなかったのかよ、付き合わされた僕の身になれやワレー」と両耳に親指突っ込んでグラグラ振り回してやりたいところだ。
そうはいっても、今の私は「おかあちゃん補正」がかかっているので。
であうべき運命の彼女が、性悪でないことを祈っているよ。
そして、目を閉じて、懐かしい白夜の部屋を思い出す。
この命を終えたとき、私はあの老人の手を引いて連れていける警官になることができるだろうか。
白夜の部屋 錦魚葉椿 @BEL13542
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます