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 寝すぎたときの独特の気怠さで、ぼくはまた目を覚ました。窓からはもう陽の光が入らないが、外は十分に明るい。隣に彼女の姿はなかった。リビングとキッチンを区切る扉の隙間から、味噌汁の気怠い匂いが漂ってきた。

 つま先を動かし、膝を揺らし、グーパーをして、肩をすくませる。自分の身体が確かにここにあることに安堵し、ぼくは起き上がる。ひどい二日酔いだ。

「なんの味噌汁?」

「あら、起きたの。ポテトよ」

 彼女はキッチンで鍋に味噌を溶かしているところだった。ポテトの味噌汁と呼ぶのは、彼女が横文字好きなだけでなく、本当にフライドポテトを使っているからだ。

「フライドポテトはカリカリなのが美味しいのに、汁物に入れるなんてどうかしてるよ」

昨夜ゆうべのしなしなポテトをそのまま食べる方がどうにかしてるわ」

「トースターで温めればいいじゃないか」

「嫌よ。脂っこいもの。そもそもあなた、じゃがいもの味噌汁好きだったでしょ」

 じゃがいもの味噌汁はね、とぼくは思った。

 彼女は職場でも少し浮いていた。

 営業成績トップだった彼女は、役員たちへの売上報告も行なっていたが、プレゼン資料は平気で裏紙に印刷して配布していた。「どうせあの人たち資料なんてすぐ捨てるからいいのよ」と彼女は言う。訪問客に出すコーヒーを缶コーヒーに変えたのも彼女だった。「コーヒー出してもだれも口にしないじゃない。それなら、持って帰れる方があちらも嬉しいでしょ」

 常識が欠落しているようで、極めて合理的に他人を思いやるところが彼女の魅力だ。そして、せっかくご飯を作ってくれても、味噌汁だけしか作らないところも彼女の魅力だ。

「お腹空かない?」とぼくは聞く。

「そうね。昨日の酔いがまだ抜けてないし、ちょっとがっつり食べたい気分かも」

 彼女は冷蔵庫を開け、中身を注意深く点検する。ぼくは自分の冷蔵庫をまじまじと見られて、恥ずかしい気持ちになった。上段はビールで埋め尽くされ、他には大した食材など入っていなかった。

「カレーライスね」と彼女は宣言した。

「味噌汁にカレーライス?」

「だってあなたカレー好きじゃない」

 勝てないなあ、とぼくは思った。

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