第125話 暴走車のパラレルワールド

 最愛の兄がわたしを守って逝った。

 信号無視の暴走車が、兄妹をふたりとも轢くところだった。

 事故寸前、兄に突き飛ばされて、わたしは横断歩道を転がった。

 兄がうつ伏せに倒れ、血だまりができていくのを、わたしは地面に横たわりながら見た。

 車は速度を緩めずに走り去った。

 救急車がやってきて、救急隊員が兄をストレッチャーに乗せた。

 わたしはかすり傷しかなく、自力で起き上がり、一緒に救急車に乗った。

 病院で、兄の死亡が確認された。


 そんな現実は受け入れられなかった。

 お通夜の間、呆然としつづけて、泣けなかった。

 お葬式のときも、兄が骨と煙と灰になってしまったときも、涙は出なかった。

 こんなのはあっていいことじゃない。

 わたしは兄とずっと仲睦まじく暮らすはずだったのに。

 この世界では生きていけない。


 わたしはパラレルワールドを旅した。

 妹が兄を突き飛ばし、兄だけが生き残っている世界があるはずだ。

 そこへ行って、ふたりで仲よく暮らすんだ。


 兄妹ふたりとも死んだ世界があった。

 ふたりとも生き残った世界もあった。

 そもそも事故が起こっていない世界もあった。

 一番多かったのは、わたしひとりが生き残って、光のない目をしている世界だった。

 無数のパラレルワールドをめぐったが、望んだ世界は見つからなかった。

 わたしが兄を救って死んだ世界なんてなかった。

 わたしにそんな自己犠牲的な行為をする可能性は、ひとかけらもなかったのだ。


 わたしは自分勝手で自己中心的だ。


 元の世界に戻り、わたしは泣きじゃくった。

 ようやく兄の死を実感して泣いているのか、自分に絶望して涙が出てきたのかわからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る