(4)

 母親譲りの味の好みから、英士の買い食いの八割は甘味である。

 今日の一品に選んだのは、ショッピングモールの端でいつもいい匂いをさせている『たいやきやたい』の鯛焼きだった。


「らっしゃい!」


 この景気のいい掛け声が、英士は堪らなく好きだった。

 綺麗に陳列されたスーパーの食品を購入するよりも、目の前で人が作っているからこその美味しさというのがある。


「やや、英士君が人を連れてくるとは珍しいね」


「ああ……まあ、これは成り行きで……」


「彼女できたのか」


「違います」


「照れるなって。はっはっは!」


 大声で笑う店主は、恐らく英士の主張を聞き入れるつもりなど端からないのだろう。

 全力で否定した自分が馬鹿らしくなる英士だが、状況が状況だけに仕方ない。英士の優雅な放課後は、あくまで孤高であったはずなのだ。急に女の子と一緒にやって来たら、邪推しない方がおかしい。


「エージ、恋人割を所望しよう」


「おまえは黙ってなさい」


「黙る」


 どさくさに紛れて変なことを口走るヒスイに、店主はまたもや豪快に笑った。


「心配しなくても、嬢ちゃんの分は英士君が払ってくれるさ」


「はいはい……。じゃ、白あん二つ」


「あいよ!」


 手早く鯛焼きを紙袋に入れて差し出す店主に、英士も二個分のお代を払う。「まいど!」と歯を見せる店主に軽く頭を下げ、英士は近くに設えられたアルミのベンチに向かった。

 街路樹を囲むように四つ置かれたベンチには先客もいたが、幸いにして、そのうちの一つを確保することができた。


「ほら、食べるだろ? あんなこと言ったんだから」


 英士は紙袋から鯛焼きを一つ取り出し、ヒスイに手渡す。

 だが彼女は、昼休みの時のように、それを受け取るのを躊躇った。


「……」


「何か不満があるのか? あ、もう喋っていいぞ」


 ヒスイの無言が、先ほどの命令の継続と考えた英士は、その撤回を告げる。

 ヒスイは「わかった」と頷いてから、英士に言った。


「摂食は、本来私に推奨されていない行為だ。私はそれを消化できない」


「何度も聞いたよ。食べたいの? 食べたくないの?」


「…………」


 再度黙りこむヒスイ。

 しかし、英士が鯛焼きを彼女の鼻先に突きつけると、ヒスイはあっさり折れた。


「……食べたい」


 ヒスイは英士の手から鯛焼きを受け取り、すんすんとその芳しい香りに魅了される。

 英士はそれを横目で見ながら、自分も鯛焼きにかぶりついた。


「それにしても、才花さんも意地が悪いよなぁ。普通に食事できない造りにしといて、味覚も嗅覚もばっちり付けるんだから」


 小さな口で鯛焼きを齧り始めたヒスイの表情に、英士はそんなことを呟いた。


 たった二日で確信できたことだが、ヒスイには確固とした食欲がある。ただヒスイは、摂取したものは吐き出す他なく、そもそも食事が必要ない行為であるがゆえに、どうしても尻込みしてしまうのだろう。

 英士自身、食い意地が張っているところがあるため、食事自体に後ろ暗いところがあるというのは、少々不憫に思うのだった。


「五感は、人間の感情に直結する要因の一つだ。一方、消化についてはその限りではない。エージは美味しいものを食べたら喜びの感情を発生させるだろう。しかし、ものを消化吸収した時に喜びが生まれることはないはずだ」


「まあ……意識できないからなぁ、消化するところなんて」


「それなのだ。私には、人間が意識して知覚できる機能は概ね揃っている。しかし、無意識下に働く機能については、備えられていない」


 なるほど、合理的ではある。


 人間に酷似したヒューマノイドとはいえ、ヒスイはロボットだ。ロボットである以上、目的があって設計・製作されている。

 ヒスイの場合、その目的は「感情の発露」となるか。

 一般生活に置いて、いわゆる自律神経系の働きを感じ取る機会というのは、極めて稀なことである。才花はそれを、感情に関与しないものとして断じたのだろう。


 しかし、人間を模しておきながらその機能を取捨選択すれば、やはりどこかで齟齬が生じる。

 食の楽しみを知りながら、それに浸ることはできないヒスイに、そんなちぐはぐな面を見てしまう英士だった。


「そもそも才花さんは、ロボットに何をさせたいんだ? おまえは最終的にどこを目指してるんだ、いったい」


 英士の問いに、ヒスイは即座に答えなかった。彼女にしては珍しいことである。


 ヒスイは顎に手を当てて数秒間、彫像のように固まっていた。


「……話せる内容と話せない内容がある。サイカは国家研究員なので、秘匿義務も多い」


「まあ、それは仕方ないけど……って、国家研究員!? 才花さんが!?」


「そうだ。エージは聞いていなかったのか」


 英士は、彼女がロボット技師であるということしか聞いていない。そのあっけらかんとした態度から、ヒスイは趣味で作られたのではないかと思っていたほどだ。


 ロボット都市である光哲市にも、国営のロボット研究施設は二カ所しかない。中心街の一地区は丸ごとロボット関連の施設になっているが、そのほとんどは営利企業のものである。


 政府組織が行うロボット研究は二つの分野に大別され、そのいずれもが高度なレベルを要求される。そのため、ロボットを扱う国家研究員というのは、超が付くエリートの集団となっている。持っている権限も、エンジニアとしては破格のものである。


「サイカの専門は、介護や保育用のロボット開発だ。私は次世代モデルの習作といった位置づけになる」


介護や保育は、医療分野に属する研究である。ということは、才花は日本ロボット工学医療改革協会JAS・MIRE(Japanese Society for Medical Innovation of Robot Engineering)――通称〈MIRE(マイヤ)〉と呼ばれる組織の研究者というわけだ。


 ヒスイがもう片方の組織の産物でなくて、英士は内心ほっとした。医療を司る〈MIRE〉と対を為す政府組織〈WIRE(ワイヤ)〉がヒスイを産んだのであれば――英士が彼女を見る目は、致命的な変化を来していたに違いない。


「そうか、それでヒューマノイドか……」


 同時に、英士はヒスイの外観にも合点がいった。


 介護や保育といえば、非常にデリケートな時期にある人間と接する分野だ。こういった用途には、ヒューマノイドが望まれる。特に、保育の分野はその傾向が顕著である。


「最近は夫婦の共働きも多い。ゆえに、私のようなチャイルドケア・ヒューマノイドが求められる。とはいえ、それも可能な限り人の手に近付けたいというのが親心だろう。そういった育児の現場を目標として、私は製作されたわけだ」


 殿羽家も、英士が幼い頃は、両親が多忙で家を空けがちだった。

 英士の場合は姉の碧がいろいろと面倒を見てくれたものだが、共働きの家庭の事情というのは何となく察せられる。


「感情の探求については、この辺りが解答となる」


「なるほどね。ある程度納得はできた」


「私の最終目標については、成長型AIに関連してもう一項あるのだが、そちらは現状エージには話せない内容になる。恐らくエージの下から去った後に進められる事案であり、エージには一切関係しないであろう分野だからだ」


「わかってる。聞かないよ」


 ヒスイが才花に口止めされているなら、聞こうにも聞く手段はない。ヒスイ自身、あまり話したがっているように見えないのが気になるところだが、食い下がってどうこうなる問題ではない。英士は特に追及することはしなかった。


