(2)
ヒスイがくっつくようになってからも、英士の放課後の動きは基本的に変わっていない。
ヒスイには散々、「正しい青春に部活動は不可欠だ」と文句を言われるが、英士はロボットにおんぶにだっこの組織に身を置くつもりはない。ロボットと過ごす青春など御免こうむる。
そう返すと必ずヒスイは「私もロボットだ」と答えるが、そもそも英士はこの展開を望んだ覚えがない。
「だから、俺はおまえといたくて一緒にいるわけじゃないの。何回言わせるんだよ」
「エージの態度が日に日に軟化しているので、いつかこの解答が変わるのではないかと期待している」
「そりゃ無理だ。残念だったな」
確かに英士は、出会った頃よりもヒスイに構うようになっている。しかしそれは、その方がヒスイの成長が速いからだ。さっさとお払い箱にするためである。
態度が軟化しているとしても、それは打算によるものといえる。
「ところでエージ。今日は何を食べよう」
ヒスイがブレザーのポケットから百円硬貨を取り出す。今日の報奨金である。
プリンハンターを務めるようになってからは、ヒスイも自分の食いぶちを稼ぐようになったため、英士としては助かっている。
「どうするかなぁ。もうけっこう、めぼしいところは回ったんだよな……」
廊下を並んで歩きながら、英士は頼寺通りの店を思い浮かべる。姉に教えてもらった店は回りきったし、自分で発掘したのも他にどこがあったか……
と、不意に英士は、何かビニールに包まれたものを蹴飛ばしたのに気付き、思考を中断した。
「ん?」
「どうした、エージ」
足を止めて、蹴飛ばしたものを拾う。
それは、購買のあんパンだった。
「何でまたこんなところに……」
「見ろ、エージ。何やら相当数の商品が散乱しているぞ」
「うわ、本当だ」
改めて見て、英士は驚いた。ヒスイの指摘通り、廊下にパンがいくつも転がっているのだ。
どれも封は開いていない新品で、種類もばらばらである。
「ここ、購買の目と鼻の先だぞ。こんなもったいないことしたのはどこのどいつだ……あ痛ッ」
パンを拾っていた英士の頭に、新たなパンがぶつかってきた。
包装はされていたが、メロンパンが頭に直撃となると少々痛い。英士はメロンパンを拾いつつ、それが飛んできた方に目を遣った。
「……やっぱり、おまえらは理解できないな」
英士はゆっくりとした足取りで、この罰当たりな犯人に歩み寄っていく。
ヒスイがやや困惑した様子で、それを追った。
「商品ぶん投げてどうすんだよ、売り子ロボット。人にぶつけるの、楽しいか?」
すっかり購買に馴染んだ四本腕の売り子ロボットは、問い詰められてもなお、新しいパンを投げようとしていた。
「おい、聞いてるのか!」
「エージ、熱くなりすぎだ。コータローは何か理由があって……」
「おまえは黙ってろ」
「……わかった」
ヒスイが英士の袖を引っ張るが、英士の命令に、不満げに口を閉ざす。
英士はヒスイを一瞥することもなく、だまってコータローの腕の一つを掴んだ。
「ゴ来店アリガトウゴザイマス」
「意味がわからん。何がありがとうございますだ」
場違いな挨拶をするロボットに、英士は余計に苛立ちを募らせる。
購買は英士にとって馴染みの場所だ。ロボットを置くことになったときも、成り行きで組み立てることになったとはいえ、あまりいい気がしなかった。
そのロボットが、商品を人に投げつけるという暴挙を犯している。
英士にとってそれは、許せないことだった。
「マタノオコシヲ、オ待チシテオリマス」
「いいから、なんでこんなことしてるのか説明しろよ。だいたいおばちゃんは……」
「エージ。聞いてほしい、エージ」
コータローを問い詰める英士の袖が、再びヒスイに強く引かれる。
英士は不愉快そうにそれを振り払い、ヒスイを睨んだ。
「何だよ、おまえはうるさいな! 黙ってろって言っただろ!」
「従えない。第一条が優先だ。エージ、あれを見ろ」
第一条という言葉に、英士はハッと理性を取り戻す。
第一条は、下手をすれば人の生死に関わってくる記述である。
果たしてそれは、今この瞬間もそうであった。
「おばちゃん!?」
ヒスイが指し示した方向は、最近の近藤の定位置である。
彼女はそこで、床に倒れ伏していた。
「ヒスイ、誰か先生呼んで来い! 今すぐにだ!」
「わかった」
自分で行くより、ヒスイに任せた方が早いと考え、英士はそう指示をする。
ヒスイは頷いて、すぐさま職員室の方に走り出した。
「おばちゃん! 聞こえますか、おばちゃん! 近藤さん!」
カウンター越しに呼びかけるが、彼女の反応はない。
カウンターを乗り越えて駆け寄ると、防犯用の警報がけたたましい音を発し始めた。人が来てくれるのであれば、好都合である。英士は警報が鳴るに任せることにした。
息はしているが、意識はない。嘔吐した痕跡もあった。英士は医療に詳しくはないが、尋常な状態でないことだけは確かである。
「……」
英士はこちらを眺めているだけのコータローを一瞥して舌打ちする。
主である近藤が倒れていながら、このロボットはいったい何をしていたのか。
