第8話 自由恋愛主義者の道程

 僕は自由恋愛主義者だ。

 今は大多数の人がAIに恋人を選んでもらっている。AIは全人類の嗜好情報を持っていて、恋愛をしたいと思えば、自分に合っている人を教えてくれる。自分以上に自分を知っているAIが、容姿、性格、年齢、趣味、居住地、相手が自分を気に入ってくれるか、その他様々な情報を検索して、恋愛相手候補のリストを提示してくれる。一般には一番上位の相手を指定するのがベストだと考えられている。指定すれば、AIは相手へのアポイントメントを取ってくれて、最初の待ち合わせ場所、デートコースまでセッティングしてくれる。もし会ってみて気に入らなければ、二度目のデートをしなければいいだけだが、多くの人がそのままつきあい続ける。AIマッチング恋愛全盛の時代だ。

 僕は昔ながらの恋愛を好んでいる。自分で好きな人を見つけ、口説き、つきあうという過程が好きだし、AIに人生を支配されたくないと思っているからだ。僕は恵まれた容姿を持っているから自由恋愛ができるのだが、その好運を活かして恋愛し、結婚しようと思っている。

 僕は今、大学一年生で、十八歳だ。高校時代には三人の恋人とつきあったが、ことごとく破綻した。つきあい始めるところまではうまくいくのだが、三人ともAIに恋愛相談をし、僕がベストの相手ではないと知ると、態度が冷たくなり、離れていった。自由恋愛主義者にとって、受難の時代でもある。

 僕も試しにAIにマッチングしてもらったことがある。高二のときだ。桐生葵という隣の県に住む一つ年上の女の子が一位で、実際に僕はその子に会った。さすがにAIが選んだ相手だと思った。容姿も好みだし、話も合った。僕は桐生葵をひとめで好きになったし、桐生葵も僕のことが気に入ったようだった。

「でもあなたとはつきあえない」と僕は言った。

「どうして。わたしはつきあいたいな」

「僕は自由恋愛主義者なんだ。AIが決めた相手とつきあうつもりはない。申し訳ないと思うし、僕もあなたとつきあえないのは残念なんだけど、これは僕の意地みたいなものなんだ」

「古風な恋愛観を持っているのね」

「この世にAIに従わない人間が一人ぐらいいたっていいだろう?」

「そういうところも好きだから、とても残念だな。きみみたいな人とは二度と出会えないでしょうね」

「ごめんね。会わない方がよかったかな」

「絶対にそんなことはないわ。きみに会えてよかった。今日は楽しかった」

 桐生葵と会ったのは一日だけで、その後、僕は連絡をしなかったし、彼女から電話やメールが来ることもなかった。

 さて、大学一年生になった僕は、大学の近くのエルザというコーヒーとカレーが美味しいと評判の喫茶店で、好みの女性を見つけた。その店でウェイトレスのアルバイトをしている女の子で、顔が可愛くて、背が高くて、脚が綺麗だった。性格が合うかどうかはわからないけれど、コーヒーを持って来てくれたとき、「ありがとう」と伝えると、素敵な笑顔を見せてくれた。営業用スマイルではあるが、育ちのよさがうかがえ、悪い子ではないだろうと思った。

 僕は二日に一回ぐらいのペースでエルザに通った。ランチにカレーを食べに行くこともあったし、講義が終わった後に、コーヒー一杯をゆっくりと飲むこともあった。ウェイトレスの女の子とはあいさつ程度をかわしていたが、五回目に行ったとき、マスターも他の客も店内にいなくて、少し話をすることができた。

