3
ぼくたちが作るカレーは、ナスときのこを炒めたものに牛肉を加えたものだ。調理の役割は自然と決まっていて、彼女は野菜や肉を切る。ぼくは、器具を用意したり、彼女が出した野菜屑を回収したりする。もちろん洗い物もぼくの仕事だ。そしてぼくは彼女が材料を切る姿がとても好きだ。彼女がナスのヘタやきのこの房をぎりぎりまで薄く切るところに、珍しく人間臭さを感じることができたから。
ところで、ぼくたちはなぜ王道な具材でカレーを作らないのか。彼女はナスが好きで、ぼくはきのこが好きだから。そして。
「今日はさ、玉ねぎ入れたりしない?」
「え、あなた玉ねぎ嫌いじゃなかったっけ?」
そう、ぼくは玉ねぎが嫌いだから。
そもそも彼女のことを好きになったのは、玉ねぎがきっかけだった。会社の飲み会で、上司に飲まされ続けた新入社員のぼくは、隅っこの席で黙々と酢豚を食べていた。豚肉、にんじん、パプリカ、パイン、豚肉、ピーマン、にんじん、豚肉…。
「あなた、玉ねぎ嫌いなの?」
彼女は笑いながら、僕の横に座った。
「え、なんでわかるんですか」
「だって、この卓の酢豚だけ玉ねぎ山積みなんだもん」
ぼくは恥ずかしくなって、酢豚を手で隠した。
「あなたってチャーミングなのね」
そう笑いながら、彼女は山積みの玉ねぎを口一杯に頬張った。
「堂々と食べなきゃいいのよ。私みたいなのが食べるんだから」と彼女は言った。
人が人を好きになる理由なんて、何でもよかったのかもしれない。
玉ねぎはぼくの冷蔵庫になかったので、近くのスーパーに買いに行った。家に帰ると彼女は、ソファで体育座りをしながら、絵を描いていた。なんの絵を描いているの?と聞くと、秘密と言われた。
彼女はぼくの手から玉ねぎを奪い取り、キッチンへと戻る。もちろんぼくと料理をするときは、玉ねぎを使う機会は皆無だったが、彼女は器用に皮を剥き薄く包丁でスライスしていく。
「玉ねぎの調理も上手だね」
「そう?ありがとう」
薄くスライスされた玉ねぎはあまりにも薄く、目の前にかざすと向こう側が透き通って見えるようだった。
「それにね、私玉ねぎ切っても涙が出ないのよ。すごくない?」
確かに横で見ているぼくの目は赤くなっているのに、彼女の目はびくともしていないようだった。
「私、泣かない女だから」と彼女は笑いながら呟く。
彼女がスライスした玉ねぎを、ぼくがフライパンで飴色になるまで炒め続ける。
弱火でことこと、玉ねぎから出る水分でそれ自体を煮込むように。ただし注意深くヘラでかき回し続けなければ、すぐにフライパンは焦げ付いてしまう。玉ねぎが飴色に変わるまでには随分と時間が必要なのだ。
「いつまで炒めるつもり?」彼女は痺れを切らしている。
「そのうち飴色になるから」
「飴色って何色?」
「飴色は飴色だけど…。雨が降った後のグラウンドの色ぐらいかな」
「なにそれ不味そう」
「だからふつう飴色っていうんだよ」
「ねえ、手でしてあげようか?」彼女はぼくのスウェットに手をかざす。
「へ?」ぼくはヘラを掻き回す手を止めて、思わず彼女を凝視してしまう。
「だって暇なんだもん。飴色になるまでだから」
そろそろ飴色になってしまうのだけど、ぼくには充分かもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます