第4章

(1)

 英士とヒスイが協定を結んでから十日余りが過ぎた土曜日。


 二人は靖久と共に、ある施設へ向けて歩いていた。


「まさか英士が、ロボットの研究所を見学したいなんて言い出すとはねぇ。いやはや、恋は人を変えるもんだ」


「余計なことは言わんでよろしい。ったく、何が恋だよ……」


「その態度は、ヒスイちゃんが傷付くぞ」


「問題ない。察している。私とエージは、既に以心伝心であり、エージのつんでれは全て許容することが可能だ」


「おまえも黙ってろ」


「黙る」


 このやり取りが、既にクラス内では夫婦漫才として定着しているのを、英士は知っている。何度否定しても評判は拭えないし、協力を頼んだ手前、最近の英士は強く跳ね除けることもできずにいた。


 さて、英士とヒスイが靖久に連れられて来たのは、まさに〈WIRE〉の研究施設であった。

 ちなみに、靖久が引率しているのは、英士たち二人だけではない。大学生と見える十人ほどのグループに加え、高校生が英士らの他に数人、スーツで身を固めた偉そうなおじさんまで混じっている。靖久は靖久で、〈WIRE〉のロゴが入ったつなぎを着ており、あたかも見習いスタッフであるかのような風情である。彼が以前から、父親の手伝いと称して、こうやって小遣い稼ぎしていることを、英士は知っていた。


 今日行われているのは、光哲市が誇る二大ロボット施設の片割れ、軍事を担当する〈WIRE〉研究所の見学会である。


 〈WIRE〉はそのイメージ向上のため、研究所をオープンな施設として宣伝している。そのため、毎週のようにこうして見学会が開かれており、最先端のロボット技術の一端を垣間見せてくれる。無論、ここで研究されている技術はいずれも兵器転用が前提であり、本当の機密には一切触れることはできない。


 何にせよ、複数人で施設内に堂々と入ることのできる機会が、〈WIRE〉研究所には元々用意されているのだった。


 靖久は定刻になると英士たちの下を離れ、一同の前に立ち、見学会の進行予定や注意点の説明を始めた。

 どこを見て何を見る。これこれこういうことは禁止。英士はそれを話半分で聞き流し、これからの予定について改めて考えを巡らせていた。


「それでは皆様、これより〈WIRE〉研究所内へご案内します」


 靖久を先頭に、仰々しい銀色のゲートを抜ける。かつてはもう少し簡素な、門という表現の方が似合う趣だったが、ここ数年で警備システムも強化されているらしい。


 ゲートを抜けると、比較的新しい大型の実験棟が目に入る。英士の脳裏には嫌な光景が蘇るが、彼は頭を振ってそれを振り払うと、冷静を努めて歩みを進めた。


「エージ」


 しばらく歩いていると、ヒスイが小声で英士の名を呼んだ。

 ヒスイの目配せに対して小さく頷くと、英士はタイミングを待った。次の横道で曲がって、突き当たりまで全力疾走。第七研究棟の裏口の一つから侵入する。そういう手筈だった。


 英士たちが歩いているのは最後列だ。二人がいなくなったことに靖久が気付くまで、数分は期待できるだろう。それに、靖久なら馴染みの二人が姿を消しても、すぐに通報するということはあるまい。


 善意に付け込むようだが、そうでもしなければ兵器開発が行われる〈WIRE〉内を調査するというのは困難なのだ。


(ここか……)