「エルザのコーヒーとカレーは評判どおりとても美味しいですね」

「ありがとうございます。カレー作りはおれの趣味みたいなものだ、とマスターはよく言っているんですよ」

 エルザの店内にはスパイスの匂いが漂っている。

「それにウェイトレスさんがとても綺麗だ。こんないい店が大学のそばにあって、ラッキーです。ああ、僕は近くの大学の一年生なんですけど」

 エルザのウェイトレスは一人だけである。彼女はふふっと微笑んだ。

「あの大学に受かるなんて、とても頭がいいんですね。私は高校を卒業してから、進学もきちんとした就職もしなくて、実家近くのこの店で、二年間バイトを続けているんです」

「すると僕より一つ年上ですね」

 僕は桐生葵が一つ年上だったことを思い出した。僕は少し年上の女性が好きなのかもしれない。高校のときの恋人も一人は先輩だった。

 それをきっかけにして、彼女と少しずつ話をするようになった。坂上初雪という名前であることも知った。

「坂上さんは名前のとおり色白ですね」

「そうね。日焼けしないよう気をつけているし、もともと色は白い方よ」

「あなたは僕の好みのタイプなんです。恋人はいるんですか」僕は声を潜めて訊いた。

「いるわよ」

「そうですよね。坂上さんみたいに素敵な人に恋人がいないわけがない」

「横山くんはすごく格好いいじゃない。彼女はいないの?」

 横山というのは僕の名字だ。ちなみに名前は光司という。

「いません」

「不思議ね。AIにマッチングしてもらえば、すぐに最適な恋人が見つかるでしょう?」

「僕は自由恋愛主義者なんです。AIに恋人を見つけてもらうつもりはありません」

「変わっているのね」

 坂上さんにも変人扱いされてしまったか。よくあることなんだけど。

 しかしこのぐらいであきらめたりはしない。僕はこの後もエルザへ通った。

「AIに調べてもらったんだけど」と坂上さんが話しかけてきた。

「横山くんは私にとって五十七位の男性だったわ」

「五十七位ですか。低いですね」

「偶然会って、五十七位というのは、とても高い数値よ」

「でもあなたは一位の男とつきあっているんでしょう?」

「ええ」

「とても勝ち目はありませんね」

「そうでもないわ。横山くんには特別な点があったの」

「何ですか」

「容姿の好みでは一位だったのよ」

 僕は一抹の希望を感じた。しかしがっかりしたふりをして言った。

「容姿なんて、たいした価値ではありませんよね」

「そんなことないわよ。容姿が一番好みな人とつきあってみるのもいいかなって、考えないこともないわ」

「ぜひ考えてくださいよ」と僕は懇願した。

「どうしようかな」

 坂上初雪は僕を焦らした。小悪魔的なところのある人だ。

 僕は粘り強くエルザに通った。我ながら涙ぐましい努力をしていると思う。自由恋愛主義は棘の道だと思った。恋が実る可能性は低い。AI恋愛システムは恐るべき強敵だ。大人になればなるほど、人は打算的になっていく。一位の異性とつきあえば、一番しあわせになれる可能性が高い。僕は僕の他に自由恋愛主義者を知らない。ネットを見ると、世界にほんの少しだけ同じ主義の人がいるのがわかるが、圧倒的少数だ。現実に会ったことはない。

 だが坂上初雪とはうまくいった。

「一位の男性と別れたわ。自由恋愛主義者さん、私とつきあってくれる?」とある日彼女は言った。もちろん僕は承諾した。

 そのようにして、僕と坂上初雪は恋人同士になった。

「光司くんは稀有なロマンチストよね」

「そうかなぁ。AIに人生を委ねたくないというのは、僕とっては普通の価値観なんだけどな。恋愛に限らず、進学先も自分で選んだし、就職先もAIに頼らずに自分で決めるつもりだよ。まぁ、特に恋愛に関しては、こだわりが強いんだけど」

「苦労するわよ、そんな生き方」

「そんなことないよ、楽しいよ。こうしてAIに勝って、初雪とつきあえるようになったし。きみにつきあって、と言われたときは、とてつもない喜びを感じたよ」

 しかし、坂上初雪とも長続きはしなかった。しだいに一位の男性と性格や趣味や会話の調子なんかを比べられるようになり、僕と彼女は喧嘩を繰り返すようになった。わずか二か月で破局し、彼女は元カレとよりを戻した。

 ここいらで自由恋愛主義からAI恋愛主義に宗旨替えした方がいいのかもしれないな、と考えないでもない。しかし僕は大学時代、自由恋愛主義者で通した。

 大学四年生になった。坂上初雪を含めて僕は四人の女性とつきあい、全員からフラれていた。

 四人目の恋人にフラれて駅でほんやりしていたとき、一人の女の子と目が合った。可愛い女の子だな、と思った。あんな子とつきあえたらいいんだけど、とても無理だろうな。あの子は電車に乗り、それっきり二度と会うことはあるまい。

 ところが、その子は僕が座っているベンチに歩み寄って来た。

「あなた、横山光司くんでしょう?」

 僕は名前を言い当てられてびっくりした。

「どこかでお会いしたことがありましたか?」

「思い出せない? 高校時代は髪を長くしていて、今はショートカットにしているから、わからないのかもしれないけれど」

 あっ、と僕は思った。桐生葵だ。

「すごい偶然よね。このまま別れるのは惜しいわ。もし時間があれば、お茶でもしない?」彼女は少し照れたようすを見せながら言った。

 時間ならある。僕はこの駅の近くにケーキが美味しいイタリアンレストランを知っていたので、そこに桐生葵を連れて行った。

 彼女とはすぐに恋愛の話になった。

「まだ自由恋愛主義者なの?」

「そうだよ。フラれてばっかりだ」

「この偶然の出会いは自由恋愛に含めないのかしら」

 僕は少し考えた。この出会いはAIに仕組まれたものではない。

「含めていい、と思う。桐生さんは今は恋人はいないの?」

「いないのよ。二位と三位の男性とつきあったし、うまくいっていたんだけど、二人とも一年ぐらいで別れた」

「どうして?」

「いつかどこかであなたと再会できると信じていたから」

「桐生さんはとてもロマンチストだったんだね」

「横山くんほどではないと思うけど」

 イタリアンレストランで僕たちは三時間も語り合った。次のデートの約束をして別れた。

 さて、僕はAIに勝ったのだろうか。敗れたのだろうか。

 どちらかと言うと、敗れたような気がするのだが、桐生葵とこれからつきあうことに迷いはない。

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