(3)
午後の授業が終わると、英士は一人帰路につく。
英士は部活動の類には入っていない。どの運動部も練習にロボットを導入し、どの文化部もロボットの手伝いを当たり前のものとしている。高校全体の気風なので当然なのだが、英士はそういう団体に籍を置くつもりはない。
ならば何故、ここまでロボットの多い光哲高校に入ってきたかという話になるが、それはまた別の事情がある。
「ただいまー」
英士は木製の引き戸を開け、気の抜けた声で帰宅を告げる。
殿羽家は、光哲市の中心部から少し離れた位置にあるという不便さの代わりに、中々の敷地面積を誇る。建物は全棟木造の平屋建て。年季は入っているが、板張りの床も畳も手入れが行き届き、不快感を想起させるものはない。
ただ、掃除を行っているのがロボットであるという点は、英士にとってはマイナスである。そのため英士は、自室の掃除を自分でこまめに行うことにしている。
「おかえりなさーい。ちょうどお茶淹れたとこだけど」
「んー、すぐ行くー」
母・殿羽遥の呼びかけに、英士は早足で自室に向かう。
遥が紅茶を淹れるのは、きまって地下街かどこかでスイーツを買ってきた時である。味覚の嗜好は母から遺伝しているという自覚があるため、こういう時の英士の足取りは軽い。
「ねーちゃん、ただいま」
仏間を覗き、姉に声をかける。姉の碧はいつものように、にこにこ笑っていた。遥が持って来たのであろう、彼女は一足先に紅茶にありついている。
英士はそっとふすまを閉めると、改めて自室に向かった。平屋なので階段の上り下りはないが、英士の部屋は玄関から遠い。ほとんど使っていない離れに渡る裏口の、すぐ隣である。
鞄を部屋に放り投げ、英士はさっさと踵を返す。
今日の収穫は和洋兼ね備えた甘味処『蓮華堂』のエクレアだろうか。はたまた最近オープンしたという噂の洋菓子店『ciel』のミルフィユか。
胸を躍らせながら、英士は居間の扉に手をかけた。
「……え」
しかし、居間に入るなり飛び込んできた光景に、英士は目を疑うこととなった。
「お邪魔してるわよ~」
ついでに英士は耳も疑う。信用できるのは、母の好きな安物のアールグレイの香りを嗅ぎつける、この鼻だけだと思った。
無論それは、虚しい逃避でしかない。
「おいしい」
駅前の老舗『あかね』のスイートポテトにぱくつく、銀髪碧眼の美少女。良家の奥方よろしくティーカップを傾ける、ブロンドヘアーに眼鏡の美女。
この組み合わせを、英士は知っている。
まさか我が家で相見えることになろうとは思っていなかったが。
「あ、こちら才花・キャルヴィンさんに、妹のヒスイさん。今日から離れを貸すことになってる……って前に話したよね?」
「いや……聞いてない気がする……」
「そうだっけ。でもそうなのよ」
そうなのよ、ではない。英士は遥の軽々しい発言に眩暈を覚えた。
ちらりと才花を見遣ると、ちょうど彼女と目が合った。そしてその口の端がにやりと吊り上がるのを、英士ははっきりと確認した。
「才花さん……ちょっとこっち来てもらえるかな」
「こら、英士。後にしなさい」
「いえ、お構いなく」
英士の手招きに、笑顔で応じる才花。
英士はしかめ面で居間を離れ、しばらく廊下を歩いてから彼女の方に振り返った。
「どういうことだよ! なんで、しれっと家庭に溶け込んでるんだ!」
「どうもこうも……まあ、あなたは自分が思うほど、中心人物ではなかったというところかしら?」
癇に障る、というより痛いところを突く言葉に、英士はたじろぐ。
あんな風に秘密の話を聞かされていながら、別に自分はどうだっていい存在だったというのか。そうだとしたら、かなりかっこ悪いことをしていたのではないだろうか。
「ああ、気を落とさないで。あなたがヒスイにとって、重要な人物であることは確かだから。ただ、あなたの一存で私の目論見が崩れてしまうような、そんな行き当たりばったりな計画を立ててはいないってこと」