「去った後、か……」


 つい昨日やって来て、もう別れの話をしているというのは妙なものだが、英士とヒスイの関係は、本来希薄なものだ。

 ヒスイが英士に付き従っているのはあくまで一時的なものである。ある程度の研究成果が得られたなら、才花とヒスイは彼の前から姿を消すだろう。


 ヒスイの粘着も、それまで我慢すればいいということになる。


「つまり、さっさとヒスイに消えてほしいなら、積極的にヒスイと関わるべきということね」


 ジレンマとはこういうことをいうのだろう。

 英士は鯛焼きの尻尾を口に放り込みつつ、曖昧に相槌を打った。


「……って才花さん!?」


「ハァイ。デート、邪魔しちゃったかしら」


 いつの間にやら背後に立っていた才花に、英士は放り込んだ鯛焼きの尻尾を噴き出しそうになった。


「何だ。気付いていなかったのか、エージ」


「英士君はね、あなたとのおしゃべりに夢中だったの」


「そうか」


「そうかじゃない!」


 失敬な言い草に英士は抗議する。

 しかし才花は笑って受け流すばかりで、まともに取り合ってくれる様子はなかった。


「でもね、英士君。あなたがヒスイと親密になるのは喜ばしいことだけれど、あまり街中で秘密を喋るものではないわ。誰が聞いているか分からないんだから」


「いや、それは才花さんの事情だろ。俺は納得して協力してるわけじゃないし、ヒスイがロボットだってバレても、痛くもなんともないんだから」


「わかって、英士君。ヒスイは皆の前では女の子なの」


「ねえ話聞いてる?」


「そしてあなたの前では乙女なの……!」


「やかましいわ!」


 才花のマイペースぶりも、なかなかお目にかかれないレベルである。


 そもそも、英士の前のヒスイは食い気を張ってしかいない。どこに乙女の要素を感じればいいのか、英士には皆目見当がつかなかった。


「ところでサイカ。何故ここに?」


 唇の端に白あんを付けた乙女が才花に尋ねる。

 才花が目配せしてきたが、英士はそれを無視した。


「んー……ちょっと休憩にね」


「休憩って言ったって、〈MIRE〉の研究棟はちょっと距離があるぞ」


「私は研究所にこもりっぱなしのタイプじゃないわ。外での仕事もあるし、メディア露出だってあるの。ほら、この美貌だし」


 うふ、と笑う才花の姿は、悔しいことに、確かに魅力的である。

 英士は気のない返事をしながらも、つい目を逸らしてしまっていた。


「エージ、顔が赤い。サイカが言った露出というのは、別に衣服を脱いだ状態というわけではないぞ」


「俺がそんな頭の悪い変態だと思っているのか」


 まったく心外な話である。

 しかし才花が脱ぐような機会が本当にあるのなら、是非教えてほしい。至急。


「何にせよ、仲良くやってるようで安心したわ。今日一日乗り切れるかどうかが鬼門だと思ってたから」


 仲良くなんか、と反論しかけて、英士は口をつぐむ。

 二人で並んで鯛焼きを食べていたら、険悪な仲には見えまい。否定したところで、何の説得力もなかった。


「今日が鬼門ってどういうことだよ」


 文句を言う代わりに、英士はそう尋ねる。

 才花は髪をくるくると弄りながら、「だって」と答えた。


「この子、けっこう極端なことしたでしょう」


「……した」


 おかげで英士は、変な風評と共に今後の学校生活を送らざるを得なくなった。


「ごめんね。ヒスイはまだ塩梅ってものがわかってないから」


「なら、才花さんが前もって言い含めておいてくれればよかったのに……」


「まあ、私としては痛くもなんともないしねぇ」


 才花の切り返しに、ぐうの音も出ない英士。

 舌戦で彼女に優位を取るのは、至難の業とみえる。


「エージ、私の行動は迷惑だったのか」


「当然だろうが。何を今さら」


「……腹を切る」


「やめろ!」


 迷惑をかけていないと思っていたことにまず驚きだが、この思考の飛躍も強烈である。そして、ヒスイのこの偏った語彙はいったい何なのか。


「大丈夫よ、ヒスイ。英士君は素直じゃないだけなの。本当はあなたのことを憎からず思っているのよ。こういう人を何ていうか覚えてる?」


「つんでれ」


「おいこら」


