(2)

「お、殿羽。ちょうど良かった」


「牧山先生。どうしたんですか?」


 教室に戻る道中で担任の牧山に声をかけられ、英士は足を止める。


「正門の方に、新しいロボットが届いてる。購買に置くらしいんだが、移動の手伝い頼まれてやってくれんか」


「ええ!? 購買のおばちゃんクビですか?」


「バカ言うな。ロボットは補佐に入るだけだ。一人じゃ手が回らんと言っていたしな」


 弁当持ちとはいえ、英士も購買の世話にはなっている。店員が無機質なロボットになるというのは、効率が良くとも気持ちのいいものではない。


 英士はひとまず牧山の言葉に安心するが、それはそれとして雑用を押し付けられるのは癪である。


「先生、いつも俺にばっかり面倒事回さないで下さいよ。日直がやればいいじゃないですか」


 学校の備品管理を務める牧山は、よく自分が持つクラスの生徒に仕事を持ってくる。

 それ自体は仕方のないことだが、英士に任せられる割合が明らかに大きい。たまには文句を言っておかないと、歯止めなく労働に駆り出されることだろう。


「だいたい、ロボットなんでしょ。自分で歩かせればいいんですよ」


「残念ながら、歩行できない型だ。腕は四本あるがな」


「その腕で歩けるんじゃないですか」


「ぐちぐち言ってないでさっさと行け。おまえ部活もやってないし力有り余ってるだろ」


「えー。っていうか、俺まだ昼飯も……」


「牧山教諭」


 英士が渋っているのを見かねたのか、ヒスイが声を上げる。

 ヒスイがいることに気付いてなかったわけでもないだろうが、牧山は虚をつかれたような顔で彼女を見た。


「なんだ、ヒスイ?」


「エージは労働に非積極的です。強制したところで、任務の非効率化、事故の危険に繋がります。私が彼の代わりに任務を引き受けましょう」


 牧山がニヤリと笑い、英士に流し眼を送る。

 英士は額に手を当て、ため息をついた。


「エージ、どうした」


「行きますよ。行けばいいんでしょ」


「よく言った」


 牧山が英士の頭を軽く小突き、教員用の玄関の方に去っていく。


 英士はため息を一つついて、昇降口の方へと足を向けた。


「どういうことだ。脈絡が掴めない」


 慌てた様子、というほど表情に変化はないが、ヒスイはせかせかと英士を追いかけてきた。

 牧山と英士の間のアイコンタクトを、このロボットは理解できていないらしい。


「私は、英士が嫌がっていた任務の代理を申し出たはずだ」


「そりゃ、表面上はそうだけどさ。力仕事を渋って、しかもそれを女の子に任せるってのはいくらなんでもまずい。俺の立場がなくなる」


「エージはそんな瀬戸際の立ち位置にいるのか」


「俺でなくてもそうなの。体裁ってものがあるんだよ」


「一般常識というやつか」


「男の見栄だ」


 あと、姉の教育指針である。

 英士の言葉に、むう、とヒスイが唸った。


「私はエージの負担を減らそうとしたのだが」


「別にいいさ。どうせ行くことになってただろうし」


 彼女の言葉は額面通りのものであり、それ以上の意図はない。そんなことは英士も分かっている。

 それでも、この結果が「人に奉仕する」というロボットの本分に反するからか、ヒスイは不満げにしていた。


「そういうわけだから、ヒスイ。先に教室戻ってていいんだぞ」


「いや、私も手伝う。そもそも、エージを観察することが私の最優先事項だ」


「ああ、そうだったか……」


 靴を履き替え、二人で正門に向かう。


 正門前にはトラックが停まっており、一足先に到着していた牧山が業者と話をしていた。流石に紙の書類を使うほどレトロな運送会社ではないらしく、しきりに携帯タブレットを突っついている。


「いや、ほんとに大丈夫っす。こっちで配置場所まで運びますんで」


「それの方が面倒なんですよ、ウチは。登録されてない人間を校舎に入れるには、手続きとかいろいろあって……。ああ、殿羽。これだこれ」


 業者の脇に置いてある段ボール箱を牧山が指し示す。

 一人でぎりぎり抱えきれるかどうかといったサイズだ。重量もそれなりにあるに違いない。

 既にハンドリフトに乗せてあるのを見て、英士は少しほっとした。


「じゃあ、これを購買まで頼むぞ」


「運搬後、彼を組み立てた方がいいでしょうか。腕部と頭部を胴体に繋ぐだけのようですが」


 余計なことを、と英士はヒスイを睨む。


 運ぶだけで済むところに、わざわざ仕事を上乗せしてどうするのだ。英士の負担を減らそうという姿勢が全く見られない。


「そうだな……近藤さんの指示に従うように。だが、四限目には遅れるなよ」


 近藤とは、件の購買のおばちゃんのことだ。

 ラッシュは過ぎたとはいえ、昼休みが終わるまで購買には生徒たちが訪れ続ける。手が離せないところに「どうしますか」と聞けば、「お願いね」と返ってくるのは目に見えていた。


 他の仕事ならともかくロボットの組み立てなどやりたくもないというのが英士の本音だが、もう逃げ場はないようだった。


「わかりました。行こう、エージ」


「はいはい……。ヒスイ、倒れないように脇についててくれ」


「私が押す」


「いいから言うこと聞け」


 英士はヒスイを押し退けてハンドルを握り、力を込めてリフトを動かした。

 リフトといっても上下動以外は人力なので、押していくのには力が要る。ここでヒスイに任せては、結局面子が立たないのである。


「手慣れたものだ」


「こんなのに慣れたくはなかったけどな」


 昇降口を抜けてオートウォークに乗り、英士は一息つく。


 ハンドルが後方にあり、自動車のバックに似た挙動をとるハンドリフトの操作は、慣れないうちは多少手間取るものだ。しかし、英士の雑務従事時間は、他生徒のそれと比べるべくもない。


 それにしても、オートウォークのある学校でハンドリフトというのは時代錯誤も甚だしい。

 ここでロボット頼みになるのも英士としては癪だが、どこか不合理なものを感じずにはいられなかった。


「そこの突き当たりだ。おばちゃん、荷物届けに来たー」


 オートウォークを下りてしばらく歩くと、購買が見えてきた。

 購買前には数人の生徒がいたが、英士は気にせずその脇にリフトを寄せる。


「あら、また殿羽君がやってくれたの。悪いわねえ」


 歴戦の購買店員・近藤は、渡された千円におつりと菓子パン二つを返しながら、笑顔で返事をする。しわの寄った彼女の笑顔は、寄る年波を感じさせつつも温かく力強い。こんな風情でも、数十人規模の飢えた生徒を捌く神業の持ち主である。


「購買に置くロボットだそうです。私たちで組み立てますので、どうか接客に集中してください」


 英士はヒスイを横目で睨む。

 彼女のすまし顔からは、罪悪感の欠片も見つけられない。


「殿羽君、その子は?」


 近藤に尋ねられ、英士はヒスイから目を離した。


「今日転校してきたんだ」


「ヒスイ・キャルヴィンです。以後よろしくお願いします」


「そう、ヒスイちゃんね。外国の方? あ、私は購買の近藤よ。よろしく」


 近藤がカウンター側へ入る扉を開けてくれた。防犯のため、普段生徒はそちら側へ入れないようになっている。


 英士とヒスイは、引きずるようにして段ボール箱を運び入れた。

 奥は、案外広いスペースが用意されていた。商品を運び入れる時の動線確保のためである。

 二人は段ボール箱を適当なところに置いて、包装を剥がし始める。


「うわ。歩けないとか言っといて、こいつ車輪駆動じゃん。牧山め……」


「どちらにせよ、外で組み立てるのは好ましくないだろう。これは室内型だ」


「デリケートなことで……」


 ぼやきながら、英士はロボットの本体やパーツを並べていく。


 購買に送られてきたそのロボットは、簡易なつくりをしていた。

 筒状の身体に、ヘルメットを被ったような丸い頭。腕は四本あり、商品と代金の確実な受け渡しのために、手先は細かく可動するようにされている。売り子用ロボットの基本はきちんと守られているようだ。


