(3)
英士が幼い頃、殿羽家は共働きの家庭環境であった。
英士の両親は職場恋愛が発展して、結婚に至っている。その際、英士の母・遥は、結婚後も働き続けることを望んだ。専業主婦という考え方は古くなってきていたし、彼女の夫となる殿羽雄大は、遥の希望に反対することはなかった。
英士が生まれた時も、両親が育児休暇を順番に取ったものの、それ以降は両親共に家を空けていることが多かった。
そんな幼少期の英士にとって、親代わりとなっていたのが姉・碧の存在だった。
英士が物心ついたときから、遊び相手はいつも碧だった。同じ世代の友達と比べて、彼女はずっと物知りだったし落ち着いていて、英士は謂わば憧れのような感情を抱いていた。姉の気を引きたくて、かけっこや背比べで張り合うこともした。碧はそんな英士を優しく見守り、導いてくれた。
英士は農業地区へ遊びに行くのが好きだったが、二人で町に繰り出すこともよくあった。碧は、その頃爆発的に普及していた自動運転のバスや地下鉄についても熟知していて、彼女についていくと、いつも新しい場所に行けた。幼い英士にとって、それは非常に刺激的な日々だった。今の英士の土地勘も、その時に育まれた部分が大きい。
碧は、英士の知る世界の全てだった。そう言って、まったく過言ではない。
しかし、英士が小学校に入ってすぐ、彼女はしばしば英士の前から姿を消すようになった。
ふらりといなくなり、いつの間にか帰っている。訝しんだ英士は、ある日彼女の後をこっそりつけることにした。
碧はどういう用事があったのか、軍事ロボット研究を行う〈WIRE〉の敷地に入っていった。英士もそれを追おうとしたが、当然門のところで止められる。
どうしたものかと、色々と言い訳を考えていたところ、奥で大きな音がした。
門の向こうで、工事用の足場が崩れているのが見えた。
そして、その辺りを歩いていたはずの碧の姿はどこにもなかった。下敷きになったのだと理解するまで、英士はしばしの時間を必要とした。
ちょうど施設内では、新しい研究棟を増築しており、その現場で起こった事故である。周りには、作業に当たるロボットが何体もいた。そして、ロボットたちに大した被害はなかった。鋼棒が倒れた時、ロボットたちは迅速に退避していた。第三条に基づき、自己保存を図ったのである。
しかし、目の前には碧がいたはずだった。ロボットは彼女の命を優先しなければいけなかったはずだ。しかし、現実はそうならなかった。
碧はロボットに見捨てられたのである。
後日、英士はこの点を散々主張したが、子供の言うこととあしらわれ、結局ただの事故として、この一件は片づけられた。〈WIRE〉の工事が中断されることはなかったし、ロボットについても大きく取り上げられることはなかった。内々に処理されたらしく、あまり表立った話題にもなっていない。
葬式も身内だけの小さなものとなった。しかも、遺体状況はかなり悪かったようで、英士は碧との対面すら叶わなかった。
英士は唐突に、自分の世界を見失った。碧のいない世界は、何の色もしていなかった。
英士の沈みようを見かねたのか、しばらくすると遥が仕事を辞め、家で英士を待つようになった。英士は母親のことも好きだったし、そうした行動に感謝もしたが、やはり姉がいなくなる前と同じように振る舞うことはできなかった。
英士は、鬱憤のはけ口をロボットに求めた。
ねーちゃんを見殺しにしたロボット。役立たずのロボット。人を駄目にするロボット。
ロボットなんていらない。ロボットは人間にとって害になる。
英士はロボットを憎んだ。それが失意の代償行為であることは、薄々感じていた。しかし、この憎しみには正当性があると英士は頑なに信じた。
俺はロボットが嫌いだ。
英士はそれを口癖のようにしながら、十七歳の春を迎えた。
* * *
「俺は既に一回、ロボットに裏切られてる。もううんざりなんだよ。あんな奴らのこと、信じたくないんだ。ヒスイ、おまえも含めてな」
英士はヒスイを真っ直ぐ見据えてそう言った。
「文明の利器の最たるものとか言われてるけど、笑わせるんじゃねえよ。ロボットは人間のことなんか、これっぽっちも尊重していないんだ。三原則に縛られちゃいるが、それにだって穴がある。今回の件だってそうだろう!」
「違う。エージ、貴方の言うことは間違っている」
声を荒げる英士に対し、氷のように冷静な声でヒスイが答えた。
それは厳然とした否定だった。
