第4話 戯雪童
雪に被る竹林を、山南敬助は歩いていた。
朱塗りの千本鳥居を潜り、途中から道を外れ、稲荷山の頂上へ向かう山道を、奥へ奥へと向かう獣道である。
龍馬の言っていた刀師・
「もうすぐ村があります。そこで少し休みましょう」
そう言って、山南の前を歩いていた香尾が振り向いた。
「そうしてもらえると助かります」
汗を拭った手が、すぐ脇の竹に当たった。
その瞬間――ざざっと、眼の前に粉を巻いたかのように雪が散った。
「気をつけてください」
香尾は冷ややかに言い放つと、軽やかな足取りで進み始めた。
「申し訳ない」
香尾の健脚ぶりに舌を巻きつつ、山南は遅れぬよう足を急がせた。
竹林を抜けると、道は緩やかに下りはじめた。そのまましばらく行くと、山肌を背にし開けた場所に出た。
そこは数件の家が固まる小さな集落であった。
「この辺りで静かに待っていてください」
香尾は言い残すと、足早に家の間に入っていった。
手持無沙汰になった山南は、ぐるりと周囲を見渡す。
家の向こうには畑らしき場所も見えるが、今は雪の下である。
ふと、視線を戻すと数人の村人が、もの珍しげにこちらを見ていた。
男たちは山にでも入っているのか、或いは町へ降りているのだろう。警戒しながらも好奇の目を向けているのは、いずれも女たちであった。
山南が眼尻に皺を深くすると、いくぶん警戒が緩んだのであろう。女たちの表情が幾分か柔らかなものになった。
「もし。訊ねたいことがあるのだが」
「なんでしょうか」
ぎこちない愛想笑いで応じたのは、背中に幼子を背負った若い女であった。
「この先に刀の鍛冶場があると聞いてきたのですが。そこへは、あとどれほど距離があるのでしょうか」
その瞬間、女が表情を固くした。
愛想笑いが引きつったように強張っている。
「んんっ」
遠巻きに事の成り行きを見守っている女たちの様子も、明らかに変わった。汚いものでも見るような眼で、少しずつ後ずさりしていく。
妙だな――龍馬の話では、宗影は武骨な職人気質なれど、その実直な気質は村人には信が厚く、加えて上条の妻は元巫女という事もあり、親子三人は集落との関係もすこぶる良好であったはず。
だがそれにしては、女たちの態度は納得のいくものではなかった。
「きつねみこ……」
「いま、なんと――」
「あんたも、買いにきなさったのか」
「良いものであるのならば、是非にと思っています」
「あんたもか」
嫌悪も露わに、山南を睨みつける。
「どうか致しましたか? 」
理由がわからず、山南は苦笑いしたまま首を傾げた。
「狐買い」
ぼそりと、遠巻きにしていた女が呟いた。
「狐――買い? いや、私は狐では無く――」
はた――と、山南は気付いた。女たちの眼に浮かぶ、忌み蔑む光を。
「狐巫女め」
少し離れたところに立っていた女が、足元の石を投げた。
「出て行け! 」
それを皮切りに、女たちの口から罵声が飛び交った。
「狐買いめ! 」
「汚らわしい」
女たちは、足元にある石やら木の枝やらを、手当たり次第に投げ始めた。
「ちょっと待ってください。どういうことなのですか」
そのほとんどが、山南まで届くものではない。ましてや傷つけるほどのものなど無かった。顔に当たりそうになるものだけを山南は掃った。
「山南様」
そこへ割り込むように、香尾が現れた。
「行きましょう」
山南の手を引くと、女らに眼もくれず足早にその場を後にした。
「静かに待っていてくださいと、言ったではありませんか」
集落を抜け再び森に入ったところで足を止め、香尾は呆れたように溜息を吐いた。
静かにとはそういう意味だったのか。
「村の女たちの言っていた狐巫女とは、なんのことなのだろうか」
香尾の言いたいことは察したが、敢えて気づかぬふりをした。
「存じ上げませぬ」
一瞬だけ視線を絡めたが、香尾は背を向け歩き始めた。
「なるほど――」
言いたくない事情があるようだ――山南は深いため息をついた。
気を取り直し、香尾を追おうとした時だった。
左の樹の奥に、何かの気配を感じた。
見るとそこには、雪に隠れるように小さな石の祠があった。
その傍に、ひっそりと狐の子が佇んでいた。
山南の姿を見て逃げるでもなく、また警戒する様子もなく、黒く濡れたような瞳をこちらに向けている。