「……それはつまり、俺が了承しようがしまいが、俺に付きまとう準備はできていたと?」
既に母親を抱き込んでいるのだから、そういうことである。
才花はビシッと親指を立てて、それを肯定した。
「ヒスイは、あなたの傍にいないと意味がないの。わかって、英士君」
「俺は嫌だって言ったはずだ! ヒスイだって、俺に文句言ってたじゃんか!」
「馬鹿ね……。ヒスイはロボットである前に、乙女なのよ……察してあげて」
「乙女になる『予定』のロボットだろ!? って、そういう問題じゃなくて……」
このままでは埒が明かない。英士はジョーカーを切ることにした。
「そっちがその気なら仕方ない。ヒスイがロボットだってことを皆にバラしてやる。母さんにも、学校の連中にもだ!」
「別に構わないわよ」
「え」
切り札をあっさり捌かれ、英士は二の句を失う。
才花は居間の方向をちらりと見てから、眼鏡の位置をくいっと直した。
「けれど、そのあなたの発言を誰が信じるかしら。ロボット嫌いのあなたでも、私が教えるまで正体に気付かなかったのがヒスイよ?」
「う……そ、それは……そうだけど」
「ヒスイは食事も睡眠も排泄も必要ないけど、擬似的に行うことはできるわ。ヒューマノイドは大抵がそうなのだけど。さて、どうやってヒスイをロボットって証明するつもり?」
「だからそれは……そうだ、三原則! ロボット三原則があるだろ!」
「人を傷つけない。言いつけをきちんと守る。危ないものには近付かない。ヒスイはとってもいい子よ」
「……うぐぐ」
ロボット三原則は、破ればそれがロボットでないことを証明できる。しかし、逆は必ずしも真ではない。
三原則を守るのは、ロボットと、善良な人間の二通りがあるのだから。
反論を悉くはねのけられ、万策尽きた英士。
対照的に、勝ち誇った笑みを浮かべる才花。
「改めまして、よろしくね。英士君」
英士に逃げ道は残されていなかった。
* * *
居間に戻ると、ヒスイは二つ目のスイートポテトに手を伸ばしていた。
ロボットのくせにいじきたない奴である。英士は彼女を睨むようにしながら、自分の椅子に座った。
「何の話をされてたの?」
遥の問いに、才花はにこやかに答える。
「いえ、ヒスイのことを少し。日中に会ったときは同じクラスになるってことを話しただけで、まさか同じ家で暮らすとは思ってもみなかったみたい。それでびっくりしたようで」
もちろん驚いたことに間違いはないが、かなりニュアンスに脚色が加えられている。しかし、主張したところで英士が相手にされないだろうことは目に見えている。
と言うか、同じクラスなのか。
英士はため息をついて、少し冷めたアールグレイを啜った。
「ヒスイ、きちんと英士君の言うこと聞くのよ。これからお世話になるんだから」
「わかった」
こっくり頷くヒスイの様子に、英士は何となく不愉快になった。
英士に対して敵意を向けていたヒスイが、今何事もなかったかのように「言うことを聞け」という命令に従おうとしている。
ロボットというものは、結局そういうものに過ぎないのだ。
「ごちそうさま」
「お茶、熱いのもう一杯淹れようか?」
「今日はいい」
カップを置いて、英士は足早に居間を出る。
ヒスイと顔を突き合わせているのは、居心地が悪かったのだ。
「ごちそうさまでした」
しかし、英士が居間を出るや否や、ヒスイも席を立った。
嫌な予感がした。
「……」
案の定、ヒスイは英士の後にぴったりくっついて来た。
ヒスイの肩越しに、才花が満足げな表情を浮かべているのが見えた。遥は、何を勘違いしているのか、にまにまと英士の方を窺っている。
まさか、これから毎日こうなのだろうか。四六時中、背後霊の影に怯えて生きるしかないというのか。
さすがにそれは、ぞっとしてくる。