 しかし、売り子用としては何世代か前の代物である。この学校に新しくやって来たとは思えない旧式だ。

 商品名を聞き、それを用意する。支払われた代金に対して、おつりを用意する。このロボットができることはそれだけである。電子頭脳の中身も、商品名と値段を記憶する領域以外には、計算機くらいしか入っていない。音声機能も貧弱だ。


 最新のものなら、五人同時の接客もできるし、時間帯によるセールやサービスを設定することもできる。少なくなってきた商品の補充や、客引きだってやってみせる。極端な話、その場に人間がいなくても店を回すことが可能なのである。

 しかし、これにそこまでの性能はない。人間の営業を手助けするのがせいぜいというロボットであった。


「ところで、エージ」


 上の右腕を繋いでいた英士に、ヒスイが声をかけてきた。


 英士は考え事を中断して、ヒスイの方に目をやる。


「どうした?」


「さっき、近藤女史は『また』と言っていた。エージは以前にも、こういったことをしていたのか」


「ああ……まあ、少し……」


「この椅子は、殿羽君が直してくれたのよ」


 会話が聞こえていたのか、近藤が振り返って、自分の座る椅子をぽんと叩いた。

 購買ではカウンターに合わせて、少し背の高い椅子を使っている。生徒用の机や椅子は整備するためのロボットが用意されているが、こういう規格品でないものは任せることができない。

 手軽に整備ができないその椅子は、致命的な欠陥でないのも相まって、長らくガタついたまま放置されていた。


 それに気付いた英士が、椅子の修理を申し出たのである。


「冬場はここで温かい豚汁も売っていてね。搬入はロボットが来てくれるんだけど、いろいろと不規則な搬出の方は、おばさんが自分でやらなくちゃいけなくて……。鍋が重くっていつも難儀してたんだけど、前の冬は殿羽君が手伝ってくれて助かったわ。椅子も、その時に気付いてくれて」


「おばちゃん、そんなことまで言わなくていいって」


 胸を張れることをやった自覚はあるが、改めて言葉にされるとこそばゆいものである。だから、適当な相槌で済まそうとしたのだ。


 英士はヒスイの視線を避けるように、ロボットの組み立てに専念した。


「しかし、そういった問題が頻発しているのであれば、このロボットの選択は誤りではないでしょうか。無論、彼は彼の仕事を十全にこなしますが、せめて運搬作業に対応したものを用意すべきだったと考えます」