 やはりというか、案の定というか、英士の目の前に元凶はいた。


 政府組織で造ったロボットに、そんなことを教えていったいどうしようというのだろうか。

 英士は生温かい目で才花を見つめるしかなかった。


「でも、どうかしら? ロボットに『頼られる』というのは」


 才花の表情が、不意に引き締まったものになった。笑みは浮かべたままだが、その眼光に鋭さがある。

 英士はその変化に、唾を呑みこんだ。


「どうって、何がだよ」


「英士君は、ロボットに頼るのが嫌いなんでしょう? 機械に頼りきった生活に慣れるのが嫌なんでしょう? それを、ただロボットが嫌いと言っていた」


「……」


 英士が周りに公言していることを、そのままなぞるように才花は口にする。

 英士は、それを即座に否定したり肯定したりすることはできなかった。


「だけど、今のあなたはロボットに頼られている。導く立場にいる。だから、ヒスイにこうして構ってあげることができる。違う?」


 才花の言うことは筋道が通っている。


 ロボットとは人間の便利な生活のために造られるもので、人間の役に立つ存在でなくてはならない。しかし、ヒスイは未完成であり、英士の役に立つのではなく、謂わば英士に依存するようなかたちで存在している。


 だから、英士はヒスイと一緒にいることができる。


「……いや」


 実際、そういう部分はあるのかもしれない。

 しかし英士は、彼女の問いに否定で答えた。


「俺は、ロボットが嫌いだ。立場は、本質的な問題じゃない」


 ロボットは嫌いだ。憎んですらいる。

 それを譲ることはできなかった。


「……ぷぅ」


 唐突に、才花は気の抜けたため息をついた。


「ごめん、変なこと言ったわね」


「いいよ、別に」


 彼女の笑みは、先ほどのあっけらかんとしたものに戻っていた。

 その様子に、英士もネガティブな気持ちをさっさと追いやった。このまま空気を悪くするのは、客観的に見て大人げないことである。


「ま、そういうわけだからさ。さっさと研究進めちゃってくれよ」


「そこは英士君次第かな。ヒスイ、あなたもね」


「最善を尽くす」


 ヒスイがまた気を悪くしているのではないかと、英士は横目で彼女を見遣ったが、案外すました顔をしていた。

 英士の態度には、もう慣れたのかもしれない。


「……っと、話しすぎちゃった。そろそろ私は戻るから、気をつけて帰りなさいよ」


 ふと腕時計に目を落とし、才花はそう言った。

 横から見えた文字盤の針は、5時20分をさしていた。


「才花さんも、ウチに帰って来るんだよな」


 英士が尋ねると、才花は「そうね」と頷いた。


「んー、でも10時とかになるんじゃないかしら。夕飯はいらないって遥さんに言ってあるわ」


「そっか」


「ヒスイとは、ちゃんと一緒に食卓を囲んでね。それじゃ、そういうことで」


ピッと人差し指と中指を立てて、才花は早足で二人の下から去っていった。


「慌ただしい人だな……」


 そういえば、結局才花がやって来た目的は何だったのだろう。からかいに来ただけなのだろうか。そのためだけに、歩いて三〇分以上かかる〈MIRE〉研究棟からやって来たというのか――


 しばし思考する英士だったが、考えて答えが出るようなことではない。英士は小さく首を振ると、「さて」と少し大きめの声を出して立ち上がった。


「俺たちもそろそろ帰るか。数学の課題あったよな」


 まだ暗くはないが、殿羽家はここから歩けば一時間近くかかる。

 ヒスイは小さく頷いて立ち上がり、スカートの埃をぱんぱんとはたいた。

こういう動作ができるから、ヒスイは人間に見えるのだろう、と英士は思った。


「ところで、課題は私もやった方がいいだろうか。一切の意味を為さないが」


「……まあそうだろうな」


 ヒスイの電子頭脳が、高校二年生の数学の学習を必要とするとは思えない。


 しかし、課題というのは提出することそのものにも意味がある。頭の中にどれだけ知識が詰まっていても、それを示さなければ評価はされないのだ。


 英士はそれを諭しながら、ヒスイと共に帰路につくのだった。

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