「ロボットの本懐は奉仕にこそある。社会に、人に、尽くすことを至上命題としているのだ。そもそも、ロボットに人の善悪を決定する機能はない」
「善悪なんて大それた話はしてない。好悪の話だ。おまえだって、俺を嫌ってたはずだろ」
「考えすぎだ、エージ。人間の感情を模倣するべく生まれた私だが、人を嫌うということは一度もしていない」
「白々しいんだよ! じゃあ、なんでロボットはこんな行いをするっていうんだ! コータローはどうしておばちゃんを裏切った!」
「だから、裏切りなどない。エージ、私の言うことを聞いてほしい」
根気よく、そして落ち着いた声で諭すヒスイ。彼女は怯まず、激せず、湖畔のような翠緑の瞳で英士を見つめ続けた。
その姿に、英士は徐々に理性を取り戻す。今の自分は、物に当たり散らす、見るに堪えない姿をしている。その恥の意識が、英士の昂ぶった思考を冷やしてくれた。
沸々とした怒りが解消されたわけではないが、英士は息をついて、静かな声で促した。
「……わかった、説明してみろ。納得がいく説明を」
英士の言葉に、ヒスイは大きく頷いた。
「まず、根本的な話をしよう。エージは私と一緒にコータローの組み立てに携わっている。もちろん、彼はほぼ完成した状態で梱包されていたし、我々は内部機器には触っていない。せいぜい関節部のジョイントを行っただけだった。しかし、彼がごく単純な機構によって組まれていることが、エージならわかったはずだ」
そうだろう、と同意を求められる英士。
確かに英士は、あの四本腕が旧式であることを知っている。その機能が限定的であることも、把握している。
しかし、ヒスイの物言いに引っ掛かり、英士はわざと否定で返した。
「そんなの知るかよ。古そうだとは思ったけど、その機構についてまで……ロボット嫌いの俺が、わかるはずない」
「エージ、それは嘘だ。貴方がロボット嫌いなのは確かだが、同時に一般の水準よりも高いロボット知識を持っているのも事実だ」
「何を根拠に」
「最初に会ったとき、貴方はサイカの話に難なくついてきている。他にも判断材料はあるし、これだけでも根拠足り得る」
「…………」
そうだな、と返す以外、英士に選択肢はなかった。
英士は、ロボットと接することは徹底的に避けつつも、その知識の習得については貪欲だった。
無論それは、敵を知るためである。姉を見捨てたロボットたちの真相を暴くには、ロボットのことを知らなければどうしようもなかったのだ。光哲高校に進学したのも、それが理由である。
ゆえに、ヒスイの指摘は正しかった。
「話を進めよう。コータローは、ごく単純な機構のロボットだ。彼にできることは、品物とその値段を覚えること、それを適切に受け渡しすること、それだけに絞られる。店員として挨拶もしているが、あれはあくまでおまけのようなものだ。私のように発声しているわけではなく、録音した音声を状況に応じて再生しているに過ぎない」
「……そうだろうな」
発声装置はそれなりにコストがかかるため、大量生産されるようなロボットに積まれることは稀である。一般的な掃除用のロボットや警備ロボットなども、定型文をインプットしてあるだけで、言葉を自分で編むことはできない。
「では、エージ。コータローは、どうやって助けを呼べば良かったと思う」
英士は、返事に窮した。
助けを呼ぶ音声くらい備えていて然りではないか――いや、そうとも言えない。賑わいと人ごみの中で使用することを想定されたロボットにとって、それは無駄な機能として削られがちだ。
購買を出て、人を呼びに行く――これもナンセンスである。人を呼び止めるための言葉を持たないし、防犯と安全のために、校舎側へ入る扉は指紋認証だ。
カウンターを乗り越えれば、警報によって人を呼べたはずだ――しかし、コータローは車輪駆動の低重心であり、一メートル近い段差を乗り越える術を持たない。
他にもいくつかの方法を考えるが、コータローの性能を考えると、どれも不可能に思える。
あのロボットは、校舎の隅にある購買から、SOSを発信する手段を持っていなかったのだ。
「異変を察知してもらうために、コータローは考えたのだろう。パンが廊下に散乱していたのはそのためだ。実際、エージはそれに気付き、近藤女史は一命を取り止めた」
「…………」
「以上が私の推理だ。真偽を確かめる術はないが、事実関係と照らし合わせれば、当たらずも遠からずといったところだと思う」
ヒスイの論理的な説明に、英士は髪をぐしゃりと乱す。
