第152話 孔明が勝つ三国志
雨が降りつづいていた。
魏の大司馬、曹真は大軍を率いていたが、子午道の途中で進軍できなくなっていた。
大雨が、道を崩壊させていたのである。
子午道というのは、魏の重要都市長安と蜀の要衝南鄭を結ぶ道。
途中に険しい秦嶺山脈がある。断崖絶壁に横穴を掘り、そこに杭を打ち込み、板を敷いた桟道がつくられている。
桟道が崩落していた。
修理しなければ進めないが、極めて危険な難所であり、雨中で工事するのは不可能だった。
子午道は、魏から蜀へ進む最短のルート。
曹真はそこを進んで、電撃的に南鄭を突き、蜀軍を崩壊させるつもりだった。
やまない雨と崩れた道が、その目算を消し去った。
道中で雨に降られながら宿営せざるを得なくなり、兵糧のみが減っていった。
いや、減っているのはそれだけではない。
兵の士気も。
曹真は休戦を考えた。日に日に、休戦を強く欲するようになった。
曹真は蜀軍の山岳部隊が、秦嶺山脈の中に埋伏しているのを知っていた。
退却すれば、彼らが襲ってくる。
猿のような蜀の山岳兵のことを考えると、恐怖で心が震えた。
休戦協定を結ばなければ、長安へ帰れない。
司馬懿が率いる魏の別動隊は、斜谷道を進んでいる。
斜谷道は五丈原を経由して、南鄭へ至る道。
曹真軍が停滞しているので、司馬懿軍も止まっている。
本隊と言うべき曹真軍が動かず、支隊である司馬懿軍のみが蜀軍と戦えば、撃滅されるのは確実である。
司馬懿も休戦するしかないと思っていた。
蜀の軍師である諸葛亮孔明は、魏軍が休戦を必要としているのを知っていた。
休戦交渉をするなら、わたしは司馬懿仲達とふたりきりで面会したい。
陣中でそうつぶやいた。
むろんこの言葉が、ほどなくして曹真と司馬懿に伝わることはわかっている。
雨中でも、諜報戦はやむことなくつづいている。
曹真から司馬懿へ、伝令が命令を伝えた。
諸葛亮と会い、休戦協定を結べ。我が軍が安全に撤退できるよう状況を整えよ。
曹真の軍権下にある司馬懿に拒否権はなく、彼は諸葛亮の指定の場所に出向いた。
護衛の兵は従えていたが、面会する天幕の中には、ひとりで入らねばならなかった。
天幕の中に、諸葛亮と趙雲がいるのを見て、司馬懿は陰謀に気づいた。
趙雲は蜀の五虎大将軍のひとりで、槍の達人である。
生きてここから出ることはできないであろう。
司馬懿は狼顧の相を持ち、首を半回転させ、真後ろを向けると言われていた。
「貴殿の狼顧の相を見せてほしい」と諸葛亮は言った。
「それを見せれば、生きて返していただけるか」
「その保証はできかねるが、趙雲には席をはずさせましょう」
諸葛亮の言うとおりにするしかなさそうだ。でなければ、すぐに趙雲に殺されるだろう。
司馬懿は諸葛亮に背中を見せた。
「趙雲、外で待っていてください」
趙雲は無言でうなずき、天幕の外へ出た。
司馬懿は首を右回りで捻転させた。真後ろを向いた。
「本当に狼顧の相をしているのですね。少し驚きました」と言いながら、諸葛亮はがしっと両手で司馬懿の頭部をつかんだ。
「なにをする。放せ」
「放しません。さて、貴殿には首を一回転してもらいましょう。半回転だけでは面白くない」
「できない。私は半回転がやっとなんだ」
司馬懿の額から脂汗が流れた。
それを見て、諸葛亮はにやりと笑った。
「力ずくでもぐるっと回ってもらう」
諸葛亮はこの機会があることを予期して、あるいはこういう状況をつくることを期して、握力と腕力を猛烈に鍛えていた。万力のような力を持っている。
ぐぐぐ、と司馬懿の首を強引に右回りに回した。
司馬懿は抵抗した。
首はなんとしてでも左回りで元に戻さなければならない。
だが、諸葛亮の力は想像を絶するほど強かった。
「うぐうぅぅぅ、ひいっ、あああああ、それ以上回さないでぇ」
司馬懿の首がごきっと嫌な音を立てた。
諸葛亮が手を離すと、彼は膝から崩れ落ちた。すでに絶命していた。
諸葛亮は天幕の外に出た。
「趙雲、司馬懿の従兵を殺してください」
趙雲は天下無双に近い豪傑である。
血の雨を降らせ、二十人ほどいた魏兵をあっという間に皆殺しにした。
諸葛亮のそばに、彼の幕僚たちが集まってきた。
その中には、山岳部隊の指揮官もいた。
「子午道付近の山岳兵をただちに動かし、曹真軍を攻撃せよ。残りの全軍を挙げて、五丈原経由で長安を襲撃する。これを占領し、魏国攻撃の拠点とする」と孔明は告げた。
長安急襲作戦を提言しつづけてきた魏延は、拳を握った。
「自分に先鋒をご命じください」
「魏延、存分にやりなさい。あなたの作戦だ」
諸葛亮に励まされたのは、初めてだった。魏延は長年感じつづけてきた諸葛亮への恨みを忘れた。
曹真軍は子午道で全滅し、蜀軍の長安攻撃は成功した。
孔明は勝利した。
魏軍全体との勝負は、また別の話である。
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