第10話 巨大隕石が落ちてくるから、その前にジャンクフードを食べまくる。
明日、巨大隕石が地球と衝突し、人類は滅びるそうだ。
三週間ほど前からテレビは隕石のニュースで持ち切りだった。最初は衝突の可能性はそれほど高くないとされていたが、一週間前には五分五分と言われるようになり、三日前、ついに一〇〇パーセントの確率でぶつかると世界の天文学者たちが断言した。
隕石の大きさは月の三分の一程度で、衝突すると地球は砕け、すべての生物が死に絶えるらしい。当然だな、とテレビを見ながらおれは思った。地球が爆散し、宇宙に放り出されて生き残れる生物なんていない。
世界中がパニックに陥っている。超富裕層はロケットで宇宙へ逃げ出す算段をしているそうだが、もしそれが成功しても、ほんの少し延命できるだけだ。地球がなくなって、ロケットの中で長生きできるはずがない。仮に一年か二年生きられるとしても、おれはそんな余命をほしいとは思わない。窮屈なロケットの中で空気や水や食糧の残りを気にして、迫りくる死を恐れながら生き永らえたくはない。
おれは別にパニックになってはいない。三週間前から、最悪の事態を想定し、死を覚悟して生きてきた。おれは二十五歳のフリーターだ。就職活動に失敗し、コンビニでバイトして、家賃の安い木造二階建てのアパートで暮らしている。恋人はいない。両親はすでに他界している。気楽な独り者だ。
三週間前、ニュースで巨大隕石のことを知ったときに最初に思ったことは、もしこいつがぶつかったら、金持ちも貧乏人も、幸福な人も不幸な人も、天才も凡才も、等しく死ぬんだなぁ、ということだった。不思議なことに、さして悲しみは感じなかった。おれが貧乏人で、あまり幸福ではなかったからかもしれない。ただ、まだ若いので、もう少し生きていたかったなぁ、ぐらいのことは思った。ともあれ、おれはそのときから死を想定して、死ぬ前にやりたいことをするための準備を始めた。
ささやかなことだ。おれは内向的な性格で、社交的ではなかったから、親しい友人は少なかった。大学を卒業してからは数少ない友人との交流も途絶え、ささいな喧嘩で彼女とも別れ、最後のときを一緒に迎えたいという人はいなかった。おれは一人でいることにした。そして、好きな食べ物をたらふく食って死のうと決めた。好きな食べ物といっても、贅沢なものじゃない。おれはジャンクフードが大好きで、それを好きなだけ食いながら死のときを待とうと思った。
貯金が二十万円ほどあった。それだけあれば、たっぷりとジャンクフードを買える。三週間前には、まだスーパーは普通に営業していたし、コンビニには豊富な食料が陳列されていた。おれは食べたいジャンクフードを購入した。水道やガスが止まることを想定して、ミネラルウォーターやカセットボンベも買った。
一週間前、巨大隕石が衝突する可能性が高まったと報道されると、世間は大混乱に陥った。店舗の棚は急激に品薄になり、営業を続ける店は激減した。当然だ。隕石がぶつかれば、地球がなくなってしまうのだ。人々の日常はたやすく崩壊した。おれはコンビニバイトを辞めた。
三日後には隕石が確実に衝突するとの報道が流れると、本格的なパニックが始まった。おれはジャンクフードを食べながら、アパートの部屋に引きこもり、テレビのニュースを見ていた。略奪や殺人などの犯罪が急増しているようだった。食料が極端に手に入りにくくなったから、略奪はわかるような気もするが、なぜ今になって殺人なんてするのか、おれには理解できなかった。どうせ三日後にはみんな死んでしまうのに。しかし、人々は激情的になり、恨んでいた者を惨殺したり、罪のない女を強姦したりする犯罪が多発していた。おれはペヤングソース焼きそば超大盛を食べながら、そんなニュースを見ていた。
ペヤングはうまい。子どものときから何回となく食べているが、飽きることがない。縮れ麺にソースを絡め、胡椒と青海苔を振りかけて、すずっと音を立てて豪快に食った。今ではスーパーもコンビニもほとんど閉店しているから、貴重品である。テレビのニュース番組で世界の終わりを見ながら、ジャンクフードを好きなだけ食べる。悪くない人生の終わり方だと、おれは思う。誰にも迷惑はかけない。テレビの放送がまだ続いているのがありがたい。放送関係者は使命感を持って、最後の放送をしているのだろう。素直に偉いと思う。
焼きそばを食い終わったので、ガリガリ君ソーダ味を食べた。安くてうまいアイスだ。癖になる味だ。おれは二個連続で食べた。まだ電気は止まっていなくて、冷蔵庫は生きている。冷凍庫には、これから食べる予定の冷凍食品が入っている。