監視の目がなくなった途端に、商品をばらまいていたのである。
近藤の扱いに不満があったのか。ものを投げつけることが楽しかったのか。
それはわからないが、このロボットは人間の危機を無視したのだ。
「だからロボットは……!」
ぼやく英士の耳に、廊下を走る足音がいくつも聞こえてきた。
* * *
近藤はすぐさま病院に搬送されていった。
英士は同行することを主張したが、それは許されず、即刻下校を言い渡された。近藤が倒れた理由がはっきりしていなかったこともあり、吐瀉物に触れていた英士はすぐに身体を清潔にするよう指示されたのである。
この時ばかりは、家まで送るという担任・牧山の厚意に甘え、英士とヒスイは自宅に届けられることとなった。
帰宅すると、英士はすぐに浴室に向かった。遥への説明はヒスイに任せている。他の会話はともかくとして、状況説明については的確で効率的にこなしてみせるヒスイである。
英士がシャワーを浴びて居間に行くと、遥はちょうど持っていた受話器を置いたところであった。
「今、学校から連絡があったわ。購買の店員さん、命に別状はないそうよ」
「……そっか、よかった」
ひとまず、英士は胸を撫で下ろす。最悪の事態は避けられたらしい。
詳しく聞くと、近藤が倒れた原因は、くも膜下出血だそうだ。最悪死に至る疾病だが、発見が早かったのが幸いした。後遺症の危険はそれほどないという。
「エージ、話したいことがある」
遥の話を聞き終え、ゆっくりと紅茶で身体を温めていると、ヒスイがそんなことを言い出した。
「そうだな。俺も少し、おまえと話したいと思ってた。母さん、ちょっと部屋に行ってくる」
英士はカップを置いて立ち上がる。
遥は「ここで話さないの?」と怪訝な顔をしていたが、少々込み入った話になることが考えられる。英士はヒスイを自分の部屋に連れていくことにした。
「まあ座れ」
ヒスイは英士のクッションの上に腰を下ろす。英士も床に座り込み、正面からヒスイと向かい合うかたちになった。
「私がしたいのは、コータローの話だ」
ヒスイが先に切り出した。
もっとも、この場合どちらが先に口火を切ろうと関係ない。
「奇遇だな。俺もあのロボットのことを話すつもりだった」
英士の口調はいつになく刺々しい。
ヒスイもそれは認識しているようで、いつも以上に生真面目な顔で臨んでいる。
「近藤さんが倒れたってのに、助けようともしないで商品をぶちまけて。ロボットだろ? 第一条はどうしたってんだよ。ロボット三原則ってのは、そんな程度のものなのか」
「落ち着いてほしい、エージ。今日のエージは、感情的になりすぎている」
「当たり前だ。ロボットが嫌いだって、何度言えば分かる?」
英士の声音には、憎悪すら混じっている。
ヒスイは唇を真一文字に引き結び、彼の視線を真っ向から受け止めた。
「エージは私の誤りを、何度も修正してくれた。しかしエージは、呆れることはあっても、私に怒りをぶつけたりはしていない」
「誤りの度合いが違うだろ。あいつはロボット最大の原則を投げ出したんだぞ」
「そんなことはあり得ない。ロボットが三原則の第一条を破ることは、絶対にない」
「現に破ってるから言ってるんだ!」
英士が声を荒げて、ヒスイの胸倉を掴む。
ヒスイは真っ直ぐに英士を見返して、強く言い返した。
「エージはコータローの事情を聞こうとしていない。何があったか理解することを放棄している」
「聞く必要もない。状況だけで十分だ」
「もし、あそこにいたのがヤスヒサだったとしたら、エージはどうしていた。話くらいは聞いていたはずだ」
「もちろん聞いただろうさ」
「どうして、そこに差違を設ける」
「俺はロボットが嫌いだ。ロボットを信用していない」
「エージ」
ヒスイの視線が厳しいものになる。
出会った初日、英士が最初にロボット嫌いを公言した時を思わせる目つきだった。
「何故、そこまでロボットを嫌う。ロボットがエージに何をした。その歪んだ思考を正当化し得る理由があるのか」
彼女の言葉は、明確な非難の意図を帯びていた。
しかし、関係ない。英士は、対する答えを持っているのだ。十年も前からずっと。
「あるさ。理由はある」
「教えてほしい、エージ。その内容によっては、私は貴方を軽蔑する」
「好きにするといい」
英士は立ち上がり、ヒスイを伴って自室を出る。
英士が向かったのは、仏間だ。
ふすまを開けて部屋に入った英士は、姉の笑顔を前に腰を下ろした。
「…………」
ヒスイが静かに、英士の隣に座る。
英士は横目でヒスイを見やり、また姉の笑顔に視線を戻した。
「殿羽碧。俺のねーちゃんだ」
「知っている」
「十年も前に、ねーちゃんは死んでる」
「知っている」
「ねーちゃんは、殺された」
「それは知らない」
英士は強く唇を噛む。
この写真を前にするたび、英士の胸には強い怒りが去来する。決して許せない、憎悪の対象を思い出す。
英士はヒスイを睨みつけ、言った。
「ねーちゃんは、ロボットに殺されたんだ」
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