 狭い横道に静かに逸れ、数歩忍び歩いてから走り出す。音もなく、ヒスイが続いた。


 およそ五十メートルの距離を走ると、別の建物に阻まれ、道は行き止まりとなる。しかし、英士の左手には古ぼけた扉が設置されていた。


「入るぞ、エージ。昨日鍵を開けておいた」


「助かるよ」


 きぃ、と引っ掻くような音と共に、押されるまま扉が開く。

 英士とヒスイは扉をくぐり、ほこり臭くて薄暗い一室へと侵入した。


「第七は検知器系の研究が主だったのだが、ここのところは規模が縮小している。おかげで、こういった空き部屋もあるし、侵入するにはもってこいと判断した」


「他の研究棟に行くにも、室内からの方が移動しやすいって言ってたもんな」


「その通りだ。連絡通路のほうが、出入り口よりは突破が容易と思われる」


 部屋は元々、研究員の団らんスペースとして使われていたらしい。そこそこの広さはあり、ソファやテーブルの他に冷蔵庫なども放置してある。しかし、埃の積もり方を見るに、ここ数カ月は使われていないようだった。


 国家研究機関にこんな場所があるというのは、少々意外な事実である。

 英士は歩き始めたヒスイの背中に質問を投げかけた。


「なあ、規模が縮小してるって言ってたけど、いったいどうしてなんだ? センサー関連って大事なカテゴリだと思うんだが」


「簡単なことだ。民間の技術に後れを取った」


 さも当然のように、ヒスイが答える。

 それもまた妙な話だ。民間は兵器開発を行わない。医療と軍事のロボット研究は、ほぼ完全に国家組織の内側のみで為されている。


「兵器開発は、国家研究機関の仕事だろ。民間に技術が漏れないように、徹底的に管理してるはずだ」


「センサーを使うのは兵器だけではない。それに、国家機関から技術が出ることはなくとも、国家機関に技術が入ることはままある」


 合理的と言えばその通りだが、国家研究員はスーパーエリートの集団である。外部からの技術がそれほど必要になるものなのだろうか。

 そんな英士の疑問を察したのか、ヒスイは言葉を続けた。


「一人のエリートよりも千人の凡人が勝ることはある。それに、ライバルと競い合い、生き残らんとする民間企業が、分野を独占する国家研究を凌ぐというのは不思議なことでもない。ちなみに、ここを抑えたのは大手家電メーカーの子会社だ」


「……自動掃除機の技術か?」


「〈WIRE〉の地雷探査装置より、遥かに優秀なものを作っていたらしい」


 さもありなん、と英士は納得した。


 優れた者であろうとするなら歩みを止めてはならない。そして、歩みを止めなくとも、走っている者に追い抜かれることはあるのだ。

 肝に銘じよう、と英士は人知れず決心した。


「ところでエージ。何故エージは、この作戦の協力者にヤスヒサを選ばなかったのだ」


 ふと、ヒスイが英士に質問を投げかけた。


 今回の潜入作戦において、ヒスイは事前準備から大きな貢献をしてくれた。

 才花がどういうお達しをしているのかは不明だが、医療分野のロボットであるはずのヒスイは、軍事施設である〈WIRE〉研究棟内を比較的自由に行動することができた。見取り図や監視の目、研究員の数、研究分野とその配置、かなりの情報を実地で集めてきてくれたのだ。極端な話、ヒスイ一人で調査させるなら、それが一番楽だったはずである。もっとも、英士は自分の足で赴かなければ気が済まないため、その線ははじめから候補外だ。