足早に自室の前までやって来た英士は、飛び込むように部屋に入り、勢いよくドアを閉めた。入ってくるなと、明確に拒絶の意思を示す。
そうでもしなければ、ヒスイは自室にまでのこのこ入って来るに違いない。
「エージ、今のは危ない」
そしてヒスイは、当然のようにドアを開けて侵入してきた。
拒絶の意思は彼女に届かなかった。
「……おい、ロボット」
クッションの上に腰を下ろし、「ふう」とわざとらしく一息ついているヒスイに、英士は威圧的な声をかけた。
「私にはヒスイという個体名称がある。それにロボットであることは、目下秘匿するところだ」
「そんなのは俺に関係ない」
「エージ、それは違う。私の発言は、事実としてあなたに関係している事柄だ」
そういうことを言っているのではない。英士のこめかみに青筋が浮いた。
「俺は今の状況を認めてないって言ってるんだ!」
「それならそう言ってほしい」
「人間に近づきたいんだったら、これくらい察してみろ。ポンコツめ」
英士は嫌味たらしく毒を吐いてやる。
相手はロボットなのだ。人間に対する時のような気遣いの類は必要ない。
「一理ある。人間同士のコミュニケーションには、しばしばこうした字義通りでない意味合いが含まれる。それは私も知るところであるし、学ぶ必要があるだろう」
気遣いの類は必要ない。そんなことをしなくても、ロボットは傷付かない。
わかってはいたが、暖簾に腕押しといった感じのヒスイの反応に、英士はげんなりした。
「……しかし、エージ。ポンコツというのは撤回してほしい。私はショックを受けた」
おや、と英士は顔を上げてヒスイを見た。
今、「ショックを受けた」と言ったか。英士は今まで、そんなことを口走るロボットを見たことがなかった。
「私は現代科学の粋を受けて創造されたという矜持がある。私とあなたの性能を比較するなら、明らかにあなたがポンコツであると推察する」
彼女の不届き千万な発言に、英士は怒る前に呆れてしまった。
ロボットにもものを考える脳はあり、自らの仕事に誇りを持つというくらいはあるのかもしれない。
しかし、それを誇示してみせたり、あろうことか人間を貶めてみせるというのは、ロボットらしからぬ暴挙と言わざるを得ない。
ロボットは人間に奉仕することを本懐とする。三原則とは関係なく、優れた電子頭脳を持つロボットほど、人間に取り入るような言動を繰り返すものだ。
しかし、ヒスイにそういう姿勢は見受けられない。それは彼女がさらに進んだロボットだからなのか、それとも――
ふと、英士は意地の悪いことを思いついた。
「おい、ヒスイ」
「なんだ」
「おまえが俺をポンコツ呼ばわりしたことで、俺はとても傷付いた。心に深刻なダメージを受けた。再起不能かもしれない」
「……!」
ヒスイの表情が停止する。一瞬遅れて、その目がカッと見開かれた。今までで一番分かりやすい表情の変化だった。
「私の発言が……エージを傷付けた……」
ぶるぶると碧眼が震えている。肩も手も、まるで痙攣しているかのようだ。
震えるその手が、ヒスイ自身の首にあてがわれた。
「すみません、サイカ。私は失敗作でした……」
「悪い、さっきのは冗談だ」
そのまま自分の首をへし折ろうとするヒスイを、英士は危ういところで止めた。
「……冗談なのか。エージは傷付いていないか」
「ああ、傷付いてない。……ロボットなら緊急停止でもするかと思ったのに、まさか自傷に走るとはな」
ほっとした様子のヒスイを見て、英士は苦笑いする。
第一条の拘束力は、思考が豊かになるほど強力になる傾向を持つ。
単純な作業用ロボットなら、人間を物理的に傷付けないようにするのみであり、人間の精神状態など考慮しない。というより、考慮する能力がない。
しかし、十分な知識と思考能力があれば、精神を病むことは外的損傷と同様に生命活動を停止させる要因になると理解できる。そういう場合、第一条がロボットに禁止する行為は一気に多くなる。
