第7話 日本浮上~沈没100年後の日本列島争奪戦

 日本列島が沈没してからおよそ百年が過ぎた。再び巨大な地殻変動が起こり、海面下に沈んでいた日本列島が浮上した。

 むろん百年前の地図と同じ形ではない。多少の変化はあった。しかし、おおむね北海道、本州、四国、九州の四島が以前とかなり似た形で陸地になった。

 私はこのニュースに狂喜した。私は百年前に日本からアメリカ合衆国に避難した難民の子孫で、このとき五十五歳だった。国際日本人協会の会長をつとめており、ロサンゼルスのジャパンタウンの自治会長でもあった。いわば、世界における日本民族の代表者のような立場にある。

 日本という国はもう存在していない。しかし日本列島が浮上した以上、私は日本国を再興させなければならないとの使命感を抱いた。

 急ぎ国際日本人協会の会合を開き、世界各地に離散している日本人街の代表者らと話し合った。我々は、地球連盟に対し、日本列島の領有権を主張し、日本という国を認めさせるための行動を開始することを決定した。

 私は地球連盟の日本列島浮上対策会議に日本民族代表として出席し、発言した。

「日本列島は日本民族の故郷です。あの土地は日本人のものであり、私たち日本人は日本列島に帰り、日本国を再興させたいと切望しています。そのことを地球連盟に加盟する各国の皆様に認めていただきますようお願いいたします」

 各国の出席者の反応は鈍かった。特に大国ははっきりと反対した。

「あの新しい島々の領有権はこれから地球連盟の会議でおいおいと決められる。あの大きくて未開の島々を管理する能力は現在の日本民族にはない」というような意見が主流的だった。アメリカ、中国、ロシアの領土的野心は明らかだった。私の主張に多少でも耳を貸してくれたのは、絶対に日本列島を領有できない地理的に離れた小国ばかりで、私は日本民族の無力さを実感した。

 私はアメリカ政府に働きかけることにした。伝手を使って大統領補佐官に会い、アメリカの指導のもとに日本を再興させるという計画をもちかけた。アメリカの属国になることを匂わせた。アメリカは一時乗り気になったが、中国とロシアが圧力をかけてきて、この計画は頓挫した。

 この程度のことであきらめるわけにはいかない。手をこまねいていてはいけない。とにかく行動するべきだ。私は世界に残っているおよそ一千万人の日本民族に、日本に上陸し、住み始めようではないかと呼びかけた。

 私はロサンゼルスジャパンタウンの有志百人と共に船をチャーターし、旧東京湾から旧東京に上陸した。すでに各国の調査団が上陸した後ではあったが、力のない私たちにとっては、精一杯の行動だった。

 まだ草木一本として生えていない陸地。ところどころに海水の湖沼がある。土砂はおおかたが流出し、岩石が剥き出しの大地だった。淡水は見つからなかった。

 とても住めたものじゃないというのが第一印象だった。しかしここに居住の実績を作らなければ、日本国を再興することはできない。

 国際日本人協会は日本人各位に寄付金を募り、各国に対しては日本民族救済の募金をお願いした。資金を作り、旧東京の高台に十軒の家を建て、十世帯を住まわせた。私の一家も移り住んだ。妻と子ども二人は喜んで賛成してくれた。劣悪な環境での過酷な暮らしになる。居住支援船二隻を購入し、水と食料、生活必需品を運び続けるよう手配した。

 私はこの十世帯三十二人が日本国民であるとして、日本国の樹立を宣言した。地球連盟はそれを承認しなかったし、各国の首脳にも無視された。しかし我々は不法占拠者として排除されることもなかった。世界の論調はおおむね我々に同情的だった。かわいそうな人たち、という感じだ。

 アメリカ、中国、ロシアは日本列島調査団の人数を激増させていった。北海道はほぼロシアの調査団に占領された。東北地方から近畿地方にかけては、アメリカが実効支配を進めていた。中国地方、四国、九州には中国人が大挙して上陸した。この三国で、日本列島分割支配の密約があるのは明らかだった。

 私たち日本民族は歯噛みしたが、大国の行動を止めることはできなかった。私たちは百年前、日本が沈没しようとしていたとき、世界各国の好意にすがって、大量の日本難民の受け入れをしてもらった。そのおかげで日本民族は滅亡をまぬがれた。世界各国に散り散りばらばらになった力なき民族が、祖国を取り戻すのは困難だった。

 私は生涯をかけて、祖国を再興させようと誓った。助けてくれる仲間は多かった。旧東京の日本人街を少しずつ拡張し、人口を増やしていった。地球連盟への働きかけも続けたし、日本民族に同情してもらえるような映像を制作し、世界中で広告したりもした。

 アメリカ、中国、ロシアは現代科学の力を駆使して、日本列島の開発を進めた。緑化を推し進め、山地から海へと注ぐ運河を掘削し、インフラを整備し、住宅を建設した。その恩恵を受けて、日本人街も拡大していった。私が初めて上陸してから十年後には、居住支援船なしでも暮らしていけるようになり、人口は三千人を超えていた。

 日本国を再興するためには、日本文化を取り戻すことも必要だと私は考えた。特別に勉強した者を除いて、日本語を話す者がいなくなっていて、日本民族のアイデンティティは薄まっていた。私は日本語を学ぶことにし、日本人街の人々にも大いに勧めた。日本人街に日本語の学習塾ができ、残存していたかつての日本の文献や映像の研究がブームになった。私は日本文化の面白味に取り憑かれ、やはり日本は素晴らしい国だったんだとの確信を得た。

 私が七十歳になったとき、日本人街の人口は一万人を突破した。世界の人々の平均寿命は百二十歳程度だ。しかし私は過酷な日本での生活と世界を飛び回って行っている日本国再興運動のために疲れていた。とても平均寿命まで生きられるとは思えなかった。

 そのころ東北地方から近畿地方にかけては正式にアメリカの領土になった。北海道はロシアのものとなり、中国地方、四国、九州は中国の一部になった。地球連盟が承認した。

 私はあきらめなかった。いつか日本人街を独立させればいいのだと考えた。私は自分に鞭打って、祖国再興のために尽くした。私が七十五歳のとき、街の人口は五万人になり、八十歳のときには二十万人を超えた。私は地球連盟総会で演説し、日本国の独立と認定を求めた。

「日本国は二千年の歴史を持つ国家であり、不運にも百年前に国土が沈没したため、その歴史はいったん途絶えましたが、再び浮上するという奇蹟が起こりました。私は世界の人々と日本民族の平和共存を目的とした日本国の再興を目指しています。我々は日本文化を再興させ、世界の文化にささやかな貢献をする志を持っています。日本国の再興と世界への貢献は我々日本民族の悲願であります。現在の日本人街を中心とした面積四十平方キロメートルを国土とした日本国の独立をアメリカ合衆国政府にお願いし、その承認を地球連盟に求めます」

 アメリカと地球連盟はついに日本国を認めた。小さな国だ。かつてのアジアの大国日本とは比べものにならないほどのささやかな国だ。けれどもこれは日本の歴史を継ぐ国家なのだ。

 私は新生日本の初代首相になった。生まれたての国の首相の激務はとてもつとまらず、一年足らずで辞任した。

 後は、若い者たちに任せよう。

 私は日本国民の一人として今も日本国内に住み、この国の行く末を見守っている。

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