第5話 刀匠鬼
どこの生まれで誰に師事したのかも語らず、ある日ふらりと現れ、稲荷山の奥にある「
集落の人間と必要以上に関わらず、求道的に鋼を鍛えるその姿は、まさしく刀に憑りつかれたある種の『剣鬼』と呼ぶべき存在だった。
通常、一本の刀が完成するまでには、いくつかの段階を経る必要がある。
実際に刀を加工鍛造する刀鍛冶。
装飾を施す彫師。
鞘を作る鞘師。
そして打ちあがった刀に刃をつける研師の手を経て、漸く一本の刀が完成される。
この一連の工程を、全て一人の人間が行うことは稀であった。それぞれに精通した職人が、各段階を仕上げ次の職人に回していくのが普通である。
これは決まりがあるというわけではなく、単に作業効率の問題であった。また同時に、分業することにより、それぞれの分野を極限まで突き詰めることによって、総合的な完成度を究極まで突き詰めることが出来る。
だが宗景は違った。
独り山中に分け入り、鉱石を掘り出し厳選し、そして鍛える。
そうして打ちあがった刀身を、納得がいくまで研ぎ仕上げた。
他人に任せるのは、柄の装飾と鞘ぐらいのものであった。いや、それすら稀であり、基本的には一振りの刀が仕上がるまでを、すべて一人でこなすのが上条宗景の過多な作りであった。その仕事ぶりは、まさに鬼気迫るものがあった。
そうして打ちあがった乱れ波紋は、見る者の心を魅了した。なにより、その切れ味と言えばまさしく、振れば玉散る氷の刃――
だがしかし、宗景の作った刀が世に名を馳せることはなかった。
なぜならば宗景は、打ちあがった刀の殆どを各地の神社に奉納したからだった。
一つ打ちあがれば、それを手にし奉納の旅に出る。そして戻れば、また新たな刀を打ち始める。特に、大打螺神社に奉納された一振りは「膝丸」や「小烏丸」にも負けぬ業物と囁かれた。
不思議な事に宗景は、己の打った刀をひとに譲る事は皆無に等しかった。
まるで他人との接触を、忌むかのように暮らしていた宗景であるが、唯一心を開いていたのが、大打螺神社の巫女である
奉納刀を納めたことが縁で、玉音が世話を焼くようになれば、いずれ二人が結ばれるのは、ある意味必然だったのだろう。
人付き合いも無く、自ら村八分を望むような状況を作り出していた宗景を、村に受け入れさせたのは玉音の存在だった。
果たしてそれが、宗景の望んだ生活だったかは定かではない。
だが、宗景の顔に人間らしい柔らかな笑みを与えたのは、間違いなく玉音だったのだ。
そしていつしか、玉音の中に命が宿り、二人の間に
しかし家族が増え所帯を持った身で、宗景の求道的な匠仕事では、日々のたずきに困窮するのもこれまた当然だった。
ひたすら刀にこだわり続けた宗景が、女房子供を食わせていくために選んだのは、研ぎ師として腕を振るう事だった。
己の命を賭け、骨身を削るようにして刀を生み出していた宗景にとって、他人の打った刀を研ぐことには、複雑な想いがあったのかもしれない。
だが宗景の刀師としての偏執なまでの腕前は、数打ちのなまくら刀であろうとも、業物に負けぬまでに研ぎ直すと、ひと伝手にたちまちに評判を呼んだ。
折しもその頃、京では尊皇攘夷の気運が高まり「
都の治安は悪化の一途をたどっていた。そんな中で、侍たちが魂たる刀にこだわりを強くするのは至極当然の事だった。
結果、過激派攘夷志士たちを中心に、宗景の名は静かに、だが着実に勇名を轟かせていた。
しかし宗景は、どんなに研ぎ師としての仕事が増えようとも、刀を鍛えることを休むことはなかった。むしろ他人の作った刀を研げば研ぐほど、己の本来の仕事に深くのめり込んでいくようなところがあった。
ある日のこと。
己の命を炭と燃やし、血肉を玉鋼と化すような宗景の刀師としての人生は、流行病により鍛冶場の火花のように呆気く散った。
宗景の死後、暫くは母娘二人で慎ましく暮らしていた。
しかし昨年の秋頃から、母親の玉音までもが病に伏してしまった。
宗景の上客であった龍馬は、上条母娘の困窮する暮らしを憂い、京を訪れる毎に鍛冶場に顔を出し、何かと世話を焼いていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます