第3章

(1)

 才花の言葉通り、ヒスイの行動が最も目についたのは、転校初日であった。

 翌日以降、彼女は日に日に大人しくなり、クラスの風景に溶け込んでいった。自らを環境に馴染ませるというのも、やはり成長型AIの為せる技なのだろう。


 無論、不自然さを一切見せないというわけではない。三週間が経った今も表情の変化は未だ乏しかったし、言い回しも妙なところが端々に見られた。人前では抑えているが、英士の前ではとんちんかんなことを言い出すこともある。


 しかし英士の日常は、概ね平和なものと言ってよかった。


「エージ、遅いぞ」


「うるさい、おまえが速すぎるんだ!」


 三限目の終了を告げるチャイムと共に、英士とヒスイは教室を出て駆け出していた。


 目的は、購買の限定プリンである。


 元々俊足の英士は、友人の頼みで限定プリンの入手を依頼されることが多々あった。また、この依頼には成功報酬百円が付くのが通例となっており、放課後の買い食いを日課とする英士には貴重な収入源の一つとなっていた。


 そして何故ヒスイも走っているかというと、彼女もまたプリンハンターの一人として2‐Cに君臨するようになっているからであった。


 ヒスイは、英士が嫉妬するほどに足が速い。ちなみに腕力もある。さらに疲労というものが存在しない。

 ロボットだからと言ってしまえばそこまでだが、彼女の身体能力はとにかく高かった。


 限定プリンは一人一つまでと決まっており、英士が依頼を受けることができるのは、必然一日一人だけである。そこに、英士に追従する(実際には上回る)スペックの持ち主が現れれば、当然ながら、争奪戦へ駆り出されるという寸法だ。


 さて、実はこの限定プリン争奪戦、単純なフィジカル勝負だけではないところがある。

 英士は前を走るヒスイの手首を掴み、彼女を引き止めた。


「角を飛び出すな。言ってあっただろ」


「……すまない。『急げ』の命令に、半ば打ち消されかけていた」


 第二条にある命令の優先順位は、ある程度時間経過にも影響される。これについては、もう少しきっちり仕込む必要がありそうだと英士は思った。


「廊下を走るのは、一応禁止されてるんだ。この争奪戦は教師側も黙認してるけど、目の前で生徒が全力疾走してたら、小言くらいは言われる。それは大きなタイムロスだ」


 だから、角を飛び出すことはしない。教師の誰かと鉢合わせることがあるからだ。


 ちなみに英士は、教師に遭遇しにくいルートを選択して購買に向かうようにしていた。

 時間割が違うので、曜日によって購買への最適ルートは異なる。


 例えば、月曜日は化学室の前を通る最短ルートが使える日だ。月曜三限は上級生が実験をしており、チャイムが鳴ってすぐに化学教師の三澤が出てくることはない。実験の後片付けがあるためだ。化学室前の廊下を、一直線に突っ切ることができる。


 しかし、他の日に化学室前のルートを選択するのは悪手となる。三澤が廊下に出てきた場合、見通しの良い長い廊下を、ひたすら歩き続けなければいけない。説教よりはマシだが、この距離を歩いてありつけるほど、限定プリンの競争率は低くないのだ。


 英士は三限の特別教室の使用状況は把握していたし、それによって曜日ごとの最適なルートを決めている。それでも予想外に教師と出会うことはあるため、曲がり角は飛び出さない。


 プリン争奪戦の鉄則であった。


「……よし」


 曲がった先にも教師はいない。

 英士とヒスイは、再び走り始めた。


 階段を三段飛ばしで駆け下り、廊下に出る前に左右確認。目に入るのは窓拭きロボットだけである。

 左折してさらに走る。化学室の中はまだざわついていて、実験自体がまだ終わっていないようだ。化学の三澤が出てくる気配はない。

 長い直線を抜け、もう一度左折する。突き当たりはもう購買だ。


 三、四人の生徒が並んではいるが、まだ混み合っている様子はない。限定プリンは二十個ある。これなら安泰だろう。

 英士とヒスイは、列の後ろに大人しく並んだ。


「今日もご苦労なことだねぇ」


「『限定プリン』二ツデ、四百円ニナリマス」


 たどたどしい合成音声で接客をする四本腕ロボット。商品名に至っては、そこだけ近藤の声を再生している。発声機能があるわけではないので、当然と言えば当然だ。


 英士は依頼主から預かったお金を四本腕ロボットに渡す。

 以前英士とヒスイが組み立てたそのロボットは、購買太郎だとか、縮めてコータローだとか、生徒間では自由に呼ばれている。


 そして、そのコータローから一歩下がった辺りで、購買店員の近藤は椅子に深く腰掛けていた。最近の彼女の定位置である。その笑顔は、購買を一人で切り盛りしていた頃よりも、良く言えば穏やかに、悪く言えば力なく見えた。


「……おばちゃん、また痩せたんじゃない?」


「今までが張り詰め過ぎてただけ。心配するようなことじゃないわよ」


 釈然としない部分もあるが、長話は後続のプリンハンターたちの邪魔になる。

 英士はそれ以上追及せずに脇へと抜けた。


「……やっぱりロボット頼みは頂けないなぁ」


 教室に戻る道中、英士はぼんやりと呟いた。


「英士、それはおかしい。コータローが近藤女史に危害を与えているようなニュアンスを感じる」


 その洞察はあながち間違ってはいない。

 それを察することができるようになっているとは、と英士は感心した。


「まあ、あの四本腕が悪さをしてるとまでは言わないさ。だけど事実として、おばちゃん、急に老けこんできてる」


「私が転校してくるまでのデータが無いので、同意はできない」


「そうなんだよ。もっとパワフルな人だった」


 近藤は「張り詰め過ぎてただけ」と言っていた。

 緊張状態が解かれるというのは、プラスに働くことばかりではない。彼女の場合、昼休みの生徒との戦争こそが、精神的にも肉体的にも、喝を入れてくれるものだったのかもしれない。


 ただ、一人では辛いというのも近藤自らの言葉である。自分に鞭打って現役を装うということこそ酷かもしれない。


「老いたのならば、素直に他者を頼るべきだ。その相手はロボットであっても人であってもいい」


「そりゃ正論だし、ねーちゃんも似たようなこと言ってたけどさ。やるせない……っていうか、俺はそうなりたくないよ」


「英士が高齢者になる頃には、私のデータを受け継いだ子らが社会に出ていることだろう。嬉しいか」


「……いや、意味がわからない」


「私の子供に身辺の世話をしてもらえるのだ。字面に、こう、むらむらとこないか」


「その辺りのおまえのセンスは、本当にどうかしてるんじゃないか」


 右手でプリンを弄びながら、英士はヒスイに白い目を向ける。

 彼女は僅かに首を傾げただけで、英士の視線を気にする様子はあまりなかった。


「おかえり。また首尾よくゲットできたようで何よりだ」


 教室に入ると、今日の依頼者であった靖久がほくほく顔で出迎えた。

 英士は彼にプリンを渡し、代わりに成功報酬を受け取る。これで今日の午後の軍資金もできたというものだ。


「まあ、当然の結果だな」


「ヒスイちゃんの前でカッコ悪いところは見せられないからねぇ」


「……」


 全面的に否定したいところだが、彼女が限定プリンを勝ち取りながら自分は失敗したという事態は想像もしたくない。

 英士は投げやりな愛想笑いを浮かべるに止めた。


 ちなみに当のヒスイは、依頼主の女子生徒にプリンを渡し、彼女の他数人の友人たちと弁当を広げていた。


「んで、どこまでいってるんだよ。ヒスイちゃんと」


「おまえ、それ以外に聞くことないのかよ……。毎日毎日、飽きもせず」


 机の液晶に専用のカバーをかけ、英士も自分の弁当を取り出す。

 靖久は椅子に逆向きに座り、英士と向かい合う格好で市販の菓子パンを齧っている。いつも通りのポジショニングである。

 しかし、話題までいつも通りにする必要はなかろうに。


「何もない。あれはただの居候だ」


「そのわりには、随分気にかけてるじゃないか。ヒスイちゃんが学校に慣れてきたのは、君の功績によるものが大きいと僕は見ている」


「俺は元々人に親切なタイプだと自負してるんだが」


「パシリ体質だからねぇ」


「やかましい。プリン返せよ」


「それは駄目。僕は既に正当な対価を支払った」


 靖久はぐるりと腰を捻って、プリンを自分の机に退避させた。


「ときに英士」


「ん?」


「君もトップニュースくらいはチェックしてるだろうね」


 唐突な話題の転換に、英士は首を傾げる。


 いくら英士が機械嫌いでも、テレビは見る。近頃は随分と需要が減ったものだが、殿羽家は未だに新聞も取っている。

 特に時事問題に疎いと感じたことはない英士である。


「まあ、人並みには見てると思うけど。何か気になる記事でもあったのか?」


「ほら」


 靖久が自分の携帯端末を英士の机に置き、アプリを呼び出す。

ディスプレイに展開されたのは、やや大仰なフォントで記された見出しであった。


『殺人ロボット現る!』