腹が満たされると寝た。目が覚めたら、冷凍の唐揚げをレンジで温めて食べながら、テレビを見た。あと二日で地球は終わる。自暴自棄になった民衆が国会議事堂を襲撃していた。これに何の意味があるのだろうと思った。どうせ隕石が国会議事堂を粉々にしてしまうのに。総理大臣は落ち着いて最後のときを迎えましょうと呼びかけていた。誰も耳を傾けていないようだ。日本は無政府状態になっていた。法律を守る人なんていなくなった。他国も似たようなものだ。
コカコーラを飲みながら、テレビを見続けた。僧侶が座禅をしているシーンが映っていた。これは比較的いい最期の迎え方だと思った。ぎゃあぎゃあ騒いだり、人を殺したりするよりよほどいい。おれも心静かに死にたいと思っている。
コカコーラを飲み終えて、次にペプシコーラを飲んだ。いつか飲み比べをしたいと思っていたのだ。ペプシの方がやや甘味が強いように思う。
ピーナッツチョコレートを食べながら、テレビを視聴する。アメリカの大富豪が、ロケットで地球を脱出する映像が流れた。そのロケットは発射失敗して、地上五百メートルで爆発した。愚かだな、と思った。地球上で、最後のときをじっくりと味わえばよかったのに。
エスビーのレトルトカレーを食べて、デザートにおれとしては贅沢品のハーゲンダッツのアイスクリームを食べた。テレビはつけっぱなしにしている。朝鮮半島と中東で戦争が勃発していた。突発的に始まってしまったらしい。人類の滅亡が確実視されているのに、なぜ戦争なんか始めなくてはならないのか、さっぱり理解できなかった。世界は混乱を極めているようだ。誰もまともではいられない。おれはジャンクフードをひたすらに食べている。カップヌードルを食べて、寝た。
起きた。テレビをつけた。いよいよ明日、巨大隕石が地球に衝突して、地球は終わるようだ。おれは炊飯器でごはんを炊き、冷凍の吉野家の牛丼の具を温めた。まだ電気も都市ガスも止まっていない。奇跡的なことのように思える。素晴らしい。おれはライフライン事業者に感謝しながら、最後の牛丼を食べた。最高にうまい。
アメリカ大統領はホワイトハウスでパーティを開いていた。そのパーティには政府高官や財界人や有名な俳優や女優が参加していた。ワインやビールを飲みまくって、乱痴気騒ぎをしていた。ホワイトハウスの周囲に群衆が集まってきて、隕石をなんとかしろというデモを行っていた。無理だ。アメリカ大統領でも、宇宙を飛来する巨大隕石を止めることはできない。核ミサイルを全弾発射して隕石の軌道を変えるという計画もあったようだが、スーパーコンピュータが成功の確率はゼロパーセントと計算して、取りやめになった。
やがて群衆がホワイトハウスに侵入しようとし始めた。軍隊が発砲して、群衆を殺戮した。軍人はこんなときでも大統領を守るのかと感心した。おれなら群衆と一緒にホワイトハウスに乱入し、大統領を殺して、ワインを飲むと思う。
おれはポテトチップスを食べながら、テレビを見続けた。モスクワで核爆発が起きたというニュースが流れた。キノコ雲がもくもくと立ち昇っている。あの雲の下では何万人もの人々が確実に死んでいる。愚かすぎると思わずにはいられなかった。核シェルターの中で生き延びたロシア政府の高官はアメリカの攻撃だと断定し、報復攻撃を始めた。明日、人類が滅びるというのに、無意味な核戦争が始まった。アメリカ合衆国各地で核爆発が起こり、その報復としてロシア各地でもまた多数の核爆弾が爆発した。
人工衛星が核戦争の画像を映していた。おれは映画のようなその映像をテレビで見ていた。中国でもキノコ雲が発生していた。もうなんだかわけがわからない。地球最後の日に第三次世界大戦が勃発している。ヨーロッパも巻き込まれていた。ロンドンとベルリンとパリとローマが消滅した。
おれはどん兵衛を食べた。この甘い油揚げがたまらない。もうすぐ死ぬことがわかっているのだが、食欲は衰えなかった。もりもり食った。インスタントのカレーうどんも食べた。最後の晩餐だ。ジャンクフードを死ぬほど食べてやるのだ。もう健康のことなんて考える必要はない。ドクターペッパーを飲んだ。
東京でも核爆発が起こったようだ。おれは神奈川県に住んでいる。アパートの窓を開けた。肉眼で黒々としたキノコ雲が見えた。ついにテレビ中継がストップした。東京の放送局が全滅してしまったのだろう。
明日、巨大隕石が降ってくる。
おれは割と心静かにそのときを待っていた。
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