第151話 ターリーモンスター

 フランシス・ターリーが、後にターリーモンスターと呼ばれることになる化け物を発見したのは、1955年、アメリカ合衆国イリノイ州においてである。モンスターとはいえ、追いかけてきて人を食い殺すようなものではなく、奇妙な形をした化石であった。


 それは炭坑のボタ山の中に捨てられていた茶色い石だった。炭坑は古生代後期石炭紀の地層そのものであり、約3億年前の石を掘り進んでつくられたトンネルであった。ボタ山とは、有用な石炭を取り除いた後にできる不用な石を捨てたゴミ山のことである。


 配管工として働き、休日は化石を探して楽しむアマチュア化石収集家のターリーにとって、そのボタ山は宝の山だった。


 約5億4000万年前、カンブリア爆発という謎の現象が起こり、今日に見られる動物の門が突如として出そろった。その後、動物はさらに進化して多様になり、3億年前の海は豊穣な生物の楽園だったと思われる。石炭紀の石がむぞうさに捨ててあるボタ山は、ターリーの遊び場。彼はそこでたくさんの化石を見つけていた。


 現代の感覚から言うと、炭坑のボタ山は崩落危険な立入禁止場所ではないかと考えられるが、1950年代はまだまだのどかな時代だった。化石を探す遊び人が数人出入りしていたが、炭坑の現場監督も炭鉱夫たちもそんな物好きたちのことは放置し、炭まみれになって働いていた。


 ボタ山から見つかる化石の多くは、シャミセンガイ、チョウチンガイなどの軟体動物である。ウミユリも多い。古生代の生物の原形が想像できる保存状態のよい化石を見つけると、ターリーは喜びに打ち震えた。


 モンスター化石を発見したとき、彼は歓喜するとともに困惑した。こんな化石は見たことがない。


 中生代の海の恐竜みたいな頭部と細長い首があり、現代のアオリイカのような丸みを帯びた胴体とヒレみたいなものがある。特筆すべきは胴体の途中にある細長い棒状の突起だ。奇怪な形状である。これでサイズが1メートル以上もあればまさに怪物だが、残念というかほっとするというべきか、全長は10センチほどであった。


 ターリーは博物館でもこんな形状の化石を見たことはなかった。彼は化石同好会に所属していたが、そこでもこんなものを見たことも聞いたこともない。モンスター化石を自宅に持ち帰り、念のため本で類似のものはないかと調べたが、なかった。なお、ボタ山の所有権は炭坑の経営会社にあるが、化石を持ち去られてそれを盗難であると非難するようなせちがらい習慣は、この時代のこの地方には存在しない。


 ターリーはシカゴのフィールド自然史博物館に化石を持ち込んだ。そこは恐竜コレクションが充実したアメリカ中西部屈指の大きな博物館で、人類学、動物学、植物学、地質学の研究機関でもある。


 モンスター化石は、化石研究をなりわいとする古生物学者たちも首をひねる難物だった。生物進化系統樹のどこに当てはまるのか、見当がつかない。イカなどの無脊椎動物なのか、魚に近い脊椎動物なのかもわからない。


 その後、棒状突起を持つ謎の生物の化石は、イリノイ州の石炭紀地層から続々と見つかるようになり、その数は百を超え、千を超えた。ひとつだけなら忘れ去られたかもしれないが、こうなると、正式な研究対象にせざるを得ない。俗称としてターリーモンスターと呼ばれるようになったこの古代生物は、トゥリモンストゥルム・グレガリウムという学名を得た。


 フィールド自然史博物館で働く学者ユージーン・リチャードソンは多数のトゥリモンストゥルム化石を調査したが、謎は謎でありつづけた。彼は1966年に「誰もこの動物を知らなかった。種名や属名がわからないどころか、どの門の動物であるかもわからなかった。深刻で厄介な問題だった」と書き残している。


 1969年に描かれたターリーモンスターの復元図には、頭部に口はあるが、目はない。体幹は流線形で、尾部にヒレがある。体幹のやや前方に棒状突起がある。それは眼柄ではないかと考えられるようになっていた。


 眼柄とは頭部と目をつなぐ細長い組織で、それを持つ生物は数多くはないが、極めて珍しいというほどでもない。絶滅生物では三葉虫の一種に眼柄があり、現代生物ではサメ、ハエ、ヤドカリ、オキアミなどにそれを持つ種がある。カタツムリは伸縮自在の眼柄を持っている。


 しかしながら頭部でなく、体幹から眼柄が出ている種となると、トゥリモンストゥルム以外には見当たらない。ターリーモンスターの面目躍如たる部分である。この奇妙な形状は世界中の古生物学者や好事家から注目された。


 フランシス・ターリーは生涯この化石の生物学上の正体を知りたいと願いつづけたが、ついに知ることなく1987年に亡くなった。


 発見者の死後、フィールド自然史博物館とイリノイ州地質調査所の科学者たちは、ターリーモンスターをイリノイの州の化石に指定するよう議会に向かって運動した。州知事や州議会議員たちは首をかしげながら議論した。これは指定肯定派と否定派に別れた大論争を巻き起こすに至り、現実的問題を多く抱えた議会を惑わす大いなる時間の無駄と言われながらも、うやむやにならず、肯定派が勝利した。ターリーモンスターはめでたく、正体不明のまま、州の化石となった。


 この奇抜なデザインの化石は、進化論否定論者の根拠とされたこともある。このような形状は進化の結果としてはあり得ず、進化系統樹のどこにも置くことはできない。これは進化論そのものが誤っている証拠である。生き物は神がデザインされたものであり、であればこそ、ターリーモンスターのような進化学上あり得ない形の生物も存在できたのである。そんな論法だ。


 しかし、その体長の割に極めて長大な眼柄を持つ現生生物シュモクバエの研究によって、眼柄の存在価値が明らかにされている。それは飛行中に木の枝に当たったり、クモの巣にからめとられたりする危険性を帯びてはいるが、雌をめぐるシュモクバエの雄同士の戦いで死活的に重要な意味を持っている。長い眼柄を武器として戦闘に勝利したり、それが長い個体の方が、戦わずして勝ち、雌を得て、子孫を残すのに成功することが判明したのである。


 ターリーモンスターの眼柄も、威嚇的な意味があって、彼らを石炭紀に繁栄させた要因となったのかもしれない。あるいは棒状突起の先端部分はチョウチンアンコウの誘引突起のように発光し、餌となる生物を引き寄せていたのかもしれない。いずれにせよ、なんらかの理由があってターリーモンスターの棒状突起は進化したのであり、彼らが淘汰されずに生きていたのは、その突起があったためと考えた方が合理的である。


 21世紀に入り、トゥリモンストゥルムの研究は深化した。ある研究チームが走査電子顕微鏡で化石を調べてみると、ターリーモンスターの歯は現代のヤツメウナギの歯やヒトの爪と同じように角質でできていた可能性が高いことがわかった。胴体部分に複数の穴が開いているが、これはヤツメウナギの鼻孔にあたるもので、匂いを嗅げたと考えられる。いくつかの化石では、脳の輪郭がうっすらと見えている。以上のことから、トゥリモンストゥルムは脊椎動物であり、ヤツメウナギの近縁であるとこのチームは結論づけた。


 しかし別の研究チームは、イリノイ州石炭紀地層の化石の3Dスキャナーによる調査により、ターリーモンスターが無脊椎動物であることを示唆する特徴が見られたと発表した。


 いまなおその正体が議論されつづけているターリーモンスター。フィールド自然史博物館の科学者ポール・メイヤーは「ターリーモンスターが泳ぎ回る姿を見ることができたら、どんなに素晴らしいでしょう。彼らがどのように暮らしていたのか、想像もつきません」と語っている。


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