第39話 SNS登山

 僕は高校の写真部に所属していて、親友は登山部員だった。

 僕はいい写真が撮りたくて、親友はS山に登りたがっていた。

 S県N市にあるS山はインスタ映えする山として有名だった。

 通称SNS山。アクセスは簡単で、私鉄のN駅から徒歩10分で登山口に到達できる。標高378メートルの独立峰で、麓から見た姿は独特だった。中腹までは美しい三角錐型で、その先は頂上まで針のような岩場だった。この中腹から山頂を撮影した写真がインスタ映えするのだ。

 しかし中腹までは誰でも登れるが、その先の岩場は登山禁止とされていた。危険だから。ただし、自己責任で登るとの誓約書にサインした者は除く。

「S山に登りたい。一緒に中腹まで登ってくれ。おれが山頂を征したところを撮影してほしい」と親友は言った。

 というわけで、僕たちは朝早くJRに乗り、私鉄に乗り換え、N駅で降りた。

 駅から独立峰のS山はよく見えた。確かに特徴的な山だ。僕は早速、風景写真を1枚撮影した。

 僕と親友はリュックサックを背中にかついで、登山口をめざした。ネット情報どおり、10分で到着した。

 S山は低山だ。中腹まではよく整備された登山道が延びていて、ふだんは登山なんてしない僕でも簡単に登れた。少し汗ばんだぐらいだ。

 親友は緊張しているようだった。彼は登山が趣味だが、ロッククライマーというわけではない。S山山頂はロッククライミング中級者が挑むべきだというネット情報もあった。

 やがて、中腹に到着した。

 そこには小屋と立て札があった。

 立て札にはこう書かれていた。

「これより先、登山禁止。この山は私有地です。ここから山頂までは岩場で、落下したら死傷する危険性があります。登山を禁止します。ただし、誓約書にサインした人は、自己責任で登ることを認めます」

 小屋の中には記載台とポストがあった。記載台には誓約書の束が乗っていた。1枚手に取って読んだ。

「私は、S山の危険性を認識した上で、自己責任で登ります。登山中の事故で死亡、負傷等をしても、それはすべて私の責任です。事故後の処理を含め、一切を私の責任で行います」と書かれていた。

 僕と親友は中腹からS山山頂を見上げた。鋭い棘のような巨岩が1本、すっと立っていた。青空を背景とした風景だけでもきれいな写真が撮れそうだ。山頂に人がいたら、確かにインスタ映えするだろう。

「これは、危険だね」と僕は言った。

「このくらい、登れるさ。きちんと3点確保して登るよ。下から写真を撮ってくれ」

 親友は誓約書にサインして、専用のポストに投函した。

 彼はリュックを中腹のベンチに置き、身軽になって棘のような岩に取りつき、登り始めた。

 僕は見ているだけで恐怖を感じた。中腹の標高は347メートル。岩の高さは31メートルで、10階建てのビルぐらいの高さがある。滑落したら死にそうだ。

 そのとき中腹には7、8人ぐらいの登山者がいたが、岩に挑戦しているのは親友ひとりだけだった。

 両手両足を使って、慎重に3点確保しながら登っていく親友を、僕は中腹から撮影した。1番撮影したくて、彼が撮ってほしいと望んでいるのも、山頂に彼がいる写真だ。

 望遠レンズで見る彼の顔は恐怖で歪んでいた。相当怖そうだ。それでも彼は必死の形相で登っていった。

 31メートルを1時間近くかけて、彼は登り切った。右手でVサインを作る彼を撮影した。背景は雲ひとつない群青の空で、きれいな写真が撮れた。

 事故は下山中に起きた。残り10メートルほどで親友はバランスを崩して滑落した。僕は落ちてくる彼を受け止めようと走ったが、無理だった。間に合わなかったし、落ちてくる人間を受け止めたら、たぶん僕も巻き込まれて、二人とも怪我をしたことだろう。

 幸い致命的な事故ではなかった。僕は119番通報をした。彼は救助され、N市の病院に入院した。右脚大腿部の骨折、全治6か月という診断だった。

 その1か月後、SNS山でまた滑落事故があり、今度の登山者は死亡した。それがきっかけになって、S山の中腹から先は完全に登山禁止となった。立て札は「ここから先、登山禁止。いかなる理由があっても、登ってはいけません」と書きかえられ、小屋とポストと記載台は撤去されたそうだ。

 親友がSNS山頂でVサインをしている写真は貴重なものとなった。

 しかし、たくさんの「いいね」をもらっていたその写真を、僕はインスタグラムから削除した。死亡事故を思い起こさせる写真を載せておくべきではないと考えたからだ。

 その写真は僕と親友が個人的に所有している。

 親友は写真の中で笑っているが、滑落し、右脚を手で押さえて苦痛に耐えている彼の顔を忘れたことはない。 

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