 ともあれ、ヒスイはこうして潜入経路を確保するまでしてくれた。その後の行動指針もできている。

 ただヒスイは、これは〈WIRE〉内を出入りできる靖久にも、同じことができたのではないかと疑問に思っているのだ。


「まあ、あいつの場合バレたらただ事じゃないからな。俺のせいってだけじゃすまない」


「それは私もそうだ。大きなリスクを負っている」


「いや違う。お前の場合、ロボットを使役した俺の責任に留まるはずだ」


 ロボットの罪は裁けない。お叱りは受けるかもしれないが、まさか解体されることもあるまい。

 裁かれるのは、命令を下した人間だ。


「それに、おまえなら絶対上手くやれるだろうと思ったからな」


 最後のはもちろんリップサービスである。

 単純なヒスイは、これで十分すぎるほどのやる気を出してくれるし、反論してくることもないだろう。


 英士の読みは的中して、ヒスイは神妙な顔でふんと鼻を鳴らした。


「期待に応えてみせよう。エージ、こっちだ」


 先に立って歩き出したヒスイの背中を、英士は苦笑混じりで追いかけた。



* * *



 第七研究棟内のロッカールームで、あらかじめヒスイが調達していた〈WIRE〉のロゴが入った白衣を着こんだ二人は、人目に付かないところを選びながら、やや足早に移動していた。もっとも、連絡通路を使う以上、まったく誰とも接触しないというのは不可能だ。ただ、研究棟内の人間は、あまり他人に興味を示さない上、横の関係が希薄ときている。格好だけどうにかすれば、あまり騒ぎになることはないというのが、ヒスイの意見だった。


 案の定、英士たちは数人の研究員に訝しげな視線を送られたものの、何事もなく先へ進むことができた。

 厄介なのはロボットだと英士は思っていたが、ヒスイは全ての検問において顔パスであり、それに続く英士もすんなり進むことができた。兵器開発施設がこの警備で大丈夫なのかと不安に思うほどであった。


 二人が目指したのは、新第三研究棟の総合資料室だった。新第三研究棟はAI関連の施設であり、十年前に竣工した因縁の一棟でもある。


 第七から第四、そして新第三へと渡ると同時に、二人はそそくさと非常階段へと退避する。新第三にはヒスイのことを知る人物が混じっているので、彼らと出会うのは避けたいというのが理由だ。


 資料室があるのは一階だが、第四から新第三への連絡通路は四階であった。

 英士とヒスイは、カンカンと小気味良く音を立てて、非常階段を下り始めた。


「この非常階段からなら、外からでも直接新第三に入れそうに見えるけどなぁ」


「無理だ。非常階段も館内に当たるから、ID認証が要る」


「ま、それもそうか。第七より、明らかに活気があるしな」


 軍事におけるAI開発は、どの国でも躍起になって取り組んでいる分野だ。民間企業に先を行かれるセンサー関連とは予算からして違うのだろう。無警戒な開口そのものがない。無警戒な棟と内側で繋がっているのだから、どうにも詰めが甘いと英士は感じてしまうのだが。


