第74話 乙女座から愛してる。

 新月の夜、星灯りだけが地上を微かに照らしていました。

 ひばりは草叢の中で息絶えたように深く眠っておりました。

 令爾令は電話柱の受話装置をその細い指で支え、下装置を口に、上装置を耳に当てました。

 記憶しているふたつのダイヤルのうちのひとつを回しました。

「莉羅野莉羅?」

「令爾令! 悲愴な声ですわね。どうされましたの?」

 令爾令は地球に住む高校三年生の女の子。地球で一番可愛い子です。

 莉羅野莉羅は令の従姉で、大学一年生だった女性。天国で一番美しい人です。

 ふたりはとても仲が良く、つがいの白鷺のようでした。

「あたし先程、真理緒真理さまからプロポーズされたの」

 真理緒真理は乙女座にいる大人の女性。乙女座で一番尊い方です。

 令と真理は星間通信をしている清い仲の恋人同士でした。

 令は真理を水晶のように気高く想い、真理は令を真珠のように大切に想っていたのです。

 それはお互いに星間通信でびんびんと伝わっていました。

 遠い光年隔たって顔を合わせたこともありませんが、その想いだけは伝わり合っていたのです。

 ふたりは右手と左手のように両想いでした。

「プロポーズ! その台詞を教えてくださらない?」

「真理さまはこう言ったわ。『令爾令愛してる。絶対零度の宇宙空間でもこの愛は冷やせない。結婚してくれ』。星間通信でそう甘く囁かれたの」

「それでお返事は?」

「まだしてない」

「なぜです? ふたりは相思相愛なのでしょう?」

 令は返答に窮しました。地球と乙女座は遠く隔たっていて、同居結婚生活を送ることはできませんが、それは結婚しない理由にはなりません。星間別居結婚生活を送れば良いだけだからです。別居結婚生活は別に珍しいことではありません。

「理由は……」令は淀川の流れのように言い淀みました。

「理由はなんですの?」

「真理さま以上にお慕いしている人がいるからよ……」

 莉羅は零言絶句しました。令が真理以上に慕っている人。心当たりがありました。

「だれなのです?」

「あたしの口から言わせるつもり?」

 地上にいる令爾令は天を仰ぎました。

 天国にいる莉羅野莉羅は地を見下ろしました。

「わたくしなのですか?」

「そうよ。莉羅を真理さま以上に愛してる。結婚相手はあなた以外には考えられない」

 令は長年隠し通していた気持ちをついに明かしました。

「でも……」莉羅は三途の川が予想していたより濁っていたことをふと思い出しました。「わたくしたちも同居結婚生活を送ることはできないのですよ。この『天地電話』でしか繋がっていないのです。乙女座は冷凍冬眠をして宇宙船でゆくことができますが、天界と地上は次元的に隔離されていて、けっして行き来できないのよ……」

 令爾令は沈黙し、莉羅野莉羅も沈黙しました。世界中が黙り込んだみたいでした。コオロギすら鳴いていませんでした。

「ひとつだけ方法があるわ」

「だめですわ。その方法はだめ」

「自殺するわ」

「だめよ。もう切りますわよ、この電話」

「天国へゆくわね、あたし」

「『絶対命令』を発動します。絶対命令、令爾令は寿命以外で死んではならない」

「ああ、莉羅野莉羅……」

 天地通信が切れました。令はまだ受話装置を握っていましたが、もう電話は天国には繋がっていませんでした。

 令は乙女座に星間通信を送りました。

【真理緒真理さま。令爾令です】

【おお、愛しい令よ。私と結婚してくれるかい?】

 遠く離れていても、真理の声は明晰に令の脳に聞こえていました。その声はカッコウのように高く響いていました。

【ごめんなさい。結婚はできません】

 びりびりびりとノイズが走りました。

【なぜだ? 私たちは愛し合っていたのではないのか?】

【愛しています】

【では結婚しよう】

【できません。できないんです】

【なぜだ?】真理緒真理の脳声は悲痛でした。

 令は本当のことを告げることはできませんでした。もう死んでしまっている莉羅野莉羅をいまも愛しているからとは言えませんでした。

【あたしは普通の同居結婚生活に憧れているんです。乙女座にいる真理さまとは結婚できません】

 令は星間通信を切りました。そして脳の深いところに刻まれている星間ダイヤルを強い意志で切り刻みました。

 もう乙女座とは連絡できません。

 電話柱の中で、令爾令は無音で泣きつづけました。

 寿命が短ければ短いほどいい、と彼女は思いました。

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