まだ幼く人の怖さを知らないのだろうか。それにしても、先程の集落からさほど離れていない。
ふと山南の脳裏で、先程鳥居の脇を跳ねるように駆けていった女童の姿と、眼前の狐の子が重なった。
無邪気でありながらもどこか儚げな雰囲気が、山南にそう思わせたのかもしれない。
山南が眼尻に深い皺を刻んだ時、香尾が先に向かった森の奥の方で、なにやら人の話し声が聞えた。
まだ幼さの残る黄色い声は、どうやら子供のようである。
遊びに夢中になる童らが、大きな声で囃し立てている様だった。
ほんの一瞬、そちらに気を取られただけだった。だが気がつけば、祠の傍らにいた子狐は、姿を消していた。
童らの声に驚き逃げたか。或いは逆に、好奇心に駆られて声の方へ行ったのかもしれない。
山南がそんな事を考えている間にも、童らの声は大きくなり、その口調は激しさを増していた。
「やれやれ」
山南はため息交じりに微笑むと、声の方へと脚を急がせた。
幾らも行かぬうちに森は開け、人の手で開墾されたような場所に出た。
雪が溶け春になれば、畑でも耕している者がいるのだろう。
だが今は、一面の雪に覆われている。
その真ん中辺りに、童らの姿があった。
「何をしているのですか? 」
静かにその光景を見つめている香尾に声を掛けた。
「戯れているだけでありましょう」
顔立ちが美しいだけに、淡々と言い放つ香尾の言葉が、やけに険をもって響いた。
「関わらぬ方がよろしいかと存じます」
参りましょう――と、香尾は背を向けた。
「すまないが、少し待っていてください」
香尾の返事も待たず、山南は童たちの方へ駆け出していた。
五尺はゆうに超えているだろう。一見すると大人のようにも見える。ずんぐりと、ひと際身体が大きく、いかにも餓鬼大将然としているが、顔はそれに似合わず、幼さを残している。だが、腕を組み仁王立ちしていれば、充分な貫禄すら醸し出している。
餓鬼大将の後ろには、子供らしさを醸す童が五人。いかにも子分か太鼓持ちのように並び、やんややんやと囃したてていた。
「……もつき……が……」
「ばけ……ね……」
「お前のか……キツ……みこ――――」
声が雪に吸われているからなのか。声は不明瞭である。
だがその悪意を含んだ声音は、その先にいる誰かを侮蔑し嘲笑していることは明白であった。
童らの背後に立った山南が、舌を鳴らしたのは、無意識だった。
口舌の刃は、時に本物の刃以上に残酷に傷をつけることもある。
我慢ならん――と、山南が口を開きかけたその時。
悪童たちの隙間から、彼らを気丈に睨みつける黒い瞳が見えた。
まだ幼さを残すその瞳に、山南は見覚えがあった。
子狐――否。それは先程、鳥居の間を駆けて行った、あの女童のものだった。
自分よりも身体の大きな男児たち――なにより容赦なくぶつけられる悪意に対し、女童は涙も見せず、唇を噛みしめじっと耐えていた。
「――なんとか言ってみろよ!」
そんな女童の態度に腹を立てたのか、仁王立ちする餓鬼大将が、女童の肩を突き飛ばそうと腕を伸ばした。
「男子たるものが、寄ってたかって女子を虐めるのは許しがたいな」
見兼ねた山南が、その腕を寸前で掴んだ。
睨み据える様に悪童どもを見回すと、腕を掴んだまま、女童との間に割って入った。
「な、何んや!」
だが無謀にも臆することなく、餓鬼大将は山南を睨みつけると、腕を振り払った。
「理由は知らないが、みっともない真似はやめるんだ」
目尻に皺を刻んだ山南の物腰は柔らかい。だがその声には、有無を言わさぬ強いものが含まれている。
「お、お侍はんには関係あらへん」
「おっさんは、引っ込んどき!」
「おっ、おっさん? 」
思わず、山南は肩を落とす。
「そうや、そうや。おっさんは黙っとき!」
「おっさん、誰や」
周囲の童たちが大将を掩護するかの如く、こぞってまくしたてる。
「こん餓鬼ゃ、憑きもんの娘や。せやから
「憑きものだって? 」
一瞬、山南の眼から笑みが消えた。
「こいつのお母ん、祟られよったんじゃ」
餓鬼大将が、大きな声を張り上げた。
憑き物すじ――俗にそう呼ばれる一種の憑依現象である。
突然奇声を発したり、四足で歩くなど獣のように振る舞い、人に危害を及ぼすこともある。時には、極稀であるがその身体から獣毛を生やし、その見た目も獣のように変じることもある。