「一階の見取り図は覚えているか」


「当たり前だ。おまえの情報から、進行ルートを決めたのは俺だぞ」


「プリンハンターの面目躍如だったな、あのときのエージは」


「任せとけ」


 ふふふ、と英士は得意げに笑う。数少ない活躍の場だったため、おだてられれば嬉しい部分である。


「……じゃ、行くか」


 一階まで下りてから、二人は改めて室内への扉を開ける。幸い、いきなりヒスイの顔見知りと出くわすという事態は起こらなかった。


 目の前の通りに、ひとまず人影はない。

 英士とヒスイは、人通りの少ない細い通路を選びつつ、総合資料室を目指した。曲がり角では細心の注意を払い、手のひらサイズの鏡で様子を窺ってから進む。


 そして、用心の甲斐はあった。


 資料室まであと少しというところで、前を行くヒスイが英士を制止した。

 鏡を覗くまでもなく、英士にも話声は聞こえていた。それが、ヒスイの顔を知る人物だったのだろう。足音がないことから、立ち話をしているらしかった。


 英士は素早く辺りを見回し、身を隠せる場所を探す。

 すぐに目についたのは、少し戻ったところにある、小型のコンテナが積まれた一室である。英士はヒスイの手を引き、開け放されたその部屋に入った。


「このコンテナなら、人一人は入れそうだな。開くか?」


「開くには開くが、中から閉める術がない。こちらの隙間に入る方が現実的だ」


 言うが早いか、ヒスイは積まれたコンテナの間に猫のようなしなやかさで滑り込んでいく。なるほど、これなら通路側からは見えまい。

 問題は、英士がそうやすやすと入れるほどの幅がなかったことである。


「なあ、ヒスイ。俺には無理そうなんだが……」


「物理的には入れるはずだ。私の目に狂いはない」


「理論と現象は必ずしも一致しないもんなんだよ。うわ、マジでどうしよう」


「シッ。足音が近い」


 いや、「シッ」ではない。英士は隙間に顔を突っ込んだ状態で、身体が一切隠れていないのだ。静かにしようが、バレるに決まっている。

 しかし時間というのは無常なもので、英士が隙間に入ろうともがくうちに、足音はすぐそこまで迫っていた。


 そして英士は、上半身のみをコンテナの隙間に突っ込んだ奇妙な格好で、先ほどの研究員の視線を釘付けにすることとなった。


「あの……どうされました?」


「あ、なんか猫がね! 誰が連れ込んだのか知らないけど、逃げ込んじゃって! おーい出てこい、にゃんこやーい」


 当然のごとく声をかけられた英士は、半ばヤケクソになってそんなことを口走る。

 一切の説得力を持たないことは分かっていた。訝しんだ研究員はこちらにやって来て、隠れているヒスイも見つけるだろう。


 絶体絶命。英士は無念とばかりにギュッと目を瞑った。


「にゃあ」


 そして、唐突な鳴き声に、英士はすぐに目を開く羽目になった。


「にゃーん」


 ヒスイが鳴き真似をしているとわかるまで、英士は数秒の時間を必要とした。

控えめに言って、それは迫真の演技だったのである。


 というか、絶対人の声ではなかった。


「そ、そうですか。まあほどほどに」


 猫の鳴き声に納得したのか、はたまた関わり合いになりたくないという思いがあったのか。ともあれ、その研究員が部屋の前を通り過ぎていく気配がした。


「…………」


 コツコツと遠ざかっていく足音。

 英士はゆっくりと、コンテナの隙間から這い出した。


「……何とかなったな」


「驚愕だ」


 同じく隙間から出てきたヒスイが、しみじみと漏らす。英士としても、まったく同意見だった。よくもまあ、やり過ごせたものである。


「おまえ、猫の鳴き真似上手いのな」


「私自身、こんな機能があるとは知らなかった」


 わぉん、とヒスイが短く吠える。今度は、中型犬の吠え声としか思えない音だった。


「保育用……かねぇ。小さい子は喜びそうな気もする」


「なるほど。そういう目的か」


「いや、知らないけどさ」


「それはそうだ」


 うむ、と顎に手を当て頷くヒスイ。


「……ぷっ」


 この、言い知れないシュールな状況に、英士は堪え切れずに笑い声を漏らした。


「ははっ……あっはははは!」


「エージ、大声はまずい」


「あははははは!」


 ヒスイが慌てた表情でそれを止めようとするが、どうにもそれは止められなかった。

 英士自身、何がこんなにおかしいのか、はっきりはわからない。鳴き真似云々だけが原因ということはない。この自分が、まさかロボットとスパイごっこに興じているという現状そのものが、滑稽でたまらなかったのかもしれない。


 ふわふわ浮くような不思議な感覚を抱きながら、英士は笑いに笑った。


「エージ、ここは私も笑うところだったのだろうか」


 あんまり英士が笑うものだから、ヒスイが不安げに尋ねてくる。

 ようやく笑い終えた英士は、「いや」と優しく首を振り、彼女の頭をぽんぽん叩いた。


「笑いなんてのは、意識して出すものじゃないさ。おまえが楽しい時に笑えばいい」


「自然発生は私には望めない」


「さて、どうだろう」


 確かに英士は、彼女の笑顔を見たことはない。しかし、何となく彼女の笑顔を想像することはできた。

 だから英士は、彼女の至極当然の発言に対して、肯定しようとは思えなかった。


「さあ、行こう。資料室はもうすぐそこだ」


「了解した」


 相変わらずヒスイの切り替えは早い。

 英士はもう一度口許に笑みを浮かべると、気を引き締めてコンテナ部屋を出た。

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