 それを見た瞬間、英士の目つきが変わった。


 週刊誌のスキャンダルにしてもセンスのない見出しだ。笑った上で、「なんだこりゃ」と突き返すのが妥当だろう。

 しかし、英士にそれはできなかった。この言葉は、英士を縛り付けるに足るものなのだ。


 英士は靖久の端末を拾い、興奮がちにその記事を読み始めた。



『それが解き放たれたのは、ほんの数週間前のことである。

 ロボット都市として栄華を極め、今なお発展の一途を辿る光哲市。その大きな光に呼応するかのように、大きな闇もまた、ロボット都市に潜んでいることがわかった。


 日本ロボット工学兵器改革協会JAS・WIRE(Japanese Society for Weapon Innovation of Robot Engineering)、通称〈WIRE〉は、今春、新開発の司令ユニットの動作確認を光哲市内で開始した。高度なヒューマノイド・ロボットでもある司令ユニットは、街中でさも人間のように振る舞い、一般社会に溶け込んでいる。第一段階として、警察組織の補助を行うこともあるようだ。しかし、その動向については極秘情報となっており、現在の潜伏先や容姿などの一切の情報が上がっていない。


 ロボット対ロボットを想定した司令ユニットの開発は、以前から軍事を司る〈WIRE〉で行われてきた研究の一つである。「戦争」に人間の直接的な参加を認めず、双方ロボットのみで争うことが国際法で決まったのは、もはや二十年前のことである。それ以来、優秀な指揮官の開発が世界各国の共通命題となったのは、当然の成り行きといえるだろう。


 ところが今回の司令ユニットは、人間社会の只中に放たれるという、前代未聞のテストが行われている。これは、この司令ユニットが対人の役目を担う可能性を示唆してはいまいか。三原則第一条に縛られたロボットが、どこまで人間の行動に介入することができるか、そのデータを収集しているとの情報もある。〈WIRE〉がこれについての情報を公にしていないというのも、疑惑を広げる一因である。


 長く攻撃のための軍事力を持たなかった我が国は、「人命が左右されない戦争」の登場によって、いともたやすく専守防衛の原則を投げ出した。環境の変化、解釈の変化が原則すらも押し退けるというのならば、ロボットの安全神話がいつ崩れてもおかしくはない。


 殺人ロボットの可能性は、我々の生活のすぐ傍にまで迫っているのだ。』



「……あれ、そんなにお気に召しませんでした?」


 最後まで記事を読み終えた英士の目に、次に飛び込んできたのは、少々困惑気味の靖久の顔だった。


 食い付くように記事を読み始めた英士は、当の本文を読むうちに、冷静さを取り戻していた。靖久の言うように、冷めたのだ。

 これは事実の発表ではなく、持論の展開だ。ニュースではなく、自己満足なエッセイに近い。英士の期待していたものとは異なっていた。


 英士は深くため息をついて、靖久に端末を投げ返した。


「悪趣味な記事だ」


「そうかい?」


「俺はロボットが嫌いだし信用もしちゃいない。だけど、俺はこういう批判を見たいわけじゃないし、こういうのを見て『そーだそーだ』と騒ぎ立てるタイプは大嫌いなんだよ」


 英士は自分の好悪の感情について、誰かに裏付けて欲しいと思ったことはない。これは個人的な問題であると理解しているからだ。

 真偽はともかく、この記事のしていることは現在の社会に対する不満や鬱憤の吐き出し、価値観の押しつけである。


 カッコ悪い、と英士は思う。


「まあ、ヒサの言う通り、興味深い内容がないわけじゃない。三原則がどこまでロボットを縛ってるのか、とかな」


 フォローというつもりでもないが、英士はそう付け加える。


 人に危害を与えないという第一条はロボット工学三原則で最大の拘束力を持ち、電子頭脳を積んだロボットである限り、それを破ることは不可能とされている。

 しかし、解釈によってその拘束の度合いが異なるというのもまた事実で、例えば警備ロボットの類は、第一条を言葉通りに守っているとは言い難い部分がある。


 警備ロボットはその性質上、悪事を働いた人間と敵対することになる。ある一人の人間を取り押さえることで、他の大多数の人間を守ることができる場合、警備ロボットはその「ある一人」を攻撃することができるようになっている。