その様から『狐憑き』や『犬神憑き』などと呼ばれることが多い。
雑霊や氣の
だがそうであったとしてもほとんどの場合、人々に忌み嫌われ、時に一族郎党すら村八分にされることは、決して珍しい事ではなかった。
「こいつのお母ん、狐憑きの狐巫女なんやで」
鼻息も荒く悪童のひとりが声を上げる。
山南の背後で、少女が身を固くする気配が伝わる。
「狐巫女? ちょっと待つんだ。それはもしかして――」
集落で女たちの言っていたのは、この事なのか。
「まさか――」
「こいつのお母ん、淫売なんやで」
奥童の放つ口汚い言葉に、山南が慌てて振り返ると、山南が思考を打ち切り振り返ると、女童は俯き、小さな身を震わせていた。
「こいつのお母ん、亭主が死んだ後に狐とねんごろになったんや。だからこいつもバケモンの娘や!」
まるで鬼の首でも取ったかのように、餓鬼大将が得意満面でに吠えた。
「そうや、そうや!」
「伏見のお稲荷はんのバチ当たるで!」
「バケモン!」
「くそ、ばけもの!」
悪童達は雪を丸めると投げつけてきた。
「くっ」
女童を庇うように山南は背を向けた。
膝を着き女童を抱える山南の背を、硬く丸められた雪玉が次々と叩く。
「大丈夫、心配ない」
自分を庇う山南を、唇を噛みしめたまま女童が見上げる。その瞳には、いまにも零れそうな涙が滲んでいた。
儚げな女童に、山南が向ける笑みは春の日差しのように暖かい。
「仕方がない。少々痛い目にあってもらいましょうか」
くい――と、上がった口角には、珍しく険が滲んでいた。
懐に手を入れ、なにやら白い符を取り出す。
「――急々如律令」
右手だけで印を結び、呪を唱えると、手にした呪符がそれに応じるように微かに光を発した。
それを後ろも見ずに放ると、風に流されるように悪童たちの頭上を抜け、その背後に音も無く落ちた。
「――化けもん親子!」
それに気づかぬ悪童たちが、硬く握り固めた雪玉を一斉に投げた。
その時だった。
ぽすん。
「え?」
悪童の後頭部に何かが当たった。
「なんや?」
悪童の頬を、再び雪の塊が叩いた。
「痛っ」
不意をつかれたからなのか。先程よりも固く、勢いのあった雪の塊に悪童が尻餅をついた。
「なにしんてんのや?」
童らが手を止め、次々に振り返る。
すると、その顔をめがけ、次々と雪玉が襲った。
「なんや、なんや」
誰もいない雪中で、陽炎のように何かが揺らめいていた。
次の瞬間、雪玉が顔面めがけて飛んでくる。
「おぉわ!」
すると、息つく間もなく雪玉が矢継ぎ早に飛び、次々と悪童らを襲い始めた。
「止め。止めや!」
何が起こったのか訳が分からず、悪童らが混乱に陥った。
「なんやなんや、これ――」
目を凝らしてみれば、雪の上に小さな無数の
「こ、これは……」
その雪人形が自らの身体を引き千切り、雪玉を作ると、それを投げているのだ。
「うぁぁぁぁ!」
餓鬼大将の恐怖に引きつる悲鳴に、自分たちに何が起こっているのかを漸く理解した悪童らは、腰を抜かし這うように逃げ惑う。
「さあ、今のうちに行こう」
と、山南が女童を促す。
「家まで送ろう。名は――」
「凛音」
「りんね――良い響きですね」
山南が優しく微笑む。
それが嬉しかったのか。
少女は屈託のない笑顔を浮かべた。
「どちらに向かえばよいのですか」
その問いかけに、凛音は森の奥を指差した。
「よし、行こう」
山南が女童の肩を抱くように歩き出した。
去り際に後ろを振り返ると、悪童らは蜘蛛の子を散らすように走り去るところだった。
「ところで、上条という刀鍛冶の家を探しているのだが知らないだろうか? もしかして――」
探るように覗きこむ山南に、女童が頷いた。
「それ――ウチや」
絞り出すように、女童が言った。
「ウチのお父……亡うなったお父ん……刀鍛冶の上条宗景や」
「矢張り、そうですか」
山南は眼を閉じると一瞬、天を仰ぎ溜息を吐いた。
思わず、女童と繋いだ手に、力が入ってしまった。だが、それを握り返した女童の手は、それ以上に強く握り返していた。
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