元より感情的かつ独善的な英士の主張だ。正論と真っ向からぶつかって、それを跳ねのけるような力はない。
英士は自分の髪を掴んだまましばらく黙っていたが、やがて大きく深いため息をついた。
「わかった。悪かったよ。俺が勝手だった」
「エージ」
ヒスイがパッと表情を輝かせる……かと思ったが、彼女の表情はあまり動かなかった。
本人に余裕がある時はそれなりに表情に変化が見られるヒスイだが、本当に揺さぶられた時は顔の動きが停止しがちである。今回も、きちんと喜んでいるという証なのだろう。
とりあえず英士はそう思うことにした。
「コータローは教職員からも責められる可能性がある。その時は、私と一緒に彼を庇ってほしい」
英士を言い負かしたことが嬉しいのか、ヒスイは興奮気味である。
「……それはそれとしてさ。ヒスイ」
しかし、英士はそれをのんびり拝聴する気分ではなかった。説き伏せられて不快であるとかそういうわけではなく、むしろ彼女のその能力を認めて、聞いておきたいことがあったのだ。
「ねーちゃんの件は、どう思ってる」
そう尋ねると、ヒスイはやや逡巡してから、英士から視線を逸らした。
それでも、返事を濁したり誤魔化したりはしない。それがヒスイである。
「判断材料が少ないため、明言できない。しかし、あらゆるロボットは三原則第一条を絶対遵守するはずだ。その上で、エージの姉を助けられなかった理由があると私は考える」
「……られなかった。助けようにも不可能だった、ってわけか」
「そう確信する」
英士は黙って立ち上がり、勉強机の隣にある本棚に向かう。今時、本棚を自室に置く高校生というのも珍しいが、英士はアナログ派である。電子書籍より紙が好きだった。
英士は本棚から数冊の本を取り出す。
それは、SF小説だったり、工学参考書だったり、エンジニアのエッセイだったりした。そのいずれにも共通するのは、ロボットに関する本だということだ。
「おまえが言ってた通り、俺はロボットの勉強したよ。憎たらしい相手を理解するために、たくさん時間を使ってきた。だけど、わからない。どうしてねーちゃんが死ななきゃいけなかったのか、今でもわからないんだよ」
「恐らく、ロボット理論を学んで解決する問題ではないだろう。無駄ということは決してない。ただ、恐らくはエージ自身、状況理解が足りていなかったのではないか」
「そうなんだろうな……。なんであの日、ねーちゃんが〈WIRE〉の研究所に……軍事施設なんかに行ったのか、俺はそれすら知らない。母さんたちも、心当たりがないって言ってた」
「当時の〈WIRE〉の研究内容にもよるかもしれない。何をする施設を造っていたのか。作業に従事していたロボットは何なのか。この問題を解明するには、適切な情報収集が必要と考える」
「…………」
そう、彼女の言うことは正しい。英士は、このままではあの事件の謎を解くことができないと知っている。
英士は手にした本を机に放り、ヒスイに目を戻した。
「ヒスイ、頼みがある」
ヒスイの表情が硬直した。ワンテンポ遅れてから、目を大きく見開く。驚いていたのだ。
英士自身、自分がロボットに頭を下げる日が来るとは思っていなかった。
「おまえの知恵が欲しい。おまえの閃きが欲しい。おまえの立場が欲しい。俺と一緒に、この事件の調査をしてくれないか」
彼女がコータローの無実を説明した時にわかった。彼女は英士より、遥かにロボットに精通している。当たり前だ。知識として知っているだけではない。その動き方、傾向、可能性、あらゆる面を理解している。
そして、彼女は国家研究員である才花の製作だ。医療分野の〈MIRE〉所属とはいえ、同じ国家機関である〈WIRE〉の内情に通じている可能性もある。もしくは、通じさせることができるかもしれない。
協力者として、これほど心強い存在もないだろう。
「……嫌か?」
黙ったままのヒスイに、英士は尋ねる。
「そうではない。ただ、英士が私に頼るというのは初めてだ」
「……面食らったってか?」
「そんなところだ。しかし、ロボットの本懐は奉仕にある。私は現在、誇らしさを感じている」
尻尾があったらぶんぶん振り回していそうなくらいには、ヒスイは興奮している様子だった。
まあ、やる気を出してくれるのなら何よりである。
「しかし、具体的には何をすればいい」
ヒスイの質問に、英士はかねてからの計画を語った。
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