もっとも、高度なロボットを「俺は傷付いた」と自己申告するだけで狂わせたり停止させたりすることができたら、それは大問題である。普通はロボット自身が、相手は本当に心にダメージを負ったのか判断できるし、そもそもそういった行動をしないようにできている。
しかし、ヒスイは成長型AIを積んでいる。裏を返せば、彼女はまだ完成していないのだ。その辺りの線引きはできていないし、人の言うことを言葉通りに鵜呑みしてしまう状態である。
ただ、後者に関しては、「英士の言うことを聞け」という才花の命令が効いているところもあるのだろうが。
「私は外見を極限まで人間に似せている。そのため表皮に継ぎ目がなく、内部の整備は非常に困難なのだ。基本的に、内部機能の停止はしない」
「……ふーん」
自傷行為をしたところで、結局内部の整備がいるだろうに。英士はいまいち納得できなかったが、実際英士が自傷を止めることで損傷に至っていないので、まあそんなものなのかもしれない。
「興味なさそうだな。見せようか」
「見ねえよ」
英士の沈黙に対して、何やらいかがわしいことを言い出すヒスイ。学生服の裾に手をやるヒスイを、英士は冷めた表情で止めた。
いくら外見上は人間そのものだろうが、ロボットの裸を見ても何も嬉しくない。
「ところでエージ」
「何だよ。っていうか、そろそろ俺の部屋から出て行ってくれないかな」
「ここがエージの観察に最も適しているから、その提案は却下したい」
「提案じゃない。命令だ」
「……わかった」
第二条の効果は覿面である。
少し返事までに間があったが、ヒスイはそれに従った。
「……で、何を言おうとしたんだ。出ていく前に聞いてやるよ」
去っていく後ろ姿がどうにも寂しく見えたため、英士はつい声をかけてしまう。
ロボットに気を遣う必要などないのだが、やはりヒスイは人間に似すぎている。反射的に、こういうことをやってしまうのも無理はない。女の子に優しくするよう、英士は姉に散々言い聞かせられてきたのだ。
ドアノブに手をかけていたヒスイは、英士の言葉を聞いてくるりと振り返った。
「エージ。私は、外観は人間そのものだが、中身は人間そのものではない」
「……そりゃそうだろう」
中身が人間そのものだったら、それはもう人間であってロボットではない。
何が言いたいのか理解できず、英士は続きを促す。
「端的に言えば、私に循環系や消化系は存在しない。食事や排泄を擬似的に行うことはできるが、それらは本来必要ない行為なのだ」
先程スイートポテトにがっついておいて何を言っているのだろうか。
英士はそう思ったが、次の瞬間、嫌な予感がした。
ヒスイに消化系はない。
彼女は外側から内部に直接的な干渉ができない。
そして彼女の体内には、スイートポテトと紅茶が入っている。
「食べたものを外に出し、処理しなければならない。周りの人に気付かれないようにだ」
「……どこから出すんだ」
「無論、入れたところからに決まっている。できれば、貴方しかいないこの部屋で済ませてしまいたいのだが……」
「トイレに行け!」
英士は思い切り怒鳴りつけた。
自室で吐瀉物をどう処理しろというのだ。ヒスイの常識の無さに、英士は絶望すら感じた。
「しかしエージ。私の口内から内部の貯蔵器官に至るまで、衛生面に問題はない。つまり、まだ人間が摂取することが可能なのだ。下水に流すのは、いささかもったいな……」
「出ていけぇぇぇ!」
とんちんかんなことを主張するヒスイを、英士は部屋から叩き出した。
それがロボット嫌いの少年と、おかしなヒューマノイド・ロボットの、奇妙な共同生活の始まりだった。
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