 目を合わそうとしない英士を見つめるのを止め、ヒスイは近藤の方に目を向ける。

 近藤はそれを聞き、「そうねぇ」と微笑んだ。


「でも、いいのを買ったら、やっぱり学校にも負担がかかるじゃない。それに、何一つ不自由がなくなるっていうのも、寂しいものだと思うの」


「理解できません。説明をお願いします」


「おばさんは、あなたたちみたいな生徒と話すのが好きなのよ」


 ヒスイが首を傾げる。続く説明を待っているようだが、近藤はにこにこしているだけで、それ以上は何も言わない。


 別に難しいことは何も言っていないのに。英士は首をおかしな角度にしたままのヒスイを見かねて、彼女に言ってやった。


「なあ、ヒスイ。俺たちは、なんでここにいるんだ?」


「購買施設の支援のためだ」


 即座にヒスイが答える。

 英士は頷いて、「それじゃ」と続ける。


「ここが何の支援もいらない、完全に自立した場所になったら……どうだ?」


 ヒスイはそれを聞いて、ようやく事情を理解したらしかった。


「……なるほど。我々のように、購買施設を支援しに来る者はいなくなる。支援者と会話することを良しとする近藤女史にとって、それは有益ではない」


 わざわざ堅苦しい言葉で表現するヒスイに、英士は苦笑いを浮かべる。

 近藤が気を悪くした様子がないのは幸いだった。


「もしも購買にお手伝いが必要なかったら、おばさんとヒスイちゃんはこうやって話すこともなかったかもしれない。少なくとも、私はヒスイちゃんがそういうおもしろい表現をする子だってことを、知らないままだったと思う。人と人との関係は、個々が不完全だからこそ深まるのよ」


「頼り頼られってのも、悪くはないってことだ。おばちゃん、組み立て終わったぞ」


「ありがとう、二人とも」


 英士は散乱していた梱包材の類を手早く集め、部屋の隅にまとめる。


 時刻は十二時五〇分。午後の授業が始まるまで、もう一〇分しかなかった。


「はいこれ。持っていきなさい。リフトは後で私が片付けておくから」


 廊下に出るとき、英士は近藤からシュークリームを一つ渡された。


 まあ、これくらいのお駄賃はもらっておいてもいいだろう。今更ながら、英士は自分が昼食を食べていないのを思い出し、ありがたくそれを受け取った。


「ヒスイちゃんも。今度はお客さんとして来るのを、待っているわ」


「私は今回の行動に、賃金を要請してはいません」


 対するヒスイは、差し出されたシュークリームを受け取ろうとしなかった。「いいからいいから」と彼女の手を取ろうとする近藤から、身をかわそうとする始末である。

 そんなヒスイの後頭部に、英士は軽く手刀を入れる。


「もらっとけばいいんだよ。厚意は受けた方がお互い気持ち良い。ねーちゃんの教えだ」


「しかし」


「もらえ」


 埒が明かないので、ここは三原則の効力にすがる。時間に余裕がないのだ。

今度はヒスイも素直に頷いた。


「ありがとな、おばちゃん」


「こちらこそ。また来なさいね」


 英士はシュークリームを咥え、近藤に手を振った。


「さて……まあ、普通に歩けば間に合うか」


 オートウォークに乗り、英士とヒスイは教室へと向かう。


「エージ。せっかくもらったが、私は吐き出すことしかできない。これはエージが食べてくれ」


 購買からある程度離れてから、ヒスイがそう言ってシュークリームを差し出してきた。

 ヒスイは食べたものを消化できない。ヒスイがはじめ受け取りを拒否した理由には、これもあったのだろう。


 英士はしばらくシュークリームを見つめてから、ヒスイにこう言った。


「おまえが食べればいいさ。おいしいものは食べたいんだろ?」


「……それはそうだが。やはり食物を捨てるのは、もったいない」


「もう弁当は食っただろ。今さら何言ってんだ」


「むう……」


 ヒスイはシュークリームを手元に戻す。そして恐る恐るといった様子で、一口かじった。


「……おいしい」


「そうだろう」


 もそもそとシュークリームを食べ始めるヒスイを見ながら、英士は考える。


 ヒスイと過ごす学校生活一日目。その昼休みは、思った以上に濃密なものとなった。

 はじめは、ロボットにつきまとわれるのなんて御免だと思っていた。今でも、その字面を思うと酷く落ち着かない気分になる。

 しかし――


「エージ」


 ヒスイの声が英士の神経を逆なでしたりはしていない。彼女の変化に乏しい表情も、そこまでうっとうしいわけではない。

 今この瞬間に、英士の気分がささくれ立っているかといえば、そんなことはないのだ。


「中庭での言葉は撤回する。私がエージから学ぶべきことは、案外多いのかもしれない」


「やっとわかったか」


 殊勝な態度のヒスイに対して、自然に軽口を叩いている自分に、英士は少し驚く。


 複雑な気分の昼下がりだった。

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