 無論、その攻撃はネットガンなどの殺傷能力のないものを用いるのが普通であるし、攻撃対象者をロボット自身の判断で決定することはない。それでも、他のロボットの多くが人間に直接的な攻撃行動を取れないことを考えれば、そこに歴然とした差が見えてくる。


 殺人ロボットというのは飛躍しすぎだが、ロボットが人を見殺しにする程度のことは、起こってもおかしくはない。


 いや、おかしくないというより――


「……悪い、そこまで嫌だったか。謝るよ」


靖久が突然神妙な顔で頭を下げるものだから、英士は「えっ」と戸惑いの声を上げた。


「かなり怖い顔をしていた」


「そ、そうか?」


「ああ。君の親の仇になった気分だった」


 くっくと笑う靖久の声には、もう軽さが戻っていた。

 英士は「何言ってんだ」と一笑に付すと、蓋を開けたまま放置していた弁当に取り掛かることにした。


「……それにしても」


「ん?」


「あ、いや何でもない」


 靖久は首を傾げたが、追及してくることはなかった。

 説明するのは難しいことだったので、英士はほっと一安心する。


(市内でヒューマノイドのテスト……ねぇ)


 英士は、プリンが一口欲しいとねだっている食い意地の張ったロボットを、横目でちらりと覗く。

 誇張や誤りがあるにしても、火のないところに煙は立たないものだな、と英士は思うのだった。


「しかし、やっぱり〈WIRE〉ってのは嫌われ者なんだな。文句ばかり見る気がするよ」


 靖久が苦笑気味にそんなことを言う。


 医療分野を受け持つ〈MIRE〉に対して、軍事を担当する〈WIRE〉の風当たりは強い。そもそも、長く戦争を拒否してきた国の民に、簡単にこれを受け入れろというのが無茶なのだ。


「兵器開発ってのはどうしてもな。あれが政府組織の管轄になったのは、民間企業がやらないってのもあったんだろ?」


 英士の言葉に、靖久は肩を竦める。


「兵器って言っても、コンピューターゲームが火薬積んでるようなものだけどね」


「十分物騒だと思うぞ、それ」


「親父もそう言っていたよ」


 靖久の父親は、軍事の〈WIRE〉に所属する国家研究員である。才花と会う前は、英士の知る国家研究員と言えば、この葉上鋼平(はうえこうへい)ただ一人であった。


 英士も靖久の父親とは数回会ったことがあるが、国防を担う厳めしい人間のイメージはあまりない。国の軍事の根底を支えるにしては頼りないとすら思える優男の印象が強い。研究者ということもあるし、得てしてそういうものなのかもしれない。


「親父、ゲームを作るために工学系に進んだとか言ってたしなぁ」


「出世のチャンスを逃すなって、尻叩かれたんだろ?」


「お袋も残酷なことするもんだ。おかげでウチの収入は安泰だが」


 皮肉ではなく本気でそう思っている辺り、やはり靖久である。


 兵器屋の息子と揶揄されることもある靖久だが、彼は父の仕事に不満も劣等感も感じてはいない。嫌われようが、必要なのだと知っている。だから、飄々としていられる。

 そういうところに好感が持てるからこそ、英士は靖久とつるんでいるのだろう。


「でも、思うんだけどさ。離島でロボットにドンパチさせるくらいなら、全部バーチャルにすれば良くないか? 資源は有限なんだし、もったいないじゃん」


「現実の火力ってのを見せないと、イニシアチブにならないだろう。戦争っていう外交策が未だに残っているのは、武力が怖いものだと皆本能的に知っているからだ」


 力で抑えるというのは、単純明快で効果がある。やめろと言ってやめられるものではない。


「人死にが減っただけ、マシになったというところじゃないか」


「……それもそうだ」


 この点については、英士も同意せざるを得ない。

 戦争の代行――ロボットの登場から今に至るまで、これほど多くの人間を救った使用例はあるまい。


「そういうわけだから、冗談でもこんな殺人ロボットの話なんて止めてほしいものだ。君が悪趣味と断じてくれたのは、正直嬉しかった」


「そりゃどーも」


「なんだよ、本当だぞ」


「誠意を示せ。プリン一口」


「ちゃっかりしてるよ、君は」


 靖久は不敵な笑みを浮かべ、限定プリンの封を開けた。

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