(2)

 新第三研究棟総合資料室は、英士の想像以上に広く、閑散としていた。


 研究施設の資料室である。いつでも人で溢れていて然るべき――と覚悟していた英士だったが、考えてみれば紙媒体をわざわざ探しに来る研究員などそうはいまい。研究室や実験室から、直接データベースにアクセスすれば事足りるのだ。


 もっとも、国家機関のデータベースに足跡を残さず侵入する術など英士は持っていない。それに対して、紙は勝手に読んでも記録が付いたりはしない。加えて、資料室に詰めている司書は気だるげに論文の束を眺めていて、英士たちに気付いているかも怪しい様相である。


 英士にとっては、絶好の条件と言えた。


「ヒスイ、調べる内容は覚えてるか」


「第三研究棟、建設中の事故、三原則第一条、殿羽碧。大丈夫だ」


「よし。じゃ、さっさと始めよう」


 二人がいなくなったことに、さすがにもう靖久は気付いているはずだ。まだ騒ぎになっていないのは、彼が誰かに伝えずにいるというだけのことだろう。


 時計を見ると、針はちょうど十時半を指していた。見学会は午前中いっぱいであり、最低でもそれが終わるまでに合流したい。

 英士は目当てのものを探すべく、足早に本棚の群れへと向かった。


「『新第三研究棟の歴史』、『〈WIRE〉使用ロボット便覧』、『AI部門第十一期活動報告』……うわ、分厚いなコレ」


 十年前の記録が書かれている報告書や論文を次々と手に取っていくが、やはり膨大な量である。闇雲に探してもキリがないので、英士はひとまず事故の報告に絞って探すことにした。報告書だとか始末書だとか、そういった類のものはきっと残っているはずである。


「新第三の建設が始まったのがここだろ……うわ、駄目だ。竣工写真まで飛んでる。じゃあ、こっちは……」


 『第三研究棟年鑑』を閉じ、次のファイルに手を伸ばす。それを流し見たら、また次へ。何しろ時間との勝負である。


 しかし、輝かしい実績に対して、不手際や揉め事の記録というのはなかなか見つからないもので、ようやく英士が事故に関連する記述を見つけたのは、資料を漁り始めてから二十分ほども経過した時であった。


「『新第三研究棟建設における仮設足場崩落事故その被害報告書』……きっとこれだ」


 早速英士は、その報告書を頭から読み始める。事故状況、損害額、事故原因――それなりに詳細な情報が記された、「当たり」の資料だ。


 しかし、読み進めるにつれて英士の表情は暗澹たるものになっていく。最後まで読み終えたときには、彼は忌々しげにため息をついた。


「こんなところでも隠蔽かよ……」


 報告書には、人的被害0と明記されていた。

 破損したロボットについては、脚注付きで細かく解説されている。それにも関わらず、先の一文である。無情というほかなかった。


「人が……子供が死んでるんだぞ」


 その後も事故についての手記は見つかっても、死亡者について触れられているものは一切なかった。自らの記憶を疑うほど、見事に記述がないのである。

 四回目の「人的被害0」を目にした英士は、悪態をついて資料を乱暴に棚に返した。


「英士、そちらの調子はどうだ」


 その音を聞きつけたのか、別の棚に張り付いていたヒスイが様子を見にやって来た。

 英士は力なく首を振った。


「駄目だ。どの資料も、事故で人死にはなかったの一点張りだよ」


「不自然極まりないな。余程の秘密があるのだろうか」


「おまえの方はどうだ?」


 ヒスイが数束の資料を持っているのを見て、英士は進捗を尋ねる。


「当時行われていた研究について調べていた。第一条に触れる内容があるかもしれないと考えたからだ」


 ヒスイは英士の隣にやって来て、資料をめくりながら答えた。


「当時の兵器開発におけるAI分野は、私のような『成長型』の開発が一種のブームとなっていたそうだ。それほど上手くいってはいなかったようで、学習効率は低かった。そこで、『経験の移植』ともいうべき技術が、第三研究棟では研究されていたということだ」


「経験……っていうと、電子頭脳の移植か? それほど難しい技術じゃない気がするんだが」


「成長型AIを積んだロボットは、『身体で覚える』ということもできる。そういった感覚の授受は、非常に難しい。信号の全てが解明されているわけではないからな」


「ふーん……で、三原則に関する内容は?」


 英士の質問に、ヒスイはその表情を曇らせる。芳しい成果は得られなかったらしい。

 自分も上手くいっていないのだから、ヒスイを責めるべくもないが、落胆は隠しきれない英士であった。


「……一応、おまえが見た資料を見せてくれ。発見があるかもしれない」


「そうだな。私もエージの見た被害報告書に目を通す」


 英士はヒスイが持っていた資料を受け取り、代わりに自分がチェックした報告書の場所を示す。彼女が頷くのを確認すると、英士は早速、資料に目を落とした。


「経験を別の個体に移す……人間で考えると、確かに凄い効果だろうけど」


 ベテランの老兵の技を、新米にそのまま写し取れるのである。装備も最新式に変えることができる。戦争用のロボットはどうしても壊れる運命にあるが、経験値を次代に引き継がせることができるなら、それは大きな意味を持つのだろう。フィードバックは、数値で説明できるものしか行えない。


「でも、だから何だって話だよな。『人を助けなくていいロボット』の経験が、工事用ロボットに飛んだ……わけもないし」


 人を傷付けるロボットは論外であるが、人を助けないロボットというのは、一応存在する。

 電子機器を積んでいる以上、ロボットは一部の放射線の類に弱い。ところが、一般のロボットであれば、その放射線に晒されている環境にも、第一条が絡めば飛び込んでしまう。そして、何もできないまま停止する。それでは、高価なロボットが壊れるだけ損なので、そういう特殊な環境下では、人間を救わなくても良いとするロボットが使われることもあるという。

 実際に英士は見たことがないが、そういうかたちで第一条が曲げられていることもある。


 とはいえ、そもそも工事用のロボットは、兵器開発を行う〈WIRE〉内で調整されたものではない。建設会社のものだ。冷静に考えるなら、〈WIRE〉で行われていた研究が、ロボットたちの見殺しに繋がった可能性は極めて低いといえる。


 そう考えた英士が、資料を閉じようとした時であった。


「な……!?」


 茫然とした英士の視線の先には、一枚の写真が挟まっていた。あまり解像度は高くないが、そこに移っている人物を、英士が見間違うはずがない。


 殿羽碧が写っている。


 『経験の移植』を試みる実験、その準備段階の光景に、英士の姉が混ざっているのだ。


「どういうことだ……?」


 確かにあの日、碧が、〈WIRE〉研究所へ向かった理由を英士は知らない。しかし、この写真を見たところ、彼女は以前にもここへ通っていた可能性があるのだ。

 それは何故なのか。英士は彼女がどういう役職・扱いとなっていたかを調べようと、資料の頁をひたすらめくる。


 しかし、殿羽碧という名前は一度も出てこなかった。

 もっとも、名前が出てくればヒスイが気付いていただろう。


「ヒスイ、ねーちゃんがこの研究の写真に写りこんでる。何かしらのかたちで関係してたのは間違いなさそうだ」


 脇で報告書を見比べていたヒスイが僅かに顔を上げる。

 英士が示した写真をしばらく見つめてから、ヒスイは「なるほど」と感嘆の声を漏らした。


「私には発見できなかった。さすがエージだ」


「まあ、おまえは遺影でしか知らないから仕方ないよな」


 これはヒスイの失態というわけではない。むしろ、手がかりとなる材料をもってきた彼女は、お手柄と言っていい。


「ところでエージ。私も少し気になる点を見つけたのだが、いいだろうか」


「何かあったか?」


 ヒスイが持っていたのは、先ほど英士が読んでいた『新第三研究棟建設における仮説足場崩落事故その被害報告書』――英士がため息混じりに放った資料である。


 英士も見落としていた部分があったのだろう。やはり目は多い方がいい。

 英士はヒスイの人差し指が示す位置を追った。


「ロボットの損害状況なのだが、おかしなものが混じっている。工事現場に、〈MIRE〉製のチャイルドケア・ヒューマノイドがいるのだ」


 ドクン、と英士の心臓が跳ね上がった。


 ヒスイが示す物的損害状況の欄には、確かにチャイルドケア・ヒューマノイド……つまり、保育用のロボットが、大破したと書かれていた。他に小規模な損害があったロボットは、溶接用、運搬用といったものものしいロボットなのに対して、この一体だけが異常である。


「『経験の移植』は医療分野の〈MIRE〉も共同で行っていたという。だから、その都合で軍事分野のはずの〈WIRE〉にいたのだろうか。考えられる可能性としては、それ以外、すぐに思い浮かばない」


「…………」


「どうした、エージ」


 ヒスイに声をかけられるが、英士はまともに返事ができなかった。

 喉がからからだった。


「……戻ろう、ヒスイ。もう十分だ」


「どういうことだ、エージ。顔色が悪い、大丈夫か」


「ああ。戻ろう。靖久が心配してる」


 つっかえそうになりながら、英士はそう言って、ヒスイの手を取った。ひんやりした彼女の手に触れると、自分の手がぶるぶる震えているのがよくわかった。


 ヒスイもその様子に感じるものがあったのか、それ以上は追及せず、英士を先導して、研究棟からの脱出を図った。


「あとは、母さんに聞けばいい」


 新第三研究棟から出る際、英士がぽつりと漏らすのを、ヒスイは聞いた。


 それは幽霊に怯える子供のような、弱弱